ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

ドクトル・ジバゴ

2018-02-23 10:38:00 | 宝塚コラム

2月22日に姫ちゃんと一緒に見て来ました

 姫ちゃんの率直な感想

ドクトル・ジバゴって最低の男だよね。

奥さんがいて妊娠中なのにラーラの事を好きになるんだよ?

雨の日にアパートに誘われても断るべきだったじゃん!

傘だけ借りて帰ればいいのに、泊まったら絶対そういう事になるでしょ?

私、ラーラもラーラだと思う。

最初はコマロフスキーに暴行されてパーシャにも冷たくされて可哀想と思っていたけど、ああいう風に簡単に男を自分の部屋に入れるっていうのは、ああ、元からそういうムードがある女なんだなって思っちゃうもん。

それにパーシャもさあ、そんな風に疑って別れるんだったら最初から結婚しなきゃよかったじゃん。

一度、手紙が来ただけでそこまで疑う?まるで「リラ壁」のベニーだよ・・・コマロフスキーさんはさあ、最初はすごく嫌な奴だと思ったの。

だって自分の身の回りを全部ラーラのママにやらせてさあ、しかも娘まで手にいれるってどうなの?って。でもなんで最後は嫌われているのわかっているのに救うの?なんだかトーニャが可哀想すぎて。あんな馬鹿な男に最後まで優しく出来るってどうよ」」

 ふぶきの史上最低男3人への擁護

あのね。姫ちゃん。恋というのは理屈じゃないの。感情をコントロールできない恋もあるのよ。だって好きになる事を止められるわけじゃないからね。

ジバゴはラーラが初恋だったのよ。

トーニャとは恋愛じゃなくて・・もっと違う感情?

多分、トーニャもそういう意味ではジバゴに恋してないから優しく出来るみたいな?多分、ドクトル・ジバゴとコマロフスキーさんは男性からみた理想の男性だと思うよ。

片手に貞淑で可愛い妻、もう片手に魔性の女。正反対の女性を手に入れているし。コマロフスキーみたいな女性への扱いもやっぱり男からしたら一種の憧れ。

でもコマロフスキーさんは結果的にラーラを本当に愛していたから、命の危機が迫ったその時に損得勘定なしにラーラを救いたいと思ったんじゃないかなあ。

パーシャはね・・男ってそういう生き物なんだよね

ママ・・さっきからずっと庇ってばかりだけど、私、絶対にドクトル・ジバゴは許せない男だと思う。

だって不倫だよ?不倫!妊娠中の妻を置いて不倫してるんだよ?なのにトーニャは子供にユーリって名付けて・・ああ!信じられない。私には無理無理無理」

まあ、それは・・恋愛経験ないから言える事なんじゃないの?」

姫ちゃん、黙る・・・みたいな会話を延々と続けながら帰って来たのでした。

 矛盾だらけの脚本だけど

正直いって、去年から宝塚はずーーーっと「革命」続きなのよっ!

「スカーレット・ピンパーネル」から始まって「神々の土地」「ベルリン・わが愛」「ひかるふる路」そして「ドクトル・ジバゴ」

正直いって、もういい加減にしてくれーーと思います。

おかげ様で米ソ冷戦時代に子供だった私は、あらためて共産主義、社会主義、ファシズム大嫌い!ボルシェビキもパルチザンも恐怖政治も嫌いだーー!と心に固く思ったのでありました。

いわゆる極左思想って「しかえし」思想じゃないの?

金持ちに生まれなかったから、金持ちを殺してやるみたいな?いや、原田諒のロシア革命による赤軍の描き方がそうだっただけなんだろうけど。

日露戦争が起きて、皇帝が退位して第一次世界大戦が起きて・・シベリアに臨時政府だっけ?原田君は、その時、ソ連がどんな手を使って日本の領土を奪い、大陸を侵食して結局、日本が満州の防衛に向かわなければならなかったか知らないだろうなあ。

上田久美子さんの革命の描き方は、それでも宝塚らしいロマンがあったし、ちょっと古き良きロシアを経験してみたいと思わせるものがあったけど、こっちはやたらリアルにしようとするばかりで、そんなにリアルにしたいなら宝塚でやっちゃだめだよと思ってしまいました。

一番つかめなかったのは「距離感」なんです。

モスクワからウクライナ、モスクワからジバゴママの別荘がある村、そこからラーラがいる村、そしてシベリアからラーラがいる村。

全く距離感が掴めないので「え?ロシアって広いよね?そんなに簡単にあっちこっちに行けるの?」みたいな間隔に。特にシベリアからどうやってラーラがいる村まで戻ったわけ?4日間寝てただけで復活出来るものなのか?とか。

2幕最初の列車風景は綺麗だったけど、それ以外の距離感が雑すぎて・・

そうそう、ジバゴママの別荘からウラジオストクまではすぐに行けたんだろうか?赤軍はどれくらいの時間でジバゴのいる場所についたのか?とか、どうでもいいような事が気になってしまって。

原田諒はやたらキスシーンに8章節だっけ?頭の角度、顎の引き方など、事細かに注意したようですが、それをなぜ脚本に行かせなかったのかなと思います。

1幕目はまあ、いいけど2幕目はまたぶつ切りの場が多すぎる展開になっていたし、人の描き方も浅かった・・・・トーニャに何度も「私は大丈夫よ」なんて言わせるんじゃありません。セリフの重複はやめよう。

場面転換が盆などを使えないからって舞台をぶち切ってカーテンで仕切って2場面同時進行ってちょっと素人っぽくない?それを1場面で済むような脚本を書くのが原田君のお仕事なんだよ。

観客の目が左右どっちを向いたらいいかわからない場面はなるべく作らない方がいいと思うの。集中力がそがれるから。

ジバゴとラーラのベッドシーンもあまり品がいいとはいえず。私だったら暖炉の前で二人が毛布にくるまって会話する朝を描くなあと思ったり。そっちの方がずっとロマンチックだもの。

キスシーンの長さよりシチュエーションだよ。

それと宝塚の場合は、主役や重要人物が登場する時は、1拍置くべきだと思います。さりげなくそこにいましたーーっていうのは上下関係が厳しい宝塚ではありえないです。

 宝塚の観客は女性が多い事を認識しているのか

原田諒 に言いたいのは、彼が自分が描きたいものを選ぶときに、観客層というものを認識しているのか?という。キャパもニジンスキーもアル・カポネも女性からみて魅力的かどうかって部分が欠落しているのです。

ドクトル・ジバゴはその最たるキャラクターで、こんなに共感できない役を主役にすえて、一人の女性を巡る男3人が揃いも揃って女性からバッシングを受けちゃうっていうのは問題じゃないか?

だったらバレンシアの熱い花はどうなる?琥珀色の雨にぬれてはどうなる」と言われそうですが、いやーそれとこれとの違いをわからずしてどうする?

柴田作品には色気とロマンがあるから許せるのよ。原田諒にはそれがないからダメなのよ。キスシーンを長くする事よりシチュエーション!!!

 

 大丈夫か?轟悠

そういえば、専科になって轟さんの生を見るのは初めてなんですが、まず最初に「声」が・・どうしちゃったの?風邪でも弾いているの?ポリープでも出来た?みたいにしわがれてあの朗々としたセリフや歌が出てこない。

びっくりしちゃって、これで2時間我慢は辛いなと思っていたら徐々に治って来たのでまずまず あーでも痩せすぎで頬もこけちゃって喉の線も出ちゃって。こんなんで「凱旋門」まで体が持つのだろうか?と心配に。

病気でないなら摂食障害か?

そんなわけですっかり「主役」オーラが消えちゃってる事に驚いてしまいました。

そもそも共感できるキャラじゃないしなあ。

 主役は天寿光希

いやーー出て来た瞬間からものすごい「ワルなおじさまオーラ」が感じられて、ラーラママに「待ってて」と言われて「君がいないのに?」なんてセリフを吐く、まあ女ったらしだよなあと思っていたら、その娘を奪っちゃうんだから

ひょえーー

パーティでラーラに撃たれてからのセリフと演技は完全に轟悠を食ってました。

発音がいい、声がいい、びしばしとメリハリ効いた演技がいい、目が離せなくて彼女ばかり見てしまう。

考えてみればお遊びで娘をてごめにしてしまったけど、本当は撃たれたらラーラを警察に渡して殺してもいいくらいだけど、ここの庇い方がまたすごくて・・・だからやっぱり本当は彼女の事、本気だったんだろうなあと思います。

我が家の姫は「ラーラがコマロフスキーを殺して自分も死ぬつもりだったなら許せるけど、そうじゃないなら許せないわ」

と言ってました。

2幕目ラストの、必死にジバゴを説得する時の緊迫感が半端なく、こんなにも愛しているラーラがジバゴにすがりつくのをただ黙っているしかない男の悲哀を感じましたね。

間違いなくこの話の主役は天寿光希でしょう。

「ベルリン、わが愛」でも頑固で融通のきかないオジサン役でしたけど、原田君的には「最後に救ってくれるキャラ」として天寿はいなくてはならない存在なのでしょうね。

そうそう、天寿の「スパシーバ!」は印象的でしたよ。

 瀬央ゆりやは頑張った

それしか言いようがないパーシャでした。1幕目の優しい学生だったパーシャが赤軍の鬼将軍となり、やがて死に至る・・こんな悲劇はないし、セリフとしてラーラへのこだわりをあまり描いてくれなかったから大変だったとは思いますが。

死ぬシーンがあまりにリアルで。そこでする必要あったのか?と思う程です。

でもこれで瀬央ゆりあの一つの代表作が出来たのでは?

 有沙瞳はそこまで魅力的だったか?

タイプの違う3人の男に言い寄られて娘役冥利に尽きる彼女ですが、そこまで美人じゃないし、魅力があるかどうかわからないです。

これが白城あやか級の美女ならしょうがないかなあと思うけど。

衣装も地味だし、顔も意外と地味だよねーーと。だから尚更、男たちが狂っていく意義がわからなくなったんだと思います。

 大人の演技も出来る小桜ほのか

小桜ほのかといえばちっちゃくて可愛いし、子供っぽく見えるけど人妻になってからの彼女はしっかりとした貞淑な妻としてとても魅力的でした。もう少しトーニャのセリフや感情表現を+するような脚本だったらなあ。

こんな可愛くて優しい妻よりラーラを選ぶジバゴがわからん!という意味もわかります。

 天華えまの明るさに救われた

どうってことない、主役のお友達なんですが顔が派手で華やかでほっこりするんですよ。あの暗いストーリーの中で癒しをありがとう。

 紫りらは可愛いだけじゃなかった

ただのお針子から党の重要幹部にご出世。怖い怖い。背が低いのに2倍くらい高くなった感じで、こういう役も出来るんだーーと目からうろこ。

他には天希ほまれのワーシャが可愛らしかったです。

 

ああ・・何だか「凱旋門」が思いやられるなあ。

 

 

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皇太子殿下、58歳に  4

2018-02-23 09:45:00 | 小説「天皇の母」201-

 日の当たっていない公務に対する姿勢

「私も以前から,今お話のあったような方々のことについてや,全国障害者スポーツ大会が全国身体障害者スポーツ大会と呼ばれていた時代から両陛下がそういった障害者のスポーツをずっと見守って育ててこられたという過程を拝見したり,また両陛下からいろいろ伺ってきております。

ハンセン病のことについても,両陛下からいろいろお話をいただいてきております。私が具体的にどういうことをしたいかということを今すぐにお答えすることは難しいですが,今まで両陛下からいろいろ伺ってきたこと,あるいは今後見たり聞いたりすることから,今後の自分のやり方というものを見いだしていくことができればと思っています。

 実は全然興味なーーしという事を暴露しているんじゃないでしょうか?

 

 皇太子が立場を自覚したのはいつ頃だったか

私は幸い両陛下の下で,ここで育つことができまして,両陛下のなさりようを逐一小さい時から拝見する機会を持つことができております。

こういったことは本当に有り難いことであると思います。

そのように両陛下がなさっていることを拝見したり,あるいは両陛下がいろいろとお仕事などにお出掛けになる時に私も同行させていただくこともありました。

例えば高校生の時にインターハイを御一緒に見たり,ボーイスカウトのジャンボリー,海外のアーティストが来てのコンサートなど,公(おおやけ)の場面で両陛下と御一緒に出席することができて,両陛下のなさりようを拝見しながら私も少しずつ,この立場に,ここに生まれたからには将来は天皇になるという,そういった自覚を持つようになったのではないかと思います。

正確にどういうきっかけがあって,また,いつそういうことがあったか,そういう気持ちになったかということを,お答えすることは非常に難しいですが,徐々に自分の心の中にそういう気持ちが宿ってきたというように申し上げたいと思います。

 天皇になる、何もしなくても・・・と思っている事がありあり。

今じゃ「両陛下の元で育ったからあんなになった」と言われる始末ですよ。

落ちぶれてぶかぶかになってしまい、生きるのも惰性になりつつある皇太子夫妻。それでも仲良さげにふるまう事は出来るようで。

隣りの愛子内親王はすっかりリバウンドしちゃって、今後、どうなるのか?とそれはそれで心配になります。

国際交流・国際親善といいつつも、この人達が「天皇一家」になったら、恥ずかしくて人前に出せない状態になりそうです。

多分外国も呼ばないだろうなあと。

午後の紅茶さま

やっぱり過去記事も読んで欲しいし、その上であのようなコメントを出されているのならそれはちょっと・・・

人には色々な考え方があるけれど、認識が間違っている場合は「色々」では済まされないものがあるのですよ。

 東宮家と秋篠宮家の公務の違い

戦前 → 全ての男性皇族と華族には「軍人」になる事が義務付けられ、その配偶者や妻には跡継ぎを産み、育て、ボランティアに励む事がほぼ義務でした。

戦後 → 天皇の仕事は祭祀と国事行為のみ。皇后には規定がありません。

     皇太子以下の皇族方にはいわゆる「公務」という義務はありません。

    ただ、宮中祭祀や新年祝賀の儀、歌会始め・講書始の儀、天皇誕生日などには出来るだけ出席する事が望ましい・・といった程度ではないでしょうか。

両陛下や皇太子、宮家が行っている公務や行事は全て「依頼」「要請」があって初めて成り立つものです。

皇太子の「7大行啓」と呼ばれるものは、ほぼ義務に等しく本来は夫婦で出席すべきなのですが雅子妃は気まぐれなので出たり出なかったりです。

天皇と東宮家はどこへ行くにも無料、専用機、信号操作ありの待遇ですが、秋篠宮家以下はどこへ行くにも自腹、一般車両を使うので、公務が増えれば増える程足が出る状態になります。

「謝礼」というのはテープカット公務と呼ばれるもので、これを主に稼いでいたのは高円宮妃です。

私達が小さい頃は当時の皇太子夫妻だけが日本国中あっちこっちに出かけていて、他の宮家は1つか2つ総裁職を持ち、その関係に出席する以外はあまりメディアに出てくる事はありませんでした。

秩父宮妃の「結核予防会」「高松宮妃」のがん撲滅などそういうものの名誉総裁に推されるのは、何等かの繋がり(例えば秩父宮が結核だったからとか)があっての事です。

秋篠宮の場合、なまずや鶏の研究でいあゆる「動物好き」という性格から動物園総裁になり、さらに山階鳥類研究所等に関わっています。

紀子妃は学生時代から手話に興味を持っていたので、結婚後は「ろうあ連盟」からの依頼で名誉総裁に。その後、会津繋がりで紀子妃を可愛がっていた秩父宮妃が結核予防会の名誉総裁職を譲りました。

寛仁親王が障害者福祉、キンジストロフィーなどに深く関わっていた為、それら関連の公務が多く、彬子女王はそれを受け継いでいます。

両陛下は、「沖縄」「障害者」「ねむの木」「満蒙開拓団」など主に皇后の発案だと思いますけどそういうものに積極的に自ら公務を開拓していったわけです。

一方、現東宮家にはこれといった目立つ研究目標がありません。だから7大行啓以外の依頼はほとんどなく、「水の総裁」等は小和田家のコネで得た危ない仕事です。

雅子妃は、皇后になれば明治以来続いている「養蚕」と「赤十字名誉総裁」の座が約束されている筈ですが、雅子妃自身がそういうものを大切に思わない限り、それが途切れる事が必至。

だから真面目な紀子妃へ・・・・と思うのです。

 

それと秋篠宮家が使用人がいるんだから共稼ぎで云々はない・・・とおっしゃってますが、愛子内親王のように専従の女官が3人も4人もいる環境ではなく、いわゆる「奥」の采配は全て紀子妃一人にかかっているのが現状です。

それほど人手不足なのです。

それこそ何でも聞いてくれる「乳母」でもいたらよかったのにねと思う位です。

 皇太子と皇嗣の違い

 天皇の長子を皇太子と言う・・・というのは今の皇室典範ですが、そもそも「皇太子」という名称からして「長子」にしか皇位を譲りたくないという意思が見え隠れ。だって大昔は必ずしも長子が継ぐわけじゃなかったし、「東宮」は次期天皇なわけですから、本来は秋篠宮は「東宮」でいいのだと思います。

「皇嗣」というのは環境であって称号でも名称でもない。それでもわざわざそういう事にした背景には「少しでも愛子内親王立太子につなげたい」という東宮家の思惑が透けて見えています。

 皇太子が天皇となり、「立皇嗣の礼」が行われると天皇は皇嗣に「壺切の剣」を与えなくてはならないのですが、これはヤフオク事件前に皇太子が失くしたか、どこかに売り払ったかしたという話があります。

偽物だったり真新しかったりしたら要注意なのか?

また、紀子妃は雅子妃から「皇太子妃の第一ティアラ、第二ティアラ」を受け継ぐはずですが、これまたヤフオク等で売り払ったうわさが絶えず、果たして本物が出てくるかどうか。

さらに皇后となった雅子妃は上皇后から「菊のティアラ」「梅のティアラ」等を受け継ぐ筈ですが、これまた行方不明、売り払われた噂が絶えず、果たして本当に出てくるのか疑問です。

 

売り払われた理由・・・それがリーマンショックにより財産を失った小和田恒氏を助ける為に皇室内のあらゆるものがヤフーオークションで売られた一件を言います。

現実に皇后はティアラも勲章もつけないし、雅子妃もイミテーション第二ティアラを着けている事から、噂は多分本当であると思われますが、国家財産を買ってに売り払っても責められないのが天皇と皇太子なのです。

 

 

 

 

 

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皇太子殿下 58歳に   3

2018-02-23 09:08:00 | 皇室報道

 一年を振り返って

この1年を振り返ると,昨年7月の九州北部豪雨や,今年1月の草津白根山の噴火を始め,国内外で多くの自然災害が発生し,各地で人々に大きな被害をもたらしたことは,大変心の痛むことでした。

度重なる自然災害により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに,御遺族と被災された方々にお見舞いを申し上げます。

また,特に今年に入り,北海道や東北,北陸を始め,各地で大雪が降るなど厳しい冬の寒さの影響も出ており,改めて自然の力に対する畏怖の念を覚えます。

除雪作業中の事故などで亡くなったり,怪我をされている方も多いと伺い,心配しております。

国民の皆さんには,厳しい環境の中で,体調を崩されたり不慮の事故に遭われたりされないよう,お祈りしております。

 親子3人で雪遊びしていた人達のいうセリフがこれかい!!

東日本大震災の関係では,昨年11月に雅子と共に訪れた宮城県で,復興の状況を見ることができました。

その折に,地域の皆様の協力と,行政を含む関係者の努力により,復興が着実に進んでいることを実感し,復興に向けて歩んでこられた多くの方々の努力に敬意の念を抱きました。

同時に,復興への道のりは,まだ半ばと思われ,依然として応急仮設住宅にお住まいの方を始め,不自由な生活を余儀なくされている方々のお話を伺うにつけ,心が痛みます。また,子どもたちを含め被災者の心のサポートの問題が残っていることを深く案じております。

引き続き,雅子と共に,被災者の方々が一日も早く安心して暮らすことのできるよう,お一人一人の幸せと御健康を祈りながら,被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います。

 何で東日本大震災限定なの?水俣にはいかないのですか?熊本の地震は?どうせ春スキーで長野へいくならついでに草津にもよって来たら?

明るい話としては,最近,十代から二十代前半の若い人たちが,様々な分野で活躍していることをうれしく思います。

中学生として初めて六段に昇段した藤井聡太棋士や陸上100メートル走で日本人初の9秒台を出した桐生祥秀選手,卓球で日本一となった張本智和選手や伊藤美誠選手など,若い人たちが世界の舞台でも素晴らしい成績を収めており,とても心強く思っています。

あわせて,現在行われている平昌オリンピックでの日本選手の活躍も素晴らしいと思います。

厳しい練習を重ね,多くの困難を乗り越え,オリンピックという世界の舞台で技を競い合う選手の皆さんの姿には大きな感動を覚えますし,フィギュアスケート男子とスピードスケート女子500メートルで共に金メダルを取った羽生結弦選手や小平奈緒選手が,旧知の海外の選手と健闘をたたえ合っている姿にも,国境を越えた深い友情と,世界のプレーヤーの一員としての日本選手の存在を感じ,頼もしさを感じます。2020年は,東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが,スポーツを通じた国際親善が更に深まることと,日本の人々が国際交流を身近なこととして感じることができるような大会となることを願っております。

 あれだけぐだぐだな五輪を見てここまで言えるってある意味すごい。

また,この1年,御自分の専門を活かして人々や社会のために長く貢献してこられた方に光が当てられたこともうれしく思います。

特に昨年8月には,カンボジアを訪問した折にお世話になった石澤良昭教授が,長年にわたるアンコール・ワット遺跡の修復及びカンボジア人専門家の育成への貢献を評価されて,マグサイサイ賞を受賞されたことは印象深い出来事でした。戦争の傷跡が残る社会の復興や文化遺産の保全のために,御自身の専門を活かしながら支援を続ける石澤教授の姿に,感銘を受けました。また,石澤教授に代表されるように,それぞれの人が工夫を凝らして自分のできる形で支援をしていくこと,そして,そのことがしっかりと評価されていくことがとても重要だと感じます。

 皇后陛下の真似をして個人名を出す事に躊躇しない皇太子。

一方で,国際社会に目を向けると,引き続き,先進国,開発途上国を問わず,所得格差の問題や若年層の失業の問題といった課題に直面しています。

また,依然として,世界の各地で武力紛争やテロ事件が発生しており,それらも背景に,不幸にして安住の地を離れざるを得なくなった難民・国内避難民等の数は,第二次世界大戦後最大となる約6,560万人に上っていると聞き,大変心が痛みます。すべての人が,民族や宗教といった相違を乗り越え,協力して国際社会の直面する諸課題に取り組み,持続可能な社会の実現を目指すことが,今まで以上に重要になっていると思います。

こうした中,昨年,日本にもゆかりのあるカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞されました。

受賞そのものもうれしい知らせでしたが,イシグロ氏が受賞スピーチの中で,民族対立が深まり,社会が敵対する集団に分かれつつある時代において,ノーベル賞は,文学同様,自分たちを分断している壁を越えて,人間として共に戦わねばならないことは何かを思い出させる,と述べた点は,とても示唆に富むものであり,感銘を受けました。

 いつから皇太子は政治家になったのか?

格差社会についてなど、あなたが言うべき事じゃないでしょう?自分はぬくぬくと東宮御所に住んで税金で生活しているくせにね。

 持続可能な・・・っていうのも外務省小和田フレーズですが、ここらへんも小和田家の筆が入っているの?

 これでは皇太子は「移民政策万歳!社会主義万歳」に聞こえてしまいます。

分断している壁ねえ・・・朝鮮半島の事言ってるのか?と思いつつ。

印象に残った公務についての質問ですが,いずれも特色があり,それぞれが印象深いものでしたので,特定の行事を個別に挙げることはなかなか難しいと思います。

この1年間,雅子と共に公務のため都内や地方に赴いた折,沿道や会場などで,私たち二人を温かい笑顔でお迎えいただいたことは,とてもうれしく,また,雅子にとっても大きな励みともなり,有り難く思います。

中でも,昨年5月に雅子,愛子と共に観戦した車椅子バスケットボール選手権大会や,9月の国民文化祭・全国障害者芸術・文化祭の折に見た車椅子ダンスパフォーマンス,10月の全国障害者スポーツ大会等で,障害のある方が日頃からのたゆまぬ努力の成果を出すべく一生懸命に競技に取り組む姿には,私のみならず,雅子も愛子も,深い感銘を受けました。

障害者を始め,子どもや高齢者など,いわゆる社会的に弱い立場にある人々が,周りの人たちの支援も受けながら,社会の中で能力を発揮し,活躍できるような環境がつくりだされていくことが一層求められている時代だと改めて感じています。

 だったらご自分の娘の障害をも認めなさいよ。痩せたり太ったり、国民がどんなに心配したかわかってるの?

親子3人で観戦した事をやたら強調してもどうにもならないから・・・・

また,昨年3月に訪れた産業施設の視察では,小さな工場が,世界的にも極めて高い精密加工技術を有し,最先端の産業を支え,欠かすことのできない役割を担っていることや,従業員の方々が,創意工夫を重ね,高い意欲を持って仕事に取り組んでいる姿を見て,とても心強く思いました。このことは,どのような組織・企業でも,熱意とアイディアによって,大きな発展を遂げることが可能であることの証であり,今後とも,そうした努力が報われる社会であり続けることを願っております。

皇室に関連する出来事としては,昨年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し,昨年12月には25年ぶりの皇室会議が開かれ,その後同法の施行日が決まりました。

両陛下がこれまで長きにわたり,心をこめて一つ一つのお務めを果たされてきたことに対し,改めて,深い敬意の念を覚えております。

 少しでも敬意の念を持っているなら真似したらどうか?と思います。

口ばかりで中身が伴わない次期天皇です。

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皇太子殿下 58歳に 2

2018-02-23 08:30:00 | 皇室報道

 家族について

結婚20年の時にもお話ししましたが,月日が経つのは本当に早いもので,結婚してから,もう25年も経とうとしているのかと思うと,感慨深いものがあります

天皇皇后両陛下には,日頃から,私ども家族を温かくお見守りいただき,また,お導きいただいておりますことに,改めて心から感謝を申し上げます。

また, これまで多くの方々にお助けをいただいて,こうして四半世紀を迎えようとしていることにも,大変有り難く思います。

国民の皆様には,私たち3人に対し温かい気持ちをお寄せいただいており,この機会に改めてお礼を申し上げます。

雅子は,この1年も治療を続ける中で,努力と工夫を重ね,体調に気を付けながら,公私にわたってできるだけの務めを果たそうとしてきました。

その結果,都内での式典などの行事への出席や,6度にわたる地方訪問など,公的な活動を,一つ一つ着実に積み重ねてきており,それが本人の自信につながり,それによって活動の幅も更に広がってきていることを,雅子本人もそうですが,私としても,とてもうれしく思っております。

 25年経ってもまだ同じ事言ってる「おかしな皇太子」です。

一々、妻が〇度外に出たの、式典に出たの、って数えられる事自体おかしい事になぜ気づかないんでしょうか?

また、25年経つのにまだ「自信に繋がる」とかいうセリフが出てくるのはなぜなんでしょう?今だに雅子妃は自信が持てないんでしょうか?(確実にそうだけど)

もう発達障害であるとか社交不安症であるとか、きっちり「心の病」である事をカミングアウトしたらどうでしょう。さすがに皇后になってもこのセリフは言えないと思いますけどね。

 この1年、どんな治療と努力と工夫を重ねて来たのか教えてくれよ!!

これからの1年も,雅子は引き続き努力と工夫を重ね,体調に気を付けながら,快復に向けての努力を続けていくと思いますし,公的な活動についても,その時その時で,できることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。

 「その時その時」・・・「気が向いたら」

 どんな努力と工夫を重ねるのか教えてくれよ!!

ただ,昨年の東宮職医師団の見解にもあるとおり,雅子は,着実に快復してきているとはいえ,まだその途上にあり,依然として体調には波もありますので,引き続き焦ることなく,慎重に少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います。

国民の皆様には,これまで雅子に温かく心を寄せていただいていることに,改めて心より感謝の気持ちを述べるとともに,引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければと思います。

 誰でも歳をとれば「体調の波」が来るんです。雪が降ったら大喜びでスキーに興じる癖に「快復の途上」とは片腹痛いわ、わっはっは

 そろそろ焦ってくれよーー雅子さん、あなたの旦那さんは還暦近いし、あなた自身も人生の秋を迎えようとしているわけでしょ?このままぷーたろーしながら、ただ飲み食いして税金をむさぼって死んで行ったら、愛子内親王に災厄がふりかかるよ。

愛子は,昨年4月に学習院女子高等科生として新たな一歩を踏み出しましたが,引き続き多くの友達と先生方に囲まれ,充実した高校生活を送っているようです。

そうした中で,関心もいろいろな方向に広がってきているようで,勉強面でもスポーツの面でも,また,社会に対しても,幅広く関心を示しています。

また,外国からのお客様が東宮御所にいらした時には,愛子も少しずつ英語でのお話に加わる機会が増えており,海外に対する関心も膨らませています。

将来については,愛子も高校生になり,自分の将来についても思いを巡らす時期になっていると思いますので,雅子も私も,愛子本人の希望をよく聴き,相談に乗っていきたいと思っています。

そして,今後とも周りの皆様からいろいろと御助言をいただきながら,様々な経験を積み,自分の望む道をしっかりと歩んでいってほしいと思います。

 愛子内親王のインフルエンザとか高校に行けなかった時期についてとか、そういうのは全く考えず「ご優秀」を貫こうとしているわけね。

 英語で話せるのが自慢と言ってるけど、その前に日本語じゃないの?この夫婦は本当に娘の教育を間違えているよねーー

 どなたかへのお返事になりますが、「眞子様が学習院へ入っていたらこうならなかった」という考えは、私は違うと思います。今、そういう意見が多いのは、まさに愛子内親王が学習院女子大にしか進学できない状況であるから、「学習院はすばらしい」という印象操作をしたいのではないかと思うんです。

秋篠宮殿下は学習院じゃない大学へ行きたかったけどそれが出来なかったから、大学院に進んでから様々な好きな研究をされた。だったら娘には進学先を好きに選ばせてもいいと考えるのはむしろ当然でしょう。

 学習院へ入っていたら韓国への研修旅行が待っていた筈で、佳子様の退学もそこらへんに理由があったのではないかと言われています。

ただICUじゃなくてもよかっただろうとは思いますけど。

 愛子内親王が生まれた時、皇太子夫妻は学習院に否定的な意見を持っていて、もっとレベルが高い所に行かせる!とか言ってました。

その為に「愛子内親王シフト」にして、ルールを変えてすっかり以前の学習院ではなくなっているという事は明白な事実でしょう。

今になって内親王が東大や早稲田じゃなくて「やっぱり学習院」と言い出したら、それは矛盾ですよね。

 

 二重権威について

公務の在り方については,先ほども申しましたが,折に触れ,いろいろな機会に,私,そして秋篠宮も,陛下のお考えを伺ったり,あるいは意見交換をさせていただいており,大変有意義な機会を頂戴していることに感謝しております。

具体的にどのような場で,どういうことを話しているかについては,その詳細を申し上げることは控えますが,陛下御自身がお考えになられていること,あるいは,これまで経験されてきたことなどをお話しくださるので,私としても学ぶことも多く,また,大変有り難いことだと思っております。

また,秋篠宮とも,公務の在り方を含め,様々な事柄について話し合う機会がありますし,今後ともこのような機会を持っていきたいと思います。

陛下には,皇后陛下と御一緒に,国内外の各地に足を運ばれ,多くの人々とお会いになり,真摯に御公務に取り組んでこられました。

そのようなお姿を拝見してきた多くの国民から,両陛下が敬愛を受け続けられることは,自然なことであると思います。

私としましても,まさに陛下が全身全霊をもって象徴の務めを果たしてこられたように,今後受け継がせていただく公務をしっかりと受け止め,その一つ一つに真摯に取り組んでいく考えです。

 「上皇」と「天皇」が存在する「二重権威」についての質問なのに、全く見当違いな答えをしている皇太子は本当に歴史を勉強しているんでしょうか?

 陛下と有意義な時間を過ごしている割には、それが少しも反映していない今の現状をどう言い訳するつもりなんだい?と。

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皇太子殿下 58歳に   1

2018-02-23 08:00:00 | 皇室報道

2月23日。皇太子は58歳になりました。即位する頃には還暦ですね。

 即位が決まった事に対して

昨年の誕生日会見でもお話ししたとおり,陛下のビデオメッセージを厳粛な思いで拝見いたしましたし,陛下のお考えを真摯に重く受け止めております。

また,長きにわたり,両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ,真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりましたので,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日が決まったことを受け,改めて,両陛下のこれまでの歩みに思いを致すとともに,深い感慨と敬意の念を覚えております。

 申し訳ないですけど言葉が薄っぺらで全然深い感慨を抱いているようには思えないのです。

 一つ一つの行事を真摯に取り組む姿を見て来たのなら、妻のサボりを許すわけないし、自分だって夏は全く働かない・・なんて事はなかったと思うのですが。

今後とも,両陛下の御公務に取り組まれる御姿勢やお心構え,なさりようを含め,そのお姿をしっかりと心に刻み,今後私自身が活動していくのに当たって,常に心にとどめ,自己の研鑽に励みつつ,務めに取り組んでまいりたいと思います。

 毎年同じ事を言っているのですがいつも「言葉」だけです。

また,昨年は,三條天皇,伏見天皇,後陽成天皇の三方の歴代天皇が崩御されてから,それぞれ,1000年,700年,400年という年に当たり,式年祭が行われた関係で,各天皇の御事蹟を伺う機会があったほか,秋に訪れた醍醐寺では,後奈良天皇を始め,多くの宸翰を拝見することができました。

私としては,こうした,過去の天皇が人々と社会を案じつつ歩まれてきた道を振り返る機会も大切にしていきたいと思います。

陛下とは,以前より折に触れ,お考えを伺ったり,あるいはお話し合いをさせていただいております。

具体的な内容についてここで述べるのは控えますが,そうした機会は大変有意義なものであり,とても有り難いことと思っております。

昨年は,陛下の名代としてアジア冬季競技大会の開会式に出席しましたが,少しでもお役に立つことがあれば,喜んでできる限りのお手伝いをしてまいりたいと思います

両陛下には,今後とも,くれぐれもお体を大切になさり,末永くお元気でいらっしゃることを心よりお祈りしております。

 あの・・・これも毎年の事ですが「少しでもお役にたつ事があれば」というのは、自分からは積極的に関わっていったり、請け負ったりする必要はないと認識しているんですよね。上から目線というから「言われたら手伝ってやる」みたいな。

 陛下との話し合いをしているわりいは行動にそれが出てこないし、記者達もさぞやあくびをかみしめていたことでしょう。

 

 時代に即した公務について

象徴天皇,そして,公務の在り方については,これまでも陛下が繰り返し述べられていますように,また,私自身もこの場でお話ししていますように,過去の天皇が歩んでこられた道と,そしてまた,天皇は日本国,そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して,国民と苦楽を共にしながら国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

 どの口がいうかですよね。「国民と苦楽を共にしながら」

あの東京が大雪だった日、草津では噴火して大変だったというのに、愛子内親王は雪だるまに雪合戦、ソリ遊び、翌日には皇太子夫妻もスキーを持ち出して遊んでいたとか。平日だったんじゃなかったっけ?

 国民の幸せなんか全然願っていない事は行動に出ています。

そして,そのためには,普段の活動の中で,できるだけ多くの人々と接する機会を作ることが大切であると思います。

そういう考え方は変わっておりません。

陛下がおことばの中で述べられたように,「時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」が大切であり,私も雅子と共に行った被災地視察や地方訪問の折には,なるべく多くの国民の皆さんとお話しができればと思い,これらの機会を大切にしてまいりました。そして,今後とも,そのように心掛けていきたいと思います。

 普段の活動の中で出来るだけ多くの人々と接する機会を作る事がどうして「国民を幸せにする」とか「苦楽を」に繋がるのかさっぱりわかりません。

年に1度、福島とか岩手とか行きたい被災地へ行って、見たいものだけ見ているような皇太子夫妻に「国民と苦楽を共に」「国民を幸せに」は無理じゃないですか。

そもそも1年のうちで東宮御所から出るのは何日ですか?今年に入って何日外に出ましたっけ?

新しい時代の天皇,皇后の在り方ということについては,冒頭にも述べたとおり,両陛下も大事にされてきた皇室の長く続いた伝統を継承しながら,現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていくことが大切だと考えています。

そして,象徴としての在り方を求めていく中で,社会の変化に応じた形でそれに対応した務めを考え,行動していくことも,その時代の皇室の役割だと思います。

「時代に即した新しい公務」についても,この点を述べたものであり,将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて公務に対する社会の要請も変わってくることになると思いますし,そういった社会の新しい要請に応えていくことは大切なことであると考えております。

以前,私は,水の問題や環境問題,子どもや高齢者を取り巻く状況などに触れましたが,それらに限らず,今後も,新たな公務に対する社会の要請は出てくると思いますので,そうした公務に真摯に取り組んでまいりたいと思います。

同時に,世界各国との相互理解を深めていくことも大切であると思いますので,文化交流や国際親善の面でもお役に立てればと思います。

こうした考えについては,日頃から雅子とも話し合っており,将来の務めの在り方についても話し合ってきております。

 ばっかじゃないの?人格否定発言から何年経ってると思うんでしょう?

皇太子のセリフは言いづらい事を美辞麗句で飾って、意味がわからないように加工する事で、こういうのは小和田さんが得意としている文章の作り方ではありませんか?

  保証するけど「要請」は来ないと思いますよーー今までのツケがたまったおかげで「あの夫婦に公務をさせるとロクな事にならない」のは回りが承知していますから。

 やりたいことは「外国へ行く事」でしょう?それを文化交流とか国際親善とかいう言葉に置き換えてはいますが、端的にいえば「国賓待遇で観光旅行しておいしいものが食べたい」って事ではありませんか?

天皇と皇后になれば嫌でも「来て下さい」って海外から要請が来るから、そしたらしめたものと思っているのかな。ヨーロッパとか先進国限定で行くぞーーみたいな。

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