小池と吉村、どちらの評判が良いか、それはどっちでもいい。
今マスコミはアベ官邸に脅かされて、戦時中の大本営のように政権批判を止められている。特に最近の朝日は酷いものだ。
マスコミは、小池と吉村のコロナのからくり人形で遊んでいるだけだ。少し前の相撲協会の貴乃花と理事長の時と同じさ。ただ、新聞の紙面を埋めているだけで、まったく本質を語らない。
このままでいくと、戦前の大本営発表に逆戻りするだろうか。
いや、しない。コロナ後マスコミは壊れているかもしれない。
#赤木さんの死を忘れない
小池と吉村、どちらの評判が良いか、それはどっちでもいい。
今マスコミはアベ官邸に脅かされて、戦時中の大本営のように政権批判を止められている。特に最近の朝日は酷いものだ。
マスコミは、小池と吉村のコロナのからくり人形で遊んでいるだけだ。少し前の相撲協会の貴乃花と理事長の時と同じさ。ただ、新聞の紙面を埋めているだけで、まったく本質を語らない。
このままでいくと、戦前の大本営発表に逆戻りするだろうか。
いや、しない。コロナ後マスコミは壊れているかもしれない。
#赤木さんの死を忘れない
野党の議員には、弁護士や医者、ジャーナリストといった、高学歴、俗にいうインテリ層が多い。彼らの言葉はインテリ話法で実に分かりづらい。
「恣意的だ」「看過できない」「私物化している」と政権や与党をやんわりと品よく非難する。決して相手と対峙しない、持って回った言い方で批判の迫力が全くない。
何故言えないのだろう。「政府はお前のものか?」「悪いことは見逃せない!」「税金を自分のものにしている!!」と言えば、少しは漫画世代の若い者にもわかるだろう。
片や、自民党は世襲議員や青年会議所上りで、勉強なんか鼻からバカにしている。
したがって、閣僚は官僚の作った霞が関話法で、訳の分からない答弁を読み「先ほど答えた通り」「・・・に尽きる」「仮定の話にはこたえられない」と菅長官を手本に議論を一歩たりとも発展させない。
そして、実にくだらない政策でも「まさに」「躊躇なく」「スピード感をもって」という接頭語だけが、アベ首相の演説に躍っている。
与党も野党も、この際国会から消えてほしい。議員数を半分にして、その給料をコロナ対策費にしてほしいものだ。むろん無駄な政党助成金もゼロだ。
何だか、よくわからないネ、…
Aという男は、確か「国民の命と生活(暮らし)を守る」と偉そうに言っていなかったか。今は、どうだ?「自分のマスクと地位を守る」ことにしか頭にない。
こんな人間だとは、今回のコロナで知った人も多いだろう。自民党だと信用していたら、このざまだ、という人も。公明党が歯止めになるから、と信頼していた人も。すべてが裏切られるような、そんな不安がよぎる。
この國は、戦前のあの狂暴と熱狂の軍隊が跋扈していた時代と様相が似てきている。当時は世界大恐慌だった。現在は世界コロナ感染だ。
今この国は、韓国・台湾にも後れを取っていて、最低な状況にある。まさに砂の政府による砂の国家になろうとしている。
国民は、吹けば飛ぶような、小さな一粒の砂に過ぎない、とAは考えている。そして、この人の目には優しさがない。
随分前から、題名はもとより、中身も知っているような錯覚があった。多分大胆な岸田今日子の裸体のポスターの所為であろう。
白黒映画だろうから、と金を払って見なかった。自粛生活で、ネットでタダで見たら、自分の思い込みが恥ずかしい。
原作は安倍公房だもの、寓話だよね。岸田今日子の豊満な身体や癖のある女の演技よりも、砂に閉ざされた特異な空間性が、今のコロナに囲まれた現実のこの國に似ていたような。
題名は「砂の女は」は格好つけすぎで、本当は「砂の家」なのかもしれない。
今のだらしないA政権は、『砂の政府』かも。
未必の故意というのがある。不作為による無意識な殺人というのもあるのか。
末端の保健所の職員はただ選別の道具となって、電話も受けず、受けても条件に合致しないと、PCR検査の道をふさぎ、最後は治療が遅れて一人の人間が死に至る。そういうケースがこの数カ月に多くあったと思う。
その第一選別者の保健所窓口の、その上に都道府県の然るべきポジションがあって、その上に厚労省の医務技官たちのポジションがあって、その上に厚労大臣があって、その頂点に首相がいる。
このコロナ騒ぎが収まったら、この不作為の死の責任の追及先は何処になるのだろう。
結局、国家権力がお好きなAというお方も、本当に国家権力を握っていたのだろうか。