ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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真実のバッシングと誹謗中傷は違う 1

2021-10-04 07:00:00 | 皇室報道

 みなさん、本当に私の記事を読んで頂いていますか?

私が「こうですよね」と書いた事に関して「そう思う」「それはちょっと違うと思う。理由は・・」ならわかる。

でも、最初から「私はこう思う」を貫かれると、もはや私のブログ、読んでないんじゃない?つまんないの?面白くないから読まないの?ってものすごく気にしてしまうんですよ。

眞子様に関しては。

私はPTSD仮病説はとっておりません。

それなのに「仮病だと思う」意見が多いのはなぜですか?理由があれこれ勝手に書かれていますが、それと私のブログ記事の内容とリンクしてますか?と。

凄く長いコメントもあり、そこまで書くならご自分でブログを書いたらいいのにと毎回思います。

またハンドルネームを書かなかったりする人も多い。

ホントに困ります。

眞子様のPTSD発症発言以後、マスコミはぴたっと小室批判を止めました。

むしろ「祝福」するようになりました。

一方で「言論弾圧」とする声もありました。

何より、眞子様が「国民のせい」でPTSDになったと書くマスコミが増えました。

眞子様及び、宮内庁は一言も「国民のせい」と言ってません。

ツイッターなどで誰かが一言「それっておれら国民のせいといいたいの?」と書いたことがきっかけて、またもそれが誹謗中傷派に都合よく拡散されただけなのです。

若い人は覚えていないでしょうけど。

平成5年頃、「美智子皇后批判」がマスコミに溢れたことがありました。

・大内糺なる人物が内部告発のように雑誌に「美智子皇后は女帝である」と書いた事に端を発します。

・美智子皇后は昭和天皇が愛した林を切って新しい宮殿に何十億も費やし、元々の吹上御所には皇太后を住まわせて見舞いにもいかない

・美智子皇后は夜中にラーメンを作らせる

等々、最初は「嘘?」って思う程詳しく書かれていたのです。

 1993年 「宝島30」8月号「皇室の危機 菊のカーテンの内側からの証言 大内糺(宮内庁職員・仮名)

 

 1993年 週刊文春「宝島」問題提起「皇室の危機」で宮内庁職員が初めて明かした皇室の「嘆かわしい状況」

 天皇夫妻を昭和天皇香淳皇后に比して、「華美で西洋風な生活を送り、神道よりもキリスト教に親和性が高く(元々、皇后が学習院ではなくミッション系大学の出でもあることから)、国民の望む皇室の主としてふさわしくない」という批判

その後、呼応するように

 週刊ポスト1993年8月20日。27日号

特別手記 平成皇室の在り方を考える「美智子皇后に申し上げます」浜尾実・元侍従

① 天皇皇后は奥尻島の地震のお見舞いに行ったが、そのせいで被災者住民の仮設住宅入居が遅れた

② 昭和60年、御巣鷹山に日航機が墜落した時、皇太子夫妻は軽井沢静養中だったが駆け付けることがなかった

③ 両陛下の車が信号操作しない事になった背景には皇后の存在が。

  信号機で一々止まると警備の者が困るという現実を天皇に進言出来ない雰囲気。

④ 皇后はいつもカメラを意識して表情を作っている。

  伊勢神宮参拝の時には馬車から降りる姿をカメラに撮らせなかった。十二単の裾を気にしたもの。

  信号操作にしてもカメラを意識するにしてもそれはパフォーマンスにすぎない。

⑤ 週刊誌は全て目を通していて、気に入らない記事があると「これは違っているわね」という。そこで侍従たちは慌てて動き出して抗議文を出す。

⑥ 皇后はクレバーだがワイズではない

⑦ スケジュールも皇后中心に決められる。

⑧ 天皇は直接皇后に言えず、側近に言わせて「あちらに言ってくれたんだね」

 

 週刊文春 1993年9月16日号

美智子皇后が訪欧直前でムっとしたある質問

・ローマ法王への面会に、神道である皇室の天皇皇后がどう考えるか質問される

・天皇はよく考え「ローマ法王の平和を求める気持ちと日本のそれとは同じ

」という回答

・皇后は「陛下が急な質問にお答えになられたのに私がお答えしないのは失礼かと思いますが、記者会見は私どもにとって数少ない国民との気持ちの通わせ合いの場です。私どもはやはりその時に十分に日頃の考えをまとめ、過不足なく自分の考えを述べさせていただきたいとおもっております。もし、宮内記者会と質問が異なるようでしたら前もって宮内庁記者会と特派員協会と調整をなさって頂けるとありがたいと思います

・以後の質問には皇后「ごめんあそばせ」しか言わず。

 1993年10月20日 皇后が皇居で倒れる 失声症と診断

 皇后の誕生日文書「どのような批判も自らを省みるよすがとして耳を傾けねばと思っています。事実でない報道には大きな戸惑いと悲しみを覚えます。

 バッシング終了 → 以後、「慈愛」の言葉が並ぶようになる。

ここまで大丈夫ですか? 理解出来ましたか?

なぜこのようなバッシングが起こったかという背景を考えると同時に「誰によって」バッシングが起きたかが問題。

 皇后批判の始まりは大内糺なる宮内庁の現役職員

 浜尾実氏は皇太子徳仁親王の附育官だった人

特に浜尾氏は、皇太子一家の中に深く入って現実を見て来た人です。

その人から堂々と「美智子さまはクレバーだがワイズではない」という言葉が出たのは大きかったと思われます。

当時の国民は、マスコミが騒ぐ程真剣にこれらの記事を読んでいたとは思えないのですが、とにかく雑誌がすごかったです。新聞の見出し、電車の中刷り等々、嫌でも目につきます。

国民は気にしていなかったけど、皇后にとってはプライドがズタズタになる出来事だったと見え、何とドラマチックに自分の誕生日に倒れたのでした。

では、皇后批判の背景に何があったのでしょうか。

① 昭和天皇は戦後、20年以上「御文庫」と呼ばれる防空壕に住んでいらっしゃった。静養は那須か葉山で静かに過ごす。食事やテレビ番組など好みを一切言わない。

② 通常、即位した天皇は「吹上御所」に移り、皇太后は「大宮御所」に移動する。

しかし、平成の天皇皇后は、吹上御所をそのまま「大宮御所」とし、自分達の為に新宮殿を50億かけて作った。その為に昭和天皇が残していた林を切った。

③ 平成の天皇皇后は皇太子夫妻の頃から、軽井沢のプリンスホテルに静養し、即位してからもそれを続けた。

④ 1992年の10月23日から天皇皇后は中国訪問をするが、保守派からは反対を受けていた。しかし、天皇の「私は行きたい」の一言でそれが決まった。

⑤ 1993年9月 ヨーロッパを訪問。これが「フルムーン旅行」と批判。

 現地でも「新婚カップルのように楽しんでいた」と言われる程、意味のない訪欧だったこと。

⑤ 1993年6月9日、外務省官僚で「日本永久ハンディキャップ論」の小和田恒の娘にして、チッソ会長江頭豊の孫娘である小和田雅子が皇太子妃に決定

⑥ 皇后が聖心女子大学出身で正田家がクリスチャンであり、入内直後に聖書を読んでいる事も発覚した事から、「美智子さまカトリック信者」の疑惑がずっと続いていた。

 これらの出来事は、「祭祀・儀式」を中心に考える皇室を大事にしている人達からは評判が悪かった。

 特に「中国訪問」が「政治に口出さず」の天皇の一言で決まった事に、保守派というか愛国者達は非常に怒りを覚えた。

 「もしかすると、天皇皇后は敗戦の責任は昭和天皇にあると思っていて、日本は永久に中韓に謝罪し続けるのが正しいと思っているのではないか」

 「皇后がカトリックなら神道の皇室はどうなるのか」

  「自ら新宮殿を建設するようにしたり、舞踏会で踊ったり、軽井沢行ったり、天皇皇后は好きな事ばかりしている」

という批判に繋がったのです。

 要は「宮内庁を支配する天皇皇后」として君臨するようになり、即位後、宮内庁は「言われて動くだけ」の存在になってしまった。

ここまで大丈夫ですか?

2000年代になって、私も色々調べていくうちに、皇后に対するこれらの批判は、あくまでも「批判」であって誹謗中傷ではなかったことがわかりました。

 皇后のパフォーマンスは「眼帯」「ネックカラー」など目立つものから、「微熱」「手がこわばる」など「そこまでしなくていいのに」という程、細かく報道させ「無理にでも公務に励む美智子さま」を演出してきた

 美智子皇后のカトリックへの思いは、年齢を重ねるごとに強くなっていて、祭祀をしなくなり「お慎み」という都合のいい言い訳をするようになった。

 晩年の「慰霊の旅」で国民に「戦争に対する思い」を体現しているように見せて、実は「日本が悪い」という思想を植え付け、戦没者追悼式でも「深い反省」の言葉が入るようになった

 皇后は反日・ジェンダーフリー思想者と深い親交があり、傾倒していた。

 小和田雅子の入内に関して反対しなかった

 雅子妃が適応障害になるとご機嫌取りに回り、愛子天皇を望むように。

 天皇の「私は行きたい」から「君が代の強制はいけない」等々、「深い反省」に至るまで日本という国の根幹をゆるがすような発言が相次いだのですが、それは思想的に皇后と一緒になったという事です。

 最終的に

 憲法違反の生前退位

 仙洞御所を赤坂御用地内の元東宮御所に定める

 一時的に旧高松宮邸に移るも、「狭くて体調が悪い」と書かせる

等々、「これじゃ批判されても仕方ない」と思いませんか?

つまり、これらは正当な批判であったのに、皇居で倒れる・・・という誰がシナリオを書いたのか?と思う程タイミングよく倒れて、マスコミの批判を封じたのです。

これと、秋篠宮家への誹謗中傷は同じものではありません。

 

 

コメント (28)
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