初回はとにかく例の「全裸」で大絶賛。
「攻めてる」と大好評なんですけど。うちの姫は1話で挫折。
私ももう1話見て・・・せめて花總まりと珠城りょうの行く末を見てからと挫折するか?と自問自答。
とにかく、話が詰まらない。誰が主役かわからない。山場なし。オチなし。
女郎の悲劇で何で田沼意次に直談判する?いくら平賀源内に言われたからってさ。
え?吉原がCG?あまりにも下手すぎる
まず、このドラマ明和9年の吉原炎上から始まるわけです。
しかし、無論炎から何から全部CGで少しも緊迫感が出ないのです。
禿の女の子二人が大火事なのにおいなりさんに拘るのもわからないし。
と、思ったらこのおいなりさんが綾瀬はるかだったんですね。
見て下さい。この着物の色の悪さを。
少なくとも神様なんだし、田舎の娘じゃないんだからもう少しいい着物を着せて上げられなかったのか?
「史実です」と言われたらそれまでだけど、文化・文政期にこんな色?
確かに「朱色」はオーソドックスな女郎の色だけど、そこはもっと赤をきかせるとか。ねえ?
背景が全部CGですよ。
頭きちゃう。大門や店をセットで作るお金がないならドラマを作るな!
ちゃちいにも程がある。
このドラマの主となる舞台をCGって何の冗談?
「仁」でもこんなちゃちなシーンは出てこなかったと思います。
衣装デザイン誰?大道具さん、誰?ギャラにかかってセットを作るお金がなかったのか?と。
渡辺謙も里見浩太朗もいらないから、吉原らしい華やかさを出してほしかったです。
それというのも、いわゆる「吉原」は私達の世代は小さい頃からドラマで見慣れているのよ。令和が昭和にも劣る華やかさってどういう事なのかしら?
え?蔦重の子役時代がないの?
通常の大河ドラマは、まず主人公の背景を描く為に子役を出して、一連の「きっかけ」を作るわけです。
ところが、今回はしょっぱなから大人の蔦重が登場して颯爽と活躍。
NHKを一杯見て、蔦重のおいたちをよく知っている人ならそれでもいいけど、多くの視聴者は「この人、誰?」状態なのよ。
いくら「親が死んで蔦屋に引き取られて・・虐められて」と言われても、そもそもなんで吉原に男の子がいるのか、そこから始めてくれないとね。
蔦重は「吉原のサラブレッド」と言われています。
それというのも、生まれも育ちも吉原。両親や親戚が吉原で働いていたらしい。両親共に名字を持っていたし、本名が「柯理(からまる)」といい、教養がないとつけられない名前だなと思いました。
その両親が離婚したため、茶屋を営む喜多川家の養子になり、屋号が「蔦屋」だったので、「蔦屋重三郎」と名乗る事になります。
やがて彼は成長し、貸本屋を営む事で独立するわけですけど、ドラマは貸本屋から始まっています。
本当は小さなからまるが、両親と別れ親戚筋の喜多川家に引き取られて様々な苦労に出会い、それを助けてくれたのが朝顔だった・・という話なら受け入れられるけれども、全部後出しのセリフで言われても、正直共感出来ないんですよ。
主役の蔦重よりも朝顔の方が目立つ
まずは、女郎の「光と影」を描こうとしたのだと思います。
しかし、子供のからまるが小さい頃から見ていた女郎の喜怒哀楽がなく、突如、花魁の花の井と病気の朝顔を対比させてもやっぱり共感出来ないわけ。
同じ年頃の花の井が禿を経て花魁になっていく過程と朝顔が売れっ子から病気によりどん底になるまでを小さいからまるの目線で描いていないので、あまりにも突然すぎてしまうんですね。
もうね、朝顔が出てきた瞬間死亡フラグ立ってて「あ、結核だわ。これは1話で退場だわ」と思い、なぜ茶屋に格差があるのかとか、なぜに朝顔がこんなになってしまったのかとか納得できないまま、いきなり死んで全裸で打ち捨てられているわけです。
ちゃぴ様を心から敬愛するヅカファンの私からみると「よくもちゃぴ様を全裸にしたな!」と怒り心頭!
いくら上にセクシー女優を起用しても、7時間の撮影の間、ちゃぴ様は上に女性がのしかかっているのに、一度も文句を言わず耐えたと言われても、これはなんだ?大河?いや、ただのイロモノではないのか?と思わずにいられません。
要はね、「品」がないんですよ。
女郎に品を求めるなと言われても、そこは大河ドラマだよ。
史実をそのまま流せばいいというものではないでしょ。
そこまでしないと悲惨さが伝わらないと思ったのか?
あれではアウシュヴィッツのユダヤ人の死体のようで、気持ち悪くて思わず目をそむけました。「シンドラーのリスト」じゃないから。
でも、その「女優魂」を前面に押し出した事で愛希れいかは女優としての名声を確立したともいえるわけで。
え?あ?主役は横浜流星だった・・・・忘れてたよ。と言う程に存在感がないのでした。
粗末な花魁道中
吉原に斜陽が来ている事を示す為なのか、とにかく粗末な花魁道中で。
小芝風花の演技力がなかったら終わってた。
それにしてもまあ、衣装がひどいこと。朱色にオレンジに青って配色がもうダメ。吉原は江戸一の歓楽街でしょう?
そこを花魁道中するなら、もっといい衣装があった筈。簪も紅白の石川さゆりのべっこう簪の方がよほどおしゃれでかっこいい。豪華。
この時代、宿場町に非公認の岡場所が出来て、川べりには夜鷹がいて、最終的には鉱山などの飯盛り女がいて。そういう「女を売る」人は多々おり、客をえり好みしてきた吉原はちょっと斜陽気味。
いや、だからって江戸一番の「矜持」を表現しないでどうするよ。
暴力といじめの表現が
1話目から吉原で無理難題をふっかける長谷川平蔵。ここで、いたずらに茶屋を挑発する世間知らずな武士達に「さすがにこれは・・・」と思っていたら、
朝顔が死んで何とか女郎の生活がよくならないかと茶屋のおじさんたちの集まりに顔を出す蔦重。しかし、おじさんたちは食べ物を投げつけ、蔦重をふっとばす。
いくら「越後屋」の集まりでも食べ物を粗末にしないだろうし、いきなり暴力?と思ったら、田沼に訴えて帰ってきた蔦重がなんと!棺桶に閉じ込められる。
私、思わず「棺桶!信じられない」って言ったら姫が「米櫃じゃないだけいいじゃん」と。
そうなんです。韓国ではトンイの息子の英祖が事もあろうに自分の息子を米櫃に入れて餓死させたと言う史実があるのです。
まるでそれを彷彿とさせる場面にあっけに取られてしまいました。
文化や芸術の花が咲き誇った吉原の茶屋の主達がそんな下衆な事をするかな。
三日三晩も閉じ込められるなんて、戦国時代じゃあるまいし。
やっぱりNHKには韓国と中国文化が生きているんだなと実感しました。
「このべらぼうめ!」というセリフの表現が暴力に繋がるのはドラマ的に正しい事なんでしょうかね?
ちらっと出てきた珠城りょう女郎、まあ、女郎には見える。
でも次回出て来る花總まりには叶わない。
っていうか、吉原と大奥がどう繋がるっていうんでしょうか?
これからも文句を言い続けようっと。