玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

二本のオリンピック映画

2022-01-24 18:30:56 | 時事

東京オリンピックの映画が二本あった。一本は市川崑監督の映画で学校で見せてくれた。時の佐藤栄作首相は痛く御不満で、これは「オリンピック記録映画」ではないと言って、また記録に徹した映画をもう一本造らせた。

市川崑はそれを聞いて「私は“映画”を創っただけだ」と言って取り合わなかった。

私はその時にどっちでも良かったけど、映画には記録とそうでないモノがあるとよくわかった。

市川崑の映画で覚えているのは、マラソンか競歩の前に選手が忙しく準備体操的に動かす脚を記憶してるが、その後何度もテレビでやったから覚えているだけ。佐藤首相が作った映画はまたご丁寧にも学校で見せてくれたけど、これは何も覚えていない。

映画よりオリンピックをやったという事実の方が重要だ。今回のオリンピックはコロナ下で強行したという政治と庶民との隔絶があった。これは一瞬だが僭主政が顔を見せた。このことは記憶に残るだろうか、…。

今回のオリンピック映画の監督とNHK番組の話、どうでも良いが、監督は撮り直しがないようにアベに忖度した映画を創ろうとしていないことを祈る。

どちらにせよ、佐藤栄作が大叔父さんで、兄弟が岸信介で、その孫のアベ、何か気持ちが悪い。明治維新後、山口=長州藩出身の首相が多すぎる。これじゃあ、この國はいい国にならないかもしれない。

あんまり忖度すると、歯が浮くかも、…。

 

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マスクだけが命

2022-01-21 19:17:13 | ブツブツ

2,3日前、友だちから電話があって、近くの喫茶店で会った。行くときはマスクをしていたが、つい外して喋ってしまった。

そういえば、2カ月前ぐらいに、コロナが落ち着いていたので4人で飲み屋に行った。この時も一人はマスクを外したり、付けたりしていた友人がいた。

自分は器用でないのか、つい久々の再会で嬉しくてマスクを外して喋ってしまう。あとから空中にウィルスが浮遊しているんだっけと後悔するのだが、マスクに頼るしか、防禦ができないこのコロナにはホトホト疲れてしまう。

この先、このコロナや別のウィルス感染症も出てきそうだ。この変種ウィルスの出現は、地震や台風、竜巻、噴火、豪雨のような地球自体の変動ではなく、人類の発展の禍が原因かもしれない。

だから、資本主義を進めればまだまだ続くだろう。段々、我々年寄りは山の上の人里離れたところに棲むか、毎日ボーと海を見て暮らすか、どちらかが良いのかもしれない、…。

ある晴れた日の空

 

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名誉なんかいらない

2022-01-20 19:23:29 | ブツブツ

最近大きな声で「国の名誉」なんていうヒトに「どこに名誉があるんだい?」と聞いてやりたい。

名誉なんか無くたっていいじゃないか。みんなが幸せに、そして自分なりに頑張って、相応の個人の誇りを得られれば、そして、そういう人間が受け入られる社会があれば、それ以上何が必要なんだ。

そういう国に生きても、決して名誉とは思わない。ただ、生まれた国として愛したいものだ。

「国の名誉」なんて力んでいるヒトは、果たして、自分自身の名誉が欲しいのかな?

去年、少しコロナが収まった時に行った鴫立庵の大きな丸い石。

と云うのは失礼で、日本初の海水浴場を開いた松本順という陸軍軍医の方の墓碑だそうです。

 

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重光葵『昭和の動乱』

2022-01-19 19:25:04 | 

近頃、すっかり目が悪くなった。ということは頭も悪くなったのに、kindleで重光葵(まもる)の『昭和の動乱』復刻版で読んでいる。

あまり頭に入らないが、実際にあの時代に外交官として生きた人間が書いたモノなので、戦後の学者が書いたモノより臨場感もあり、物事がよく見えていると思う。

然し、重光の評判は甚だ良くない。「重光は大のオポニュストにて今までとても軍部の色を見てはロンドンとモスクワから報告を書いていた。出世主義の雄なる者。」と清沢冽が『暗黒日記』で書いている。また『生来の保守主義で、進取の気性に富む野心家。』とH・ビックスが『昭和天皇』で書いていると、私はそれらを信じてしまう。

しかし、戦後になって、NYタイムズに載せる記事として、「真珠湾攻撃は東条の独断であって、陛下は知らなかった」という筋書きを見て「天皇陛下も責任がないということをご自分で語られることはすべきでない」と批判したとか。

その為東久邇内閣で嫌われて辞職することになり、吉田茂が外相となるのである。この方も数奇な運命をたどった人かもしれない。

1932年4月上海天長節爆弾事件で、右足を失い。この時一緒に壇上に登った白川将軍は爆死、野村海軍大将(後の米国大使)は片目を失った。

そして、終戦の時の外相は東郷茂徳であったが、戦後の東久邇内閣で外相となり、横浜沖のミズリー号に片足義足で網梯子を登って燕尾服で降伏文書に調印する。なんか、可哀想だが。

東京裁判で東條内閣の時の外相であり、特にソ連から嫌われていて禁固7年となったが、1950年仮出所した。後に吉田茂と首相の座を争うが敗れて鳩山一郎内閣の外相を務めた。彼は1957年1月死去。享年69。

この『昭和の動乱』は巣鴨プリゾンに入っていた時に書いたモノだそうだ。やっと下巻にはいったが。重光の記憶力の良さにただ驚いている。昔の人はこんなに頭がよかったのか、と感心した。

 

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何もしなくても素晴らしい

2022-01-18 18:53:02 | あれこれ

岸田さんは何もしないけど、ちゃんと話すし、嘘も多少つくだろうが、真っ赤な嘘はつかない。いかに今までの首相という職に就いていたヒトがひどい人間だったというのがよく分かった。普通の常識すらなかったのかもしれない。

野党や辛口コメンテーターの政権批判が何も響かない。どう考えても、前の二人が酷すぎたからだ。

自民党の偉いお二人は国民の平穏の為に、できればテレビに顔を出さないか、警察に捕まって欲しいが、今ではこの警察も信用できない。

でもそうなれば、少しは今の世もまともになるかもしれない。

最近は、あまりにヒトを巻き込む自殺的犯罪が多すぎる。

これもあの自民党のあの二人の8年がこの社会をおかしくしたんじゃないのかな。

政治は腐ると、本当に怖い。

足をのばして、ゆっくり暮らしたいものだ。

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