太王四神記・・・二千年の時を越えて
タムドクはスジニと再会する。
火天会はアジクの存在を知る。
火天会はコムル村を全滅させ、白虎と玄武の神器を手に入れる。
後燕・火天会と高句麗の死闘が始まり、フッケ・コ両将軍が死ぬ。
ホゲもついにタムドクに殺される。
アジクは火天会に捉えられ、キハに乗り移った長老の手で
殺されそうになり、それゆえにキハが黒朱雀に変身してしまう。
タムドクは天弓を折る。
最終回に関しては、韓国で賛否両論が起こっているのを知って
いましたので、正直、見るのが怖かったです。
賛否両論のポイントは
タムドクとスジニの関係は?
4つの神器と守り主はどうなったの?
でした
私は1回見た限りでは「よく出来た脚本だな」という感想です。
神話のシーンではファヌンの子を産んだのはセオで、キハが落として
セオが黒朱雀になりました。
そしてファヌンは涙を呑んで天弓でセオを殺してしまうのですが、
今回、タムドクの子を産んだのはキハで、キハが黒朱雀になり、
タムドクは天弓を壊してしまうことで決着をつけました。
非常に対比がしっかりしているというか・・・そんな印象を受けました。
要するにタムドクの「やるべき事が見つかった」というのは
天弓を壊すことで神話の世界から完璧に人間の世界に変わった・・・
つまり、天に左右されない人間だけの世界がここから始まったという
事ですね。
「お前を信じきれなかった。キハ、すまなかった。
人は誰でも罪を犯す。天に伝えたい。それが人間なのだと。
人間は過ちを悔い改め知らないことを学ぶのだ。
天が問いかけている。自らの力で生きられるのか、それとも
天の助けが必要なのかと。それに答えるのがチュシンの王であり
王が果たすべき役目なのだ。答えを告げよう。
私は人間を信じる。いつか必ずチュシン国は作られる。
私の見果てぬ夢は後世の誰かがかなえてくれる。
天の力を天に返す。だからもう大丈夫だ」
そういってタムドクはキハの元へいくのですが、これってやっぱり「死」
って事ですか?
天弓を壊したことで自らの命も奪った・・・無論、守り主も。
じゃあ、何でスジニは大丈夫なの?アジクは天孫だけどチュシンの王では
ない?
様々な矛盾点が浮かんできます。でもこの最後の台詞にこめられた
宗教観はキリスト教的かなとも思いますが、親鸞の教義にもよく
似ていて・・・つまり、全ての宗教観そのものなのかもしれませんね。
こういう結末でもしょうがないかな・・・とは思います。
ただあと30分あったらスジニとの関係や神器と守り主のその後も
描けたのにと思うと残念です。
何よりも、ヨン様の疲弊ぶりが際立っていまして・・・・
歩くのもやっとってのが見えちゃって痛々しい。しかも顔は蒼白で
むくんでいるし。ホゲが最後まで若いままだからよけいにタムドクの
疲れ振りが目立ってしまったような感じ。
(後姿はとにかくヨン様じゃないし、別々に撮ってるのがわかる
シーンもありましたね)
火天会の長老の死もあっけないというか。あっさりタムドクに
倒されたのはアジクの血を吸った神器の威力があったから?
(そこらへんが今一つ理解出来ないっていうか・・心臓じゃなくて血
でもいいわけ?みたいな)
フッケ将軍とコ将軍が死ぬ所では涙・涙のオンパレードで、
特にコ将軍を抱きかかえるタムドクの瞳はせつなさ一杯でした。
あんなにあっさりホゲがタムドクにやられるとしたら、あれはやっぱり
ホゲも死ぬ気だったのかなと。だからわざとコ将軍を殺してタムドクを
挑発したのかもしれないと思いました。
結果的にタムドクはキハのところへ行ってしまったの?
だとしたらスジニはどうなるのおーーー
タムドクの子供をこれからも一人で育てていくの?高句麗の王様に
なるの・・・?でもタムドクの子という証明がないし。
フッケ将軍とその息子さん、目元そっくりで・・・やっぱり実の親子
だなあと。
エンディングにスタッフの写真や撮影中の写真が出てきて、
痛々しいヨン様の松葉杖姿もありました。あの状態でよく乗り切ったと
拍手喝采です。
そう思うと一層泣けてきます。
本当にいい作品でした。