出生率を上げて人口が維持されても、子供が生きることが楽しく、又は夢をもって生きられないのならば、あまり意味がないのではないか。
街で夫婦が一生懸命に子供の世話をしている姿を見ると、「大変だなあ」とつい思ってしまう。
仮に、今から自分が20歳に戻って生き直したら、たぶん結婚もしない、子供も持たないかもしれない。
何故って、今のこの國、つまんない国だよ。
テレビ見れば判る。つまんない番組、安全なコメンテーター、都合が悪いことは総じて「遺憾」「懸念」で済ます。
何故「よくない」「まずい」「心配だ」「恐れがある」とハッキリ言わないのだろうか。
戦前は7000万人位だった。台湾と朝鮮を合わせて「一億火の玉」とか云っていたのだから。
時代に合った適正規模の人口というのがあるんじゃないでしょうか。
多分、民族の絶滅はないだろう。危なくなれば、ラクビーのように国籍混合にしてもいいけれど。
多すぎると、住む場所や食べ物の取り合いで競争が激しくなり、減少すれば、お互い適度な領分を分け合って暮らせる、というようなものなのでしょうかね。
少ないから外国から人を呼ぶ、ということは本当に必要なのでしょうかね。
人手不足だと騒ぐ一方で、いわゆる正規雇用に入れない人がたくさんいるというのは、なぜなのでしょうね?
いつの間にか、我が家の周囲にも、フィリピンやネパールの人が住むようになってしまいましたけど、昔の攘夷論者が見たら、一体何と言うのでしょうか。