西園寺の元老政治の後には、天皇の側近として近衛文麿総理と木戸幸一内大臣の二人が残った。この二人の側近の、出自の差、経験の差、性格の差、生き方の差が、統帥権を持つ大元帥閣下の方向を決めたとも言える。
近衛は千年の貴族の血脈である。あの怯懦で腺病質でチャランポランな近衛が英米との戦争に腰を抜かすほどの恐怖感を感じていた。木戸は、桂小五郎(木戸孝允)の妹治子と長州志士の来原良蔵の血脈で、その孫にあたった。木戸幸一の血は武士の血がすべてだった。
近衛の娘の温子(よしこ)の婿である細川護貞は、東條内閣の誕生の時に「東條は軍人で、そんな人に総理を任せたら戦争になってしまう。そんな推薦をしたのは誰ですか?」と聞く。近衛は「木戸だ!」と答えた。
戦後になって、細川は仲人だった木戸にも同じことを聞いた。木戸は「近衛である」と答えた。どちらが東条英機を総理にしたかは自明であろう。
余談として、血統を考えると、細川護貞と温子には二人の男子がいて、一人は細川護熙元首相であり、もう一人は近衛忠輝となり、三笠宮の甯子内親王と婚姻した。まさに近衛家は千年の貴族の家系であろう。
細川護熙元首相は殿様と言われたけど、近衛公の孫とはあまり言われなかったような気がする。近衛文麿の歴史的な評価が定まっていないからだろう。
ともかくも、この國の戦前と戦後は閨閥によって脈々とつながっている。<閨閥:妻の一族を中心に結ばれた人のつながり(広辞苑)>
安倍や麻生は閨閥としての岸信介、吉田茂の孫である。だが、彼らは、一生懸命に勉強していい大学を出る必要もなく、教養を高める必要も無い。親の地盤と金と看板を受け継ぎ、加えて、閨閥の誉れによって、現在の地位があるのではないだろうか。
その閨閥の成れの果ての者たちが、女系天皇を認めないとは?まったく訳の分からん話である。
【参考文献:細川護貞「元老・重臣の動き」『語りつぐ昭和史』朝日新聞社・工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』中公文庫・勝田龍夫『重臣たちの昭和史』文春文庫】
松山駅ー 先日の自分GO TOでした。このままコロナが収まるといいなあ。
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