葬儀というのは、どこでも長いものです。
今は簡素に、身内だけで・・・というのが流行りですが、それでも何かと忙しいし、長い感じがしますよね。
今思えば、私の父が亡くなった時は通夜期間が5日間もあり(正月に亡くなり、火葬場が開かない事や親戚が来るのを待つため)正直、火葬と葬儀が終わった時は悲しむどころの騒ぎではなかったです。
彬子女王ではないけど母に代わり21歳で喪主を務めなくてはならず、人間関係の複雑さをまるっきり知らない素人が肩ひじ張って頑張ったつもりですが「親の葬儀で泣かない。なんて可愛げのない。偉そうに座ってばかり」と陰口を叩かれ、台所に逃げると今度は「喪主なのになぜいない」と言われ・・・人間不信になりました。
そんな回りからちやほやされている母が憎らしくて断絶しようとしたけど、結局は看取る羽目になりました。
言いたいことは、母と娘というのは似ているし似てないし、衝突するし。でもどこかで許さないと永遠に後悔が残るよ・・・と言う事です。
皇室においては百合子妃が亡くなられてから毎日が儀式で、昭和ならともかくスピード感ばかり競う令和にあってはゆったりと悲しみに浸る事が出来る、ある意味羨ましい儀式だなと思いました。
斂葬の儀の後、「一日墓所祭」というのもあり、今度は両陛下が墓所を訪れました。
私にはどうしてもこのお二人が墓参りに来たとは思えないのですよね。
にっこりしてるし、緊張感ないし。
本当は上皇夫妻も予定していたらしいけど、どういうわけか二人とも出席なし。
皇嗣両殿下。
佳子様。
愛子内親王も三笠宮邸での「一日権舎祭」の方へ。
ず~~っと日赤をお休みしているんでしょうかね。ご苦労様な事で。
内親王からすれば髪を結うのも、きつい服を身に着けるのも難でしょうに、お母様方の見得の為に頑張るしかないんですよね。
三笠宮家での儀式はこれからまだまだ続きますが、信子妃はどこにも出して貰えないと言う事なんでしょうかね。
そこまで「恨み」が深いのか三笠宮家にすっかり洗脳されてしまったのか。
確かに信子妃は平民出身です。上皇后もそうです。
百合子妃は子爵家の出ですから「平民」から妃を貰うのには抵抗があったかもしれませんけど、でも長男の嫁は大事にすべきでしたね。
あのお家は家族も多く、一件平和な家族に見えましたけど実際はそうではなかったんだなと今更ながら思います。
本来なら口うるさいおばさま方にぎゃあぎゃあ言われるべきを、「女王」という身分が皆を遠ざけ、何も言わせないというのはどうなんだろうなと。
言われるうちが花ですよ。
はあ?
いやー一般人ですが、麻生家ですよ
その考えなら紀子さんはもっと平民じゃん、、
ご自分の性悪っぷりを内外に知らしめて、
そこまでしなくてはならない何があるのか考えてしまいます。
失礼ながら、彬子女王にもコンプレックスはお有りでしょう、母親は時にそれを逆なでする言動をします。
嫌われる何かがあったとして、ではあたたかい触れ合いの思い出一つも無かったのでしょうか。
このひと時だけでも矛を収める気持ちにはなれなかったのでしょうか。
皇族とは、独自のしきたりで生きる一族として国民から守られている訳で、
しきたり破りしてまでお気持ちを優先されては困ります。
民間でも陰で悪口を言ってても表では波風立てないのが大人の対応と皆我慢してます。
でも、見るからに虚勢を張っているような立ち姿に、そのようにしか生きられない辛さも感じられお気の毒にも思います。
不都合な内容であれば非公開で構いません。
三笠宮家の件、根底に嫁姑問題という可能性はないのでしょうか。
寛仁親王と信子様、信子様と彬子様瑶子様の関係がよろしくないのは本当でしょう。
でも彬子様が信子様を追い出して自分は京都に住むってなんかおかしくないですか?
また皇族費を信子様に十分に回さないというのも三笠宮家の財布を握っているのは百合子様で彬子様にそこまでの権限はあったのでしょうか?
どうも腑に落ちないんですよね。
彬子様は百合子様の意思を代弁していて、喪主を含めた葬儀の諸々も百合子様の遺言だとしたら?辻褄が合うと思うのです。
もしそうなら彬子様は当主の意向を忠実に実行に移しているだけなのに矢面に立たされている事になります。
彬子様瑶子様の成年記者会見の動画を見ると信子様に対する態度にギャップがありすぎます。
村八分でも二分のうちに通夜葬儀は入っていますが。
私情を許すからつけ上がるのでは。
私も亡くなった母は嫌いですが、それとは別物。
違う人間であったが故にお互いに理解も許しもなかったですが、通夜葬儀に不参加、ましてや締め出しはあり得ないです。
麻生さんが出席なのに、凄い違和感を感じます。
宮内庁なただの事なかれサラリーマンなんでしょうね。
昭和天皇から大反対されてお妃候補者リストから一度削除されましたから。
皇室会議でも反対票が上がったそうです。
紀子さまのときは反対票はゼロ。
なお、紀子さまは寛仁親王に「民間からの入内は、せめてこのぐらいの女性を」と言われています。つまり他の民間妃は…。おっと、自粛。
雅子さまは親王たちにもタメ口を叩いていて寛仁親王から嫌われていました。
今上、相変わらずの帽子の持ち方ですね。
「どう?カッコいいでしょ」とばかりにニコニコと。
擁護派たちも「これぞ英国式」「陛下がなさることに間違いない」です。
あのー、チャールズ国王もウィリアム王子も昭和天皇も体側で持っていましたけど?それに、あの持ち方をする前は今上も。
あの持ち方は今上を最後にしていただきたいです。