ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

どうして女系天皇がいけないのか  1

2019-05-14 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 まず、私は旧宮家の嫁ではありません。ここらへんの冗談が通じないとは・・今まで何も問題なくやってきたのに、スナッチャー様のおっしゃる通り、アイロニーがわからないのかな。

ブログの中だからこそできるものです。また私は子供達について「王子」とは一度も書いてはおりません。

繰り返しになりますが(過去記事なんて読みませんものね)「女系天皇」がいけない理由をちょっと細かく書いていこうかなと思います。

男尊女卑」だの「皇族が減っているんだから女系もあり」という考え方は、間違っているのです。歌舞伎の世界をみればわかりますように、どんなに娘が可愛くても海老蔵は娘を「市川ぼたん」にしか出来ないのです。これは男尊女卑ではなく伝統だからしょうがない。少子高齢化するから女性も歌舞伎をやる・・・っていうのはありえないことで、そうなったら静かに滅んでいくでしょう。歌舞伎の場合、たとえ海外の血が入っていようとも「男子」でないといけない厳しい世界です。宝塚もしかりで絶対に男子ではダメ(過去に宝塚ボーイがいた事は事実ですが、結果的にそんなもの、宝塚じゃないということで消えましたし)

勿論、その昔には男系女子による女性天皇が存在したのですが、明治政府はそれも禁止しました。理由は、当時のヨーロッパの価値観において「女性天皇が独身を通すのはいかがなものか」ということで「じゃあ、いっそ女性天皇もなくせばいい」といいうことになったのです。

女性天皇が立つ時というのは

 皇室の権威が著しく貶められて争いが絶えない状態の時

 一部の権力者による皇位簒奪

 天皇となるべき男子が幼い為、中継ぎ

なんですね。これ以上皇室内で争いが続くと国が危なくなるので女性天皇が立てられるのですが、さらに「女性天皇は子供を産まない存在でなければいけない」皇位継承に関してこれ以上ももめ事を起こすなよ・・・ってことなんです。

だから明治政府は男尊女卑にならないように男系男子のみとしたのです。

その点、わかった?田嶋先生

 

結論としてはこれだけなんですけど、これじゃ終わってしまうので、某大型掲示板で現代の皇室と比較して書いていたので、それを参考に書いてみますね。

【秋篠宮が壬申の乱を起こすと散々叩かれている理由】

 壬申の乱ってなあに?

 672年に起きた内乱のこと

 天智天皇の死後、大海人皇子が挙兵して天智天皇の子である大友皇子を滅ぼし天武天皇となった。

 ちょっと不思議 

いわゆる乙巳の変で日本で初めて元号「大化」が出来るんですけど、「壬申の乱」のことは「大化の乱」とは呼びません。干支で「壬申」の年に起きたから。元号より干支の方がポピュラーだったみたい。

 押さえるポイント 

 当時の皇位継承は長子とは限らず兄弟継承が多かった。理由は平均寿命の短さによる。

 当時、天皇になれる年齢というのがあって大体30歳を過ぎたころ。10代、20代は若すぎる。政治を行う年齢ではないと思われた。

 天皇になる資格として両親ともに皇族か蘇我氏の血を引いていること

 日本で初めて立太子したのが文武天皇。幼名を可瑠皇子で14歳で立太子・即位。政治には早すぎるので持統天皇が代わって政務をとる。

これが当時の天皇家の系図になります。

現在、星組の「鎌足」を見ている人には大いに関係のある系図ではないでしょうか。蘇我氏は乙巳の変で滅ぼされたように見えますが「石川」という名前に代わって、暫くの間は皇族の中でも妃を出す有力な家柄に。

 天智天皇の正室・倭姫は子供を産んでいない。

 蘇我氏の娘、越智は建皇子を産むも早世

 天智天皇の長子は大友皇子であるが、母親は采女で身分が低く、最初から皇位継承権からはは外れている。しかも年齢的にも若すぎる。

 天武天皇は両親共に皇族、妻も皇族。

つまり

 天智天皇 → 今上

 宅子郎女 → 皇后

 大友皇子 → 愛子内親王

 天武天皇 → 秋篠宮

今の状況は、天智天皇がどうしても大友皇子を皇位につけたくて太政大臣に任じつつ、病を得て「いや、弟に任せる」と言っているような時代なのです。秋篠宮が口に出して「わかりました。では皇位につきます」と言ったら最後、殺される。今は吉野に向かう日がいつになるか数えている状況です。

天智天皇だって当時のことを考えれば倭姫以外に有力な豪族と縁組を結ぶことの重要性はわかっていた筈です。身分的にも越智郎女が最も最有力の後ろ盾を持つ女性でしたが、蘇我氏が滅ぼされ、自分の父親も夫に殺されると言う憂き目にあってから精神を病んでしまいます。

また、天智天皇は同母妹である間人皇女との道ならぬ恋の噂もあり、正妃を立てられない理由があったものと思います。

天智天皇、すなわち中大兄皇子は政治的にも結構失敗が多くて、あまり人気があったとはいえず、よって即位も遅れたとみる向きもあります。

天智と越智の間に生まれた建皇子は生まれた時から口がきけない子でした。でもだからこそ皇極天皇に非常に愛されて育ちました。

 また皇極天皇は越智の長女・大田皇女と建皇子には「皇孫」の称号を与えましたが、鵜野皇女には与えませんでした。今でいうなら眞子内親王と悠仁親王は皇孫だけど佳子内親王は違うということでしょうか。

これは多分、意地悪というより序列の問題だったのかなと思います。また皇極天皇にとって太田と建は非常に精神的に近い存在だったのかもしれません。

しかし、鵜野はこのことを後々まで忘れずにより一層ファザコンになってやがて自らが皇位に着く・・・とも考えられるのです。

それはそれとして。

次に・・・と思ったけど、思えば皇極天皇は何で即位したんでしょうね?次回はそこからお話を始めましょう。

 

 

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それでも美智子さま

2019-05-13 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

令和になっても美智子さま神話ですわね。

昭和42年、軽井沢にて。

白のバングルが新しいっぽいですね。浩宮は何だかぼおっとしてます。ところで礼宮はどこに? ああ、松本城を見学だから置いて来たんですね。

お城見学には向かない服装かも。

 

 

昭和42年5月、国際親善の公務で訪問した南米から帰国。

クリーム色のノースリーブのツーピース。紫外線が・・・もう少し長いグローブの方がよかったのでは?

 

当時はきっと長いのはなかったんでしょう。

 

昭和42年5月、東京・日比谷で行われた日本赤十字社創立90周年記念大会に出席。独特な手の組み方と歩き方。

後ろの華子妃の靴はちょっと変わってていいですよね。

同色の帽子にしようとは思わなかったのかしら?

 

昭和42年6月、東京・日比谷公会堂にて。昭和42年はノースリーブの年と命名すべき?

よく、こんな足が出来るものかと。

 

だからブローチが上すぎるて!!

 

昭和39年8月、皇太子と長野・八方尾根で登山を楽む。

グレーのパンツに黒シャツって眞子さま達が生まれた頃とか海辺でよくお召しでした。

腕まくりして血管が見えています。鬘がすごい。

 

凝った麦わら帽子で。

仲睦まじいのはいいけど、子供は乳母に預けっぱなし?

今ならバッシングされそう。

昭和42年7月乗鞍岳に。

目いっぱい「私が主役」を発揮して、浩宮はぼやーーー

こんなに綺麗なお母さまでよかったですね。浩宮殿下。でもこの三つ編みも鬘?

 昭和43年8月、浜名湖で。皇太子と浩宮は海水浴中。

つまんなそうな礼宮。でも「私が主役で私さえ笑っていれば」という母君です。

昭和45年10月、日光・刈込湖を訪れた皇太子夫妻。足の組み方、何かを拾って見ている風景もまるで女性雑誌の表紙のよう。

 

昭和39年11月。東京パラリンピックレセプション。本当に綺麗な着物です。

描かれているのは菊でしょうか?着道楽ですよね。

昭和42年7月、東京・九段会館で行われたBBS大会にて。

服は定番ですが帽子が・・・こんなに後ろで止めて花を飾っているんですね。

昭和42年7月。カナダにいく三笠宮のお見送り。

小さなブローチとブレスレットがポイント。でもちょっとシワっぽくなってますよね。


背中はくるみボタンだそうです。

昭和42年5月。同じ服でもブローチではなく花を飾って。



 

 

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毎日が美智子さま  19

2019-05-05 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和40年5月、東京・伊勢丹で開催された「こどもの本この百年」出席。

帽子で額が隠れるのが嫌い。ということはわかりました。手袋もベージュか茶色にすればよかったのに。


昭和43年6月、東京・上野文化会館で日本フィルハーモニーを鑑賞

目立たないけど4蓮パールなんです。もう少しオフィシャルでもよかったんじゃないの?


昭和46年8月、静岡・三津天然水族館を見学。

確かにおしゃれなデザインだし、これなえあ今だって着ることが出来ますよね。

眞子さまや佳子様だって。

昭和41年8月、鳥取県にて。これが有名な「オードリー・ヘプパーンもどき」のスタイル。

サングラスに白尽くし。まるで避暑地へ来たような。

パールのブレスレットが光る。


昭和41年9月、大分県各地を訪問。七分丈の袖に大きなボタンが可愛い。

帽子はよく使いまわししてます。

まあ非常にかわいらしさを演出していますよね。


昭和41年9月、大分県各地を訪問。このスタイルはよく見るものですね。

だけど同じ服に帽子とコサージュをかえて演出って・・これはちょっと・・・


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毎日が美智子さま 18

2019-04-25 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和45年10月、鎌倉近代美術館のムンク展を鑑賞。

上質なシルクのスーツにふあっとした帽子。そしてバッグは当時は流行っていた形ですよね。

昭和46年4月東京・日比谷公会堂の身体障害者福祉大会。

なんだか、こっちの方が同じ服でもカジュアルに見えちゃう。

昭和45年11月、中央技能センターを訪問

ピンク尽くしのコーディネートの中でもやっぱりこの帽子がお気に入り。


昭和46年9月、昭和天皇ヨーロッパ訪問で羽田空港で。ピンクにはベージュを合せるのが美智子さま風だそうです。

昭和38年9月、山口国体を訪問したついでに宇部興産を訪問。

麦わら帽子が好きなんでしょう。でも当時はどうだったのかなあ。リゾートじゃないのに。


昭和45年9月、岩手夏季国体。これはかなり使いまわししているスーツですよね。

顔がやつれているのは、この頃がピーク?

帽子だけが異様に目立つ。

言葉は悪いけど岩手は使いまわしばかり。

コサージュが大きすぎるのもいつも通り。

昭和45年3月、平城京跡を視察。まさにモデル系の立ち方でポーズを決める皇太子妃。

皇太子は痩せた金正恩?

 昭和40年6月、東京・東武デパートにて。「この角度から撮影を許す」といった感じのポーズ。ここまで水玉を好みで徹底的に着るってのも美智子さま流。

でも庶民はさぞやこの水玉が欲しかったろうなあと。

昭和49年11月、茨城県にて。立食パーティのようですが。

ベルトが印象的なスカートです。

袖も膨らんでいて少女漫画みたいですよね。

すでに鬘・・・・

どうして紺色のスーツに緑の帽子なのかわかりませんが。

昭和44年7月、日本点字図書館を視察。

眉毛が消えかかってますけど・・・・


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毎日が美智子さま  17

2019-04-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和39年8月、黒部ダム。なで肩なのが非常に目立つ着こなしですよね。

今時ならあまりしないファッションです。


昭和42年8月、ユニバーシアード選手村を視察。

とにかく自分はノースリーブ大好きでどこでも出しちゃうんだけど、孫娘には許さないという矛盾が。このワンピースもよく似合ってますが、出来れば少し胸があった方が?でも当時は斬新なデザインだったんでしょうね。

昭和43年6月、東京・国立博物館の法隆寺展へ。若草色なんですって。あ、でも足の形が変なのが目立っちゃう。

一端水玉と決めたらぶれないタイプ?


昭和41年7月、青森県を訪問。東北の人はこのいかにも都会的なハイソな服装にびっくりしたでしょうね。

ラベンダーブルーのロングスカーフがアクセントなんですって。

昭和41年8月、鳥取県各地を訪問。ワンピースと帽子の色が全然あってません。

昭和42年3月、東京・日本武道館にて明日を築く青少年のつどいに出席。

帽子は素敵だからとっておいて眞子さまや佳子様に差し上げて欲しかったです。

そういう優しさがみじんもないんですよね。皇后陛下って。せめてサーヤに上げるとかね。

昭和43年8月、軽井沢へ向かうために東京駅。子供の顔より自分の顔!

昭和43年3月、愛知県と大阪府を視察。大きすぎるコサージュが・・・・

まるでスッチーみたいだなあと。

昭和39年5月、羽田空港にて。ボレロ風ジャケット。長い手袋。これぞハイソです。


昭和42年9月、埼玉県を訪問。Aラインのドレスは太って見えるって。

帽子の色を変えて喪服に見えない様にしているんでしょうけど、でも帽子に入ったさし色が合わないような気がします。

46年8月、徳島市役所。大きな襟が肩までかかって、怒り肩に見えるようになっているんでしょうか。そして上すぎるブローチもいつも通り。

このあたりから多分自分の肩をいかに強調するかと考え始めたのかもしれません。


昭和43年9月、福井県を訪問。時々、姿勢がとても悪く見えますよね。

それにしても千鳥格子のツーピースに青いぼうしを合せるって考え付かなかったな。

昭和43年9月、東京・日本橋東急百貨店で行われた日本の伝統民具展を視察。

帽子の色に合わせてブローチはターコイズを使用。

昭和45年6月、大阪の博愛社にで。どおってことのない服ですけど帽子が目立つ。



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毎日が美智子さま 16

2019-04-15 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和42年9月、埼玉の川口鋳物工場を視察。いわゆるキューポラのある街ですね。

白に見えるけど本当は淡いブルー系だそうです。帽子のコサージュがそれに合わせているんですって。でも何だか変なところにブローチがついていませんか?


昭和39年3月、東京文化会館小ホールでハープのリサイタルを鑑賞

全身シルバーでネックレスが隠れています。ちょっと変わった形のドレスですよね。

昭和39年 全身ピンクです。ワンピースの上にコートを羽織るのが定番。

桜の花束にピンクのチュールの帽子。

何だかどこかの文化住宅でも訪れた感じですけど。ふくらんだ袖は庶民の憧れでしたよね。

昭和41年7〜8月、青森県を旅行 ペイズリー柄のスーツ。コサージュがPTAっぽい。

こんなレース、うちの母もよく着てたし私もワンピースを作って貰ったなあという懐かしい感じがします。

昭和45年6月、東京・東洋美術館にてスペイン美術展を鑑賞。

脚の皮膚の色が違って見えるんですけど、どういう脚の組み方しているの?

白ジャケットに水玉を合せるってこのころの流行なんでしょうかね。

昭和45年7月、大阪万博へ。この足の角度で撮って下さい的な写真。


昭和44年9月、長崎を訪問。ほら、こんなに同じ服を着ているのよって感じ。

45年3月、千葉の房総を訪問。同じように見えて微妙に違うインナーと帽子。

国民には着回ししているように見えたかも。

昭和41年12月、鎌倉でテニス。

昭和38年9月、福岡空港にて。二の腕が細いからノースリーブもお似合いですね。

まさしくオードリー風です。

帽子、手袋などを変えるだけで違う印象に。帽子はお気に入りの?

軽井沢ではカジュアル感がありました。


昭和39年8月、テニスコートにて。

まさに憂いをふくんだあたくしです。髪の盛りがすごい。




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毎日が美智子さま 15

2019-04-10 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和43年6月、東京・聖心女子大学で行われた身障者英語弁論大会出席時。

カジュアルに見えるけどインナーはレース。ブローチは上すぎ。

でもピンクの帽子は何だかな。同色系でまとめちゃいけなかったのかしら?

あ、目立たない?

教室なのかしら?お花が置いてありますね。

 

帽子の素材が問題なのかしら?

昭和46年1月、西武デパートで行われた天皇古希展を見学

よりベージュ感が強いピンクの帽子に長手袋。持ってるだけですよね。

何気にインナーがおしゃれです。

昭和45年2月、マレーシア出発時。

以前出たスーツ。いつからストッキングがグレーになったんでしょう。

帽子の色で変化をつけました。

 昭和45年3月、大阪万博にて。

中はピンクのワンピース。その上からコートを着てるんですね。

定番の白の帽子に手袋、アクセサリーです。

 昭和41年3月、一家で横浜の氷川丸へ。

浩宮を真ん中にするんじゃないんだなあ。

独身時代を彷彿とさせる髪型と洋服にカチューシャ。トレンチコートの皇太子。

どこまでも自分が主役なのね。

昭和40年7月、軽井沢にて。

11月30日に礼宮を出産する筈なんですけど・・・・

ここでもカメラの時は自分が主役。浩宮はおとーさまが好きよね。

ちょっと待ってね。流行の水玉ドレスにバッグがおしゃれでしょう?

髪もしっかり盛ってるし。

昭和43年7月、広島・呉港。

こういうジャケットにあのインナーは珍しいかも。普通はまっすぐなラインですよね。パフスリーブになっているんですって。

昭和44年8月、群馬県訪問。同じスーツの下は水玉ブラウスで、水玉帽子。

これらの帽子って骨があって上に布をかぶせるだけで使いまわしが出来るタイプなのかしら?

今度はまたインナーと帽子を変えて。よほどお気に入りのスーツなのか、同じ県で二度着ているんですね。

昭和40年1月、成人の日に行われたNHK青年の主張全国コンクールに出席。

随分肩が落ちていますよね。

服もだぶだぶの感じでかなり痩せているのかしら?

立っている時はそうでもないけど。

何気にゴージャスなスーツで羨ましい。


 


 

 

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毎日が美智子さま 14

2019-04-05 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

この頃の美智子妃は帽子が大きいですね。

昭和46年2月、北海道・札幌にある真駒内養護学校を訪問

なんじゃ?この大きなクリーム色の帽子は・・・・まるでお鍋の蓋です。


昭和43年 葉山にて。

横からみるとそうでもないけど真正面からみると、結構ぼて見えますよね。

親子コーデなんですって。


昭和44年8月。群馬県に。

草原で風と戯れる私。エンジェルハットが可愛いでしょう?

ちょっとスッチーみたいですよね。


昭和44年7月、東京・上野文化会館にて。美智子妃作曲「おもひ子」発表。

作曲家としてデビューですの。


昭和44年9月、長崎にて。

美智子妃としてはやたらまともで地味な装いです。


やっぱり帽子の飾りがすごいです。



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毎日が美智子さま  13

2019-04-02 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 平成の光明皇后ですかね・・・・仲麻呂さんがどこかにいるのかしら?

 

昭和44年9月、長崎国体…

コサージュも流行があったんでしょうね。これはまあ・・・

でも帽子がやっぱり大きすぎると言うか。コサージュが花。そして貰ったのも花。

花尽くしですね。

昭和37年6月、東京・晴海鉄道博へ。まるでオードリー・ヘップバーンもどき。

ただ胸があまりないので上半身が貧弱に見えている気がします。

ブローチはもう少し下でもいいんじゃないかしら?

昭和39年6月、東京・羽田空港でマレーシア国王をお出迎え。

帽子とスーツが合ってないような?手袋もたるんでる感じ。6月だしこんな暑苦しい手袋しなくても・・・いや、当時はありだったんでしょうね。

それにしてもインナーが変。2連パールの方がいいんじゃない?

 昭和38年1月、東京・両国国技館

Aラインのコート、同じ型の帽子、手袋、ロマンチックスタイルだそうです。

前にリボンをつけるのが好きだった?年齢を考えるとどうなのかしら?

 

昭和37年5月、宮崎・えびの高原にて。まるで静養中のような美智子妃とダブルのヤクザっぽいだぼだぼスーツを着ている皇太子。この写真は絶対に別人説出ますよね。

昭和41年11月、京都にて。

よくもまあ、手の合わせ方からしてポーズ取れるなあ。「ここよっ!」って顔だもの。

このちょっと「悲しみ顔」も「マリア像」を意識しているのかしら?

昭和41年7月、東京・上野文化会館で開催された桑島すみれハープリサイタルで。

かなり細いのにこんなに体型があらわになったら肩が落ちそうですよね。肩幅ないのにこういうのは無理だと思います。

かつらもやたらもってるし。

横からみると髪が・・・とにかく髪がすごいです。プロですね。


中はノースリーブの黄色ワンピースです。

昭和41年7〜8月、青森県を訪問した時、寒かったのかマントを着てます。

レインコートみたいだけど、これがいわゆる「ケープ」のはじまり?

シワが残念なことに。シンプルだけど贅沢に見えます。

白の帽子が大きすぎるような?ノースリーブ、本当にお好きですよね。

 昭和41年6月、東京・西武デパートで日本山岳会創立60年記念展を見学

ドット柄・・・ではなく、当時は水玉と呼ばれたインナーと帽子。

この頃こそ「おやつれ」状態です。

昭和40年7月、家族で軽井沢へ。

これ、普通のワンピースに見えるけど・・・妊娠5ヶ月くらいの筈ですよね。

昭和45年7月、海の記念日記念式典。

細かい水玉。バッグがやたら大きいです。

昭和46年8月、徳島・香川を旅行。

紺地に水玉。

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毎日が美智子さま  12

2019-03-27 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

昭和45年3月、千葉・房総への旅行で。

まさにこれぞ美智子妃が考える「最高の私」スタイルではないでしょうか。

そもそもハイヒールで来ること自体が間違っているっていうのに。

バッグに手袋もって「皇太子殿下に手を繋いで頂いて」と自慢げ。


昭和46年2月、北海道のサッポロビール工場見学。

ターバン帽子がお気に入り。マフ・・・って今見ませんけど、ブルジョアの象徴でしたよね。


昭和45年10月、秋田県の八郎潟にて。

ミニ丈のチェックのワンピースに同じチェックのターバン帽子。

白いコートをつけて。帽子が姉さんかぶりのようになってます。

このころ、ちょっとやつれ気味で「いじめられてます」印象が最高潮に。

昭和45年10月、秋田県の雪沢山荘にて秋田犬を見学。女の子の顔が緊張でがちがち。


昭和39年3月、千葉県を旅行。

旅行っていうのは私的なものですね。意外と私的な旅行をしていたのだとわかります。

スーツと帽子があってないような気がするのですが。

 

昭和45年1月、母校である聖心女子大学の同窓会。

女官が手袋をしているんですよね。

モスグリーンの帽子も好きな方でしょうか。


昭和38年9月、山口国体にご出席した際にときわ公園を訪問

スーツの上にコートを着て、麦わらのような帽子。まさにかわいらしさ満開です。

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