昨日の「菊次郎とさき」はお風呂のお話でしたねーー
「一番風呂は一家の主の証」に目を輝かせる菊さん、おちゃめで可愛らしかった。
でもーーその裏には「オレは一家の主扱いされていない」というコンプレックスが多分に
あるんですよねーー
だから、さきさんを殴ったりぶっとばしたり・・派手に暴れるわけだーー
うちのシゲルは暴力は振るわなかったけど、人間的には菊さんみたいな人で
(菊次郎を大陸的にした感じ?)
「一番風呂」にこだわる気持、痛いほどよくわかります
菊さんが「一家の主扱いされていない自分」を感じるのはさきさんのこの言葉。
とうちゃんみたいになるよ
おばあちゃんも「お前、その言い方はよくないよ」と注意するけど、さきさんは
どこ吹く風
タケシが悪さするたびに「そんなことやってるととうちゃんみたいになるよ」
「とうちゃんみたいになりたいのかい」
そればっかりなわけですよ
タケシは別として多分上の子達は「なりたくないよなー」とか「ああいう人とは
結婚したくないわ」とか思ってる筈。
一番下のタケちゃんはまさに純粋培養の「菊次郎ジュニア」だったのかな
さて「さき」さんがとうちゃんみたいになるよが口癖だったのと同様に
うちのミチコにも口癖がありました。
それは私の家系にバカはいないあるいは、
東北は九州より30年は遅れてるあるいは内地の田舎者
(きゃーーっ。怒らないでね)
ねーーっ。過激でしょう
こういうセリフを小さい時から延々と言われ続けてごらんなさい
ほんっと、そこまでいうかーーーと怒りまくったものでございます
ございますが、あまり言い返せなかったのも事実で・・トホホ・・
まず「私の家系にバカはいない」っていうのはですね。
暗に大卒のいないFuBuKi家をバカにしているセリフです。
ミチコの家は元は九州は熊本の庄屋の出。西南戦争で負け組に入って財産を
失ったので台湾に移り住んだ家系。
ゆえに、「学問」だけが身を助けるとばかり、ミチコの父は小学校の校長先生。
ミチコの兄弟姉妹は全員教師。その子供達もそれぞれ戦後東大だの芸大だのって
そりゃあ・・すごい学歴の持ち主ばかり
毎年のように「姉さんの二番目の子の息子が私立の高校に受かったって。
すごく優秀なのよ」と聞かされ、
「それに比べてあんたは・・お父さんに似たわね」と言われるのが辛かったわーー
二番目の東北は九州より30年遅れてるっていうのは、あからさまな東北蔑視です。
これはですねー
台湾から引きあげてきた時に仙台で随分苛められたんですよーー
それまで台湾で文化的に高い生活をしていたのに、仙台に帰って来た途端、
井戸水だわ、使用人がいないわ・・もうショックの極み
で、いつも口っぽく「東北なんてねーー九州に比べたら30年は遅れてる」と言って
自分を慰めていたようです
実際、小学生の時、私は福岡・長崎・宮崎・熊本と回りましたけど、そんなに違いが
あるとは思えず・・・まあ、確かに南の方の人って前向きで明るいなとは思いましたけどね。
で、3番目の内地の田舎者
これはねーー、よくシゲルとの会話で出て来ていましたけど、
台湾での生活がかなり質が高かったみたいなんですよ
文化的な生活+日本人の教育者という事で尊敬される事も多かったですしね。
でもこっちに帰って来たら(特に仙台では)言葉は通じないわ、視野が狭いわ、
なーんか・・・感覚が合わないっていうんですか?
両親ともに、ギャップを感じていたらしくて・・・で、時々そういう事を言って
鬱憤をはらしていたというわけです
(今でいうところの帰国子女感覚かな)
でも私は基本的に「仙台生まれの仙台育ち」ですから、あまりに東北蔑視されると
ついつい「それなら台湾に帰ればいいじゃない!」と言い返していました。
ミチコの家系が学力優秀なのは認めるし、私がまるっきりお勉強できなかったのも
事実で・・・(おまけにミチコの親族はみんなよく似てる。丸顔でおでこが広くて
目がぎょろ目で鼻が高いの・・その正反対の私はまたコンプレックスを募らせました)
なーんていうか、私もシゲルもいっつもミチコやその親族には
妙なコンプレックスを持ち続けていました
シゲルは特にミチコが「私のお兄さんは学歴優秀で公務員で素敵な人」と
言いつづけたもんですから、心中はいかに・・・
シゲルは晩年「FuBuKi家の主は一体だれだーー」とウイスキー片手に
ぎゃあぎゃあ言っておりましたっけ
菊次郎さんのあの暴れっぷりが私にはとーっても切なく感じます
「一番風呂は一家の主の証」に目を輝かせる菊さん、おちゃめで可愛らしかった。
でもーーその裏には「オレは一家の主扱いされていない」というコンプレックスが多分に
あるんですよねーー
だから、さきさんを殴ったりぶっとばしたり・・派手に暴れるわけだーー
うちのシゲルは暴力は振るわなかったけど、人間的には菊さんみたいな人で
(菊次郎を大陸的にした感じ?)
「一番風呂」にこだわる気持、痛いほどよくわかります
菊さんが「一家の主扱いされていない自分」を感じるのはさきさんのこの言葉。
とうちゃんみたいになるよ
おばあちゃんも「お前、その言い方はよくないよ」と注意するけど、さきさんは
どこ吹く風
タケシが悪さするたびに「そんなことやってるととうちゃんみたいになるよ」
「とうちゃんみたいになりたいのかい」
そればっかりなわけですよ
タケシは別として多分上の子達は「なりたくないよなー」とか「ああいう人とは
結婚したくないわ」とか思ってる筈。
一番下のタケちゃんはまさに純粋培養の「菊次郎ジュニア」だったのかな
さて「さき」さんがとうちゃんみたいになるよが口癖だったのと同様に
うちのミチコにも口癖がありました。
それは私の家系にバカはいないあるいは、
東北は九州より30年は遅れてるあるいは内地の田舎者
(きゃーーっ。怒らないでね)
ねーーっ。過激でしょう
こういうセリフを小さい時から延々と言われ続けてごらんなさい
ほんっと、そこまでいうかーーーと怒りまくったものでございます
ございますが、あまり言い返せなかったのも事実で・・トホホ・・
まず「私の家系にバカはいない」っていうのはですね。
暗に大卒のいないFuBuKi家をバカにしているセリフです。
ミチコの家は元は九州は熊本の庄屋の出。西南戦争で負け組に入って財産を
失ったので台湾に移り住んだ家系。
ゆえに、「学問」だけが身を助けるとばかり、ミチコの父は小学校の校長先生。
ミチコの兄弟姉妹は全員教師。その子供達もそれぞれ戦後東大だの芸大だのって
そりゃあ・・すごい学歴の持ち主ばかり
毎年のように「姉さんの二番目の子の息子が私立の高校に受かったって。
すごく優秀なのよ」と聞かされ、
「それに比べてあんたは・・お父さんに似たわね」と言われるのが辛かったわーー
二番目の東北は九州より30年遅れてるっていうのは、あからさまな東北蔑視です。
これはですねー
台湾から引きあげてきた時に仙台で随分苛められたんですよーー
それまで台湾で文化的に高い生活をしていたのに、仙台に帰って来た途端、
井戸水だわ、使用人がいないわ・・もうショックの極み
で、いつも口っぽく「東北なんてねーー九州に比べたら30年は遅れてる」と言って
自分を慰めていたようです
実際、小学生の時、私は福岡・長崎・宮崎・熊本と回りましたけど、そんなに違いが
あるとは思えず・・・まあ、確かに南の方の人って前向きで明るいなとは思いましたけどね。
で、3番目の内地の田舎者
これはねーー、よくシゲルとの会話で出て来ていましたけど、
台湾での生活がかなり質が高かったみたいなんですよ
文化的な生活+日本人の教育者という事で尊敬される事も多かったですしね。
でもこっちに帰って来たら(特に仙台では)言葉は通じないわ、視野が狭いわ、
なーんか・・・感覚が合わないっていうんですか?
両親ともに、ギャップを感じていたらしくて・・・で、時々そういう事を言って
鬱憤をはらしていたというわけです
(今でいうところの帰国子女感覚かな)
でも私は基本的に「仙台生まれの仙台育ち」ですから、あまりに東北蔑視されると
ついつい「それなら台湾に帰ればいいじゃない!」と言い返していました。
ミチコの家系が学力優秀なのは認めるし、私がまるっきりお勉強できなかったのも
事実で・・・(おまけにミチコの親族はみんなよく似てる。丸顔でおでこが広くて
目がぎょろ目で鼻が高いの・・その正反対の私はまたコンプレックスを募らせました)
なーんていうか、私もシゲルもいっつもミチコやその親族には
妙なコンプレックスを持ち続けていました
シゲルは特にミチコが「私のお兄さんは学歴優秀で公務員で素敵な人」と
言いつづけたもんですから、心中はいかに・・・
シゲルは晩年「FuBuKi家の主は一体だれだーー」とウイスキー片手に
ぎゃあぎゃあ言っておりましたっけ
菊次郎さんのあの暴れっぷりが私にはとーっても切なく感じます