とうとうこの日が来てしまいました。
眞子内親王殿下にとっては長い3年あるいは4年の歳月だったろうと思います。
平成3年10月23日 秋篠宮家に内親王殿下が生まれた時、皇室はまだ昭和の残り香に包まれ、内親王殿下は国民から精一杯の愛情を受けて誕生されました。
若くてハンサムな殿下、お可愛らしくてけなげな妃殿下、そこに可愛らしい姫がお生まれになったので日本中がお祝いムード一色になり、この若い宮家がこの先、どんな活動をされていくのだろうと、誰もが期待しておりました。
眞子内親王殿下は、平成の両陛下からは初の孫、今上からは初の姪という事で大変注目度も高かったと思います。
あなたの母君はいつも穏やかに笑って、あの犬のマークがあなたに飛びつこうとも「お友達になりたかったのね」とにこやかに返された。
でも心の中は初めての子育て、ただ人ではない人の子育てに沢山のプレッシャーを抱えていた事だろうと拝察いたします。
紀子妃殿下は学生でありながら筆頭宮家の妻となり内親王殿下の母となられました。
若くて美しい妃殿下への圧力は内親王がお考えになるよりきつく、そして厳しいもので、ご結婚直後から都市伝説のような誹謗中傷にさらされ、両殿下ともどれほど傷つかれたかと拝察します。
だから、なお一層「子育てに間違いはあってはならぬ」と心に誓われ、恐らくとても厳しく育てられたのだろうと思います。
最初の子供というのは親にとって特別で、手探りで中々その心を慮る程の余裕を持つことが出来ません。
第一子にかける期待は並のものではなく、またそれにお応えになった内親王には一層の期待をかけられたでしょう。
内親王殿下、あなたが生まれた秋篠宮邸は狭くて小さい職員宿舎でした。
筆頭宮家なのに「宮邸」として与えられなかったのです。
まるで「早い結婚への罰」とばかり、職員宿舎をあてがわれても両殿下は、温かく普通の家庭をお築きになりました。
もし秩父宮妃がお屋敷をお譲りされなければ今も・・だったかもしれません。
でも他の宮邸や東宮御所などと全然違う職員宿舎に住んだことが、かえって眞子内親王殿下に勘違いをさせてしまったのではないですか?
「皇族だからと言っても私達は他の方々とは違う」と。
眞子内親王殿下も佳子内親王殿下も母君の手作りのお洋服を着られ、おもちゃも手作りなどがおおかったでしょう。
愛子内親王殿下のようにコルクの床や海外製の豊富な服や、外国製のキッチンセットなどない生活を見た時、内親王方は「ああ・・私達は一般に近い」と思われたかもしれませんね。
けれど、ご学友はそうは見ないし、ご両親は誰よりも皇族らしくあれとご自分達をお躾になる。
特に東宮一家のふるまいが問題視される頃に思春期をお迎えになった内親王殿下は、何をやっても言っても許され、天皇皇后ですら気を遣うお妃の登場に激しい怒りと矛盾を感じたでしょう。
お小さい頃から、香淳皇后の葬儀やご一家でのタイへの訪問などを経験され、公の場での立ち居振る舞いを躾けられ、言葉遣いや会話術、社交術まで身に着けられた内親王は国民の誇りでした。
ご両親と公務に出られる姿は緊張に包まれつつも誠実にお務めしようという姿勢が感じられ、やがてお一人で行動される時の安定感に繋がったと思います。
「飛び立つような鳥の絵を描きたい」と思われた事もありましたね。
お勉強が得意で芸術分野に造詣が深い内親王殿下はてっきり、書陵部などでお手伝いをされるのかなと思ったりしたのですが、留学を経てご就職の流れには少し驚きました。
成年式を迎えられ「自立したい」と思われた・・その思いも素晴らしいと思いました。
でも眞子内親王殿下、あなたは中学生の時から母君への執拗な誹謗中傷、ご自分達宮家に向けられるマスコミの敵意に、どれほどか傷けられたのですよね。
宮家に親王殿下が40年ぶりに誕生し、これで秋篠宮家の皇位継承は盤石になると思っていたら、皇室典範を無視するような女性天皇や女系天皇への流れ、宮家へのますますの誹謗中傷。
それが内親王殿下に「一時金は辞退したい」と思わせた一端であると思います。
内親王殿下は誰よりも東宮家の実情を見てきて知っている。
現実と違うことが次々リークされて宮家へのありもしない記事を生み出すことに怒りを通りこして「今のような普通でない皇室は嫌だ」と思われたのではありませんか?
悠仁殿下が成長するに従って、眞子様の「皇族」としての役割はもう終わりにしてもいいんじゃないかと思われたのでしょうか。
沈黙と忍耐を貫き通すご両親についていくのは、若い人にとって苦行でしかない。そうはいっても、確かに両殿下の在り方は正しい。けれど、本当にそうなのだろうか?
自分というものを殺してでも与えられた公務にまい進し、心も体も傷ついて、笑顔を失くしても笑っているのは皇族なのかと考えたのではありませんか?
まさに紀子妃殿下は何をどう言われても沈黙を貫き通し、宮家の中で涙を流されてもそんな事なかったかのようにお振舞です。
そして眞子内親王殿下、今のあなたはそんな母君そっくりでいらっしゃるのですよね。
内親王殿下がなぜ、お金も地位もない、詐欺師まがいの母親に育てられた男性に惹かれたのかは今もって私にはわかりません。
内親王殿下と彼では育った環境も価値観も違うと思いますが、あなたにとっては「職員宿舎」で過ごした日々を振り返り「同じ」と思われたのかもしれません。
そして本来は誰もが越えられない壁を堂々と乗り越え、しまいには破壊してしまったという所に魅力を感じたのかもしれません。
けれど、それは内親王への愛情のなせる術でも情熱でもありません。
いうなれば「無知」であるがゆえになしえた事に過ぎないのです。
小さい頃から恐らく「人間はみな平等」「家柄や血筋は人間の価値には関係ない」「学歴や職歴も人間の価値には関係ない」と学校で教わった通りの「正統派」なのでしょうね。
ゆえに大人が解く「皇族なのだから、家柄も血筋も釣り合う人と結婚すべき。物心共に豊かな人でなけばいけない。将来の天皇の義兄になるのだから」という説得もお聞き入れになれないのでしょう。
眞子内親王殿下から見たら小室家も小和田家も正田家も同じに見えるのかもしれません。
「今上の義理の祖父がチッソの会長であった事はいいのか」
「皇后が水俣病を引き起こした会社と深いつながりがあるのに誰も反対しなかったでしょう」
と言い返されたら何も言えませんしね。
そうはいっても、今回の国民の「反対」は本当に内親王殿下の幸せを望むからだった事は信じて頂きたい。
内親王殿下が小さい頃、よく笑い、おしゃまでお喋りだった愛らしい姫であった事を覚えているからこそ、後のポーカーフェイスを払しょくし、心の底から幸せそうな笑顔に包まれて欲しかったからこそなんです。
内親王殿下は全てをご自分で決めてしまわれた。
例えそれが間違いだったと気づいても、もう二度と戻れない所まで来てしまった。
一体、前世でどのような因果があったのか。
女性がこの世で最も華やかで幸せな時に、やせ細りやつれて儚い笑みを浮かべ、ネットにはびこる暴言の中、もっとも結婚してはいけない人と結婚なさるとは。神はもうこの世にいないのか。
30年前のあの時から、一体どこで何を間違えたのかと今、ご両親殿下は涙の海で反芻し悩み、考え、じくじたる思いに耐えていらっしゃる。
誰よりも愛され、世界中から「日本の誇り高きプリンセス」と呼ばれて来た眞子内親王殿下に不幸に向かわせているのが何なのか、国民はわからない。
わからないけど、この先はわかります。
よろしいですか。
今、凛と張り詰めている糸は歳を重ねるに従って弱くなっていくものです。
ほんの少しでも心に傷があると、そこから血が噴き出てしまう。
それを止める人に彼はなりえません。
今は「待つこと」「相手の為になる事をする」のが内親王殿下のプライドかもしれませんが、そんなもの1年か2年で砕け散ってしまうでしょう。
そうなった時は迷わずに離れて欲しい。
「自分が悪いのだ」なんて思わなくてよろしいので、すぐにそこを離れて日の当たる明るい場所においでなさい。
眞子内親王殿下は臣籍降下されてもやっぱり日本のプリンセスです。
あなたを本当に必要としているのは彼ではない。
日本という国なのです。
断ち切られたように見える家族の絆は絶対に立ちきれません。
その時、自己嫌悪にさいなまれたとしても、その時こそ凛として一からやり直せばよろしいのです。眞子内親王殿下が本当に幸せにならないと、今まで傷ついた甲斐がない。
いつか秋篠宮家の苦労が、眞子内親王殿下の頑張りが報われるようにお祈りします。
どうか、お幸せに。