ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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秋篠宮殿下 56歳に 2

2021-11-30 07:20:18 | 皇室報道

 眞子さんとの思い出

それでは、長女との思い出ですけれども、私が長女と一緒にどこかに出かけたというのは、国内よりもどちらかというと海外に、数的にはちょっと分かりませんけれども、期間としては長いんですね。  

順に言うと、2人で旅行したのはマダガスカルが最初で、次がラオスですかね、そしてその次がハンガリーになります。

どれも非常に印象深い旅行でしたけれども、やはり一番長期間、一緒に旅行したマダガスカルが思い出としては残っていますね。

 マダガスカルのトゥリアラというところから、ムルンべという場所まで車で12時間、12時間半ですかね、ドライブしながら植物景観の移り変わりを見たりとかですね、行った先での音楽だったり踊りだったりに触れたり、またバオバブの巨樹のところに行ったりとか、それがやはり一番印象深く残っていますし、数か月前になるかな、にもたまたまその話が出て「楽しかったね」という話をしました。

 ちゃんと眞子さんと会話をしていたんじゃないですか。そのこ週刊誌ですか?「殿下と会話してない」としつこく書いた人。山下晋司もそんな事言ってましたよね。

 

 眞子様たちの近況について

本人たちがアメリカで生活をすると決めたわけですから、まあそれが本人たちにとって一番良いことなんだろうと、そういうふうに思っています、はい。」

 小室圭に久しぶりに会った印象は

まず、会った時のどういう話をしたかについてはここでは控えたいと思います。印象ですが、面会してた時間が20分ぐらいでしたので、何か印象に残ることというのは特に私にはありませんでした。ごく普通の会話をいたしました。

 一連の記者会見について

そうですね、10月26日に婚姻届を出した後、記者会見というか記者発表というかを行ったわけでありますけれども、私自身は一方向のものではなくて、双方向での会見という形にしてほしかったと思います。

ただ、長女の複雑性PTSDということもあり、直前まではそのつもりで本人もいたのですけれども、やはりそれが出来なくなって、会見してる間に何か発作とか起きることも考えられるでしょうから、やはり難しかったのかなと思います。  

一方で夫の方については、私も「結婚の段階になった時に経緯などを説明することが大切だ」ということを以前に話をいたしましたけれども、確かに春ですか、文書ではそのことについての説明をしているわけですけれども、やはり私としては、自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える、そういう機会があった方が良かったというふうに思っております。」

 小室圭についてのそっけなさ・・・というか「夫」については・・・ですって。

 

 家族について

そうですね、結婚までの間、直近になると、やはり結婚した後、しばらく東京都内にいて、その後アメリカの方に行くことになり、そうすると、今まで自分のところに置いておいた荷物などのことがどうしても、本人もそうですし私も気になるわけですね。

で、それでしかも私自身も貸してた本などもありますので、そういうことについて「どうしようか」ということを話をしました。  

で、彼女も例えばその、ニューヨークに荷物全部持って行けるわけではありませんし、さりとて本人が持ってる書籍の中には、海外の公式訪問の時にいろいろ下調べをした日系人関係の本とかなんかもありますので、そういうものは活用してほしいという意向を持っておりました。  

そのようなものを、どういうふうにこれから、場所も移動させるわけですけれども、していこうかということが一番、結婚する前の時点での話し合いかなというふうに思います。

 さりげなく「里帰り」の理由をおっしゃった殿下。やっぱり「お金」の事を書いているネットや週刊誌を責めているんですね。

次女はこの春、5月ですかね、からろうあ連盟で仕事をしておりますけれども、本人は大変ありがたく思って仕事をしております。

上司の方々からいろいろ教えていただきながらですね、少しでもお役に立つよう努めてくれれば私はうれしく思います。

また、その他の仕事についてもですね、一つひとつ大切に思いながら、丁寧にしていってくれればいいなと思っております。

結婚については、そういう時期が来ましたら、じっくりと話し合いをしたいと思います

 

「(悠仁殿下の)進学につきましては、本人とも相談しつつ進めております。

また、成長の様子ですけれども、そうですね、今、中学3年生で、これはどの中学3年生もそうなのでしょうけれども、1年前と比べると机に向かっている時間が格段に長くなっているんですね。

で、そういう日々を過ごしているわけですけれども、私も時々、そんなしょっちゅうではないものの、机に向かって問題を解いてる様子などを見ることがあり、そのような時に改めて、今15歳で中学3年生ということを、当然のことではあるんですけれども、そういう時に実感することがあります。以上です」

悠仁殿下がとても大きくなられて背丈も高いですね。

佳子様もいい意味で落ち着きが出て来たというか。

殿下・・・お疲れではないですか。心安らかに過ごせるようにお祈りしています。

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皇嗣殿下56歳に

2021-11-30 07:05:00 | 皇室報道

  皇嗣殿下 お誕生日おめでとうございます!! 

記者会見は1時間に及んだそうです。

しかも、最初から眞子さんの話に集中していました。

 眞子さんの結婚と複雑性PTSDについて

それでは、最初に私たちが10月26日に出しました感想に記した皇室への影響ということからお話をしたいと思います。  

まあ、いろいろあったと思いますけれども、私が感じるのはまあ、主に2つです。

その1つは、今回の長女の結婚が公になって以降、さまざまな媒体で私たちの家、秋篠宮以外の皇室にも影響が出た、ということを感じたからです。

 で、例えばそのことによって、天皇皇后両陛下がどういう風に感じてるとか、細いことは私も記憶しておりませんけれども、ありましたし、それからもっとはっきりしているのは、この、娘の結婚に対して上皇后陛下がいろいろ言われたとか、こういう考えを持っているというのが週刊誌に出たりもしました。

で、このことは宮内庁のホームページにもありますけれども、2度か3度にわたってそういうことはなかった、実際に私もそういうことを聞いたことは一度もないわけなんですが、そういうなかったということを説明しているのですけれども、それでもその後も続いたということがあり、やはり負担になったことには間違いないと考えています。

 眞子様の結婚を後押ししたのは上皇后だった・・という噂が絶えませんでした。かなりしつこくて、こうやって殿下が否定してもそれでもやっぱり報道されてしまう。その事が殿下の「負担」であったという事ですね。

 週刊誌の心無い記事が殿下の「負担」となって苦しめたというのは、大いに罪であると考えます。

 

それが1つです。  

もう1つは、結婚にあたって普通であれば行われている3つの行事ですね。

納采(のうさい)の儀と、告期(こっき)の儀と、入第(じゅだい)の儀、この3つの行事を行わなかったことで、これはあの、まあ私の判断で行わなかったわけなんですけれども、これはもともとは皇室親族令ですかね、にあるものですけども、今はそれはもうありませんので、絶対にしなければいけないというものではないわけですけれども、慣習的に行われているものであり、私は本来であれば、それは行うのが適当であると考えています。

 しかし、それを行わなかった。

で、そのことによって、そうですね、皇室の行事、そういう儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられます。

本来であればその3つは行うのが、私は繰り返しますけれども、よかったと思っております。

それがあそこに書いた影響ということであり、その後に「迷惑をかけた方々に対して申し訳なく思っている」というのもそこにつながります。  その次は。なんでしたっけ。

 結婚に際しての行事を3つ省略したのは殿下自身で、そのせいで皇室の行事が非常に軽くなった‥そういう印象を与えたと殿下は考えています。

出来ればしてやりたかった・・・父親として、そして皇嗣としての公私の別が苦しめたのでしょう。

 

 公私の別について

皇室のあるべき姿、これは上皇陛下が言われていた「国民と苦楽をともにし、そして国民の幸せを願いつつ、務めを果たしていく」、これが基本にあると私は思います。

そして、それとともに、やはり時代というのは変わっていきますので、その変化にも即した皇室であることが大切ではないかというふうに思っております。

 で、その上で「公」と「私」を考えますと、これは私は、「公」は常に「私」に優先されるべきものだと思います。

もちろん、例外は存在すると考えますけれども、「公」は「私」に優先されるべきものでありましょう。  

一方それでは、今の一連のご質問にあった娘の結婚のことと、この「公」と「私」のことを合わせて考えてみますと、これはどうなんでしょう、「公」と「私」というものにうまく当てはまるものなのかどうか、という気もいたします。

彼女は結婚するまでの間、皇族でいる間、公的なものと私的なものの場合には、常に公的なものを優先してきている、と私は思います。

これは海外の訪問も含めてですね。  

で、論調の中の一部に「娘が公よりも私を優先させた」というのがありましたけれども、仮にもし結婚するという、これは私的なことだとは思いますけれども、を優先させたとしても、結婚することを公にしてからすでに4年経っているわけですね。

もし、それを優先させているということになれば、10年経っても20年経っても結婚はできないということになるかと思います。

まあ、そのようなことから、直接的に「公」と「私」という2つの概念に当てはまるのかというのは、少し疑問に思いました。

 ここが週刊誌のいう「親として甘い」とか「眞子さんを庇った」とか言われる部分ですが、殿下のおっしゃる通りだと私は思います。

眞子様は結婚までの間、ずっと「公」を優先してきました。降嫁する寸前まできちんと祭祀にも出席されていた。

皇族が「公」を優先し続けたら私的な「結婚」は出来ないだろう・・・まさにその通りです。

今回のことが「眞子様が公より私を優先した」と短絡的に語っていいのかと殿下は疑問を呈しているのです。

 わかる人はわかるけど、表面的にしか皇室を見ない人にとっては殿下がおっしゃっていることの半分も理解出来ないと思います。

 インターネットの書き込みについて

そうですね、週刊誌、これは文字数の制限っていうのはあります。

一方で、ネット上のものというのはそういう制限がほとんどないわけですね。

なので、その2つは分けて考える方が良いのかなというふうに思います。  

で、娘の複雑性PTSDになったのがおそらく週刊誌、それからネット両方の記事にあるのだろうとは思いますけれども、私自身、それほどたくさん週刊誌を読むわけでもありませんけれども、週刊誌を読んでみると、非常にその、なんて言いましょうか、創作というか、作り話が掲載されてることもあります。

一方で、非常に傾聴すべき意見も載っています。

そういうものが1つの記事の中に混ざってることが多々あります。

 ですので、私は確かに自分でも驚くことが書かれてることはあるんですけれども、それでもってすべて否定するという気にはなれません。

一方、ネットの書き込みなど、これも私はそれほど多く見ることはありません。

何と言っても、1つの記事に対してものすごい数のコメントが書かれるわけですので、それはとても読んでいたら時間も足りませんし、目も疲れますし、読みませんけれども、中には確かに相当ひどいことを書いてるものもあるわけですね。

 それはどういう意図をもって書いているのかは、それは書く人それぞれにあると思いますけども、ただ、今ネットによる誹謗中傷で深く傷ついてる人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。

やはりそういうものについて、これはあの、なんて言いましょうか、今ネットの話をしましたけれども、誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ、私としてはそういう言葉は許容できるものではありません。以上です。

 眞子さんのPTSDの原因が週刊誌やインターネットの記事が原因であったこと、それは間違いないですね。

 しかもそれは小室圭が登場する以前からの話だという事がわかります。

 本当にひどい書き込みもある・・・殿下はちゃんと読んでいらっしゃったんですね。それはどんなに苦しんだか。それを考えると胸が痛いです。

でもここまでおっしゃっても、誹謗中傷はやめないんだろうな・・・愛子天皇派は。

 

 

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マスコミが隠す愛子内親王の20年 3

2021-11-30 07:00:00 | 皇室報道

 2005年12月1日 愛子内親王4歳

 2005年12月16日 元旦に公開される写真撮影の日

この日は愛子内親王がむずかっていたので千代田側に出仕の福迫氏を同伴してよいか聞く。陛下は「愛子はもう大きいのだから」と拒否。

しかし、東宮は福迫氏を同伴させてしまう。

 

 2005年12月23日 「2時間47分」事件起こる

 天皇誕生日での挨拶の時、愛子内親王がぐずり始める。

 雅子妃が愛子内親王を連れて東宮御所に帰り、そのまま3時間近く戻って来なかった

 やっと戻って来た雅子妃のセリフ「どうも」

 2006年1月1日

 2006年2月23日 皇太子の誕生日

 2006年3月3日 学習院幼稚園プレ入園に向かう

 2006年3月13日 ディズニーランドへ一家と池田礼子親子が貸し切り状態

 皇太子一家・池田礼子親子・その他一家でディズニーランドとシーへ

 宮内庁予定では「行啓」となっている。

 雅子妃の考え「普通の子供と同じ体験をさせたい」

 一家が入る土産物屋は貸し切り・奇声が聞こえた

 すごい数の警官。何も知らない一般客はアトラクションやお店に入るのを規制されて怒り。

 予定より1時間オーバー

 愛子内親王はアトラクションよりコンフェ拾いに熱中。

この時、警備にあたったのは千葉県警です。

要は、千葉県民の税金で遊んだことになります。

 

 2005年4月11日 学習院幼稚園入園式

 園長にあいさつが出来なかった愛子内親王。「自然なお子様」と評される。

 それまで内親王は「〇〇内親王」と呼ばれるのが普通だった。しかし、愛子内親王から「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれるようになる。

称号を名字にしてしまったのです。

 2006年4月16日 オール学習院を鑑賞

 愛子内親王ご優秀伝説の始まり

週刊誌や皇太子の誕生日記者会見で語られた愛子内親王のご優秀伝説

 3歳 → ・雅子妃に代わってインターフォンで「ご飯お願いします」「新聞持ってきてください」

      ・折り紙と木登りが得意

       ・ままごとで「熱々のスープを召し上がれ」という

 4歳 → ・「ママへ今日は何がたのしかったですか」お手紙ごっこ

       ・相撲を見ながら「これは小結同士ね」

       ・スケート初体験ですいすい滑る

       ・バースデイケーキを持って雅子妃をお見舞い

       「病気の時にお母さまによくして貰ったからお返しするの」

       ・「〇〇が・・・だから・・・」の会話が出来る

       ・「だれだれに星がついたようれしいな」

       ・関取の名前を上下両方言える(ひらがなでかける)

        ・(マスコミに)みんな寒いところで待っててくれるからワンちゃんの腕を振ってあげるの

        ・英語・ドイツ語・スペイン語の歌が歌える

       

かなり不自然なご優秀伝説が出回る。

 

 2006年5月6日 幼稚園遠足

この日、雅子妃は座る為のシートを敷くことが出来ず、ぼやっとしており、さらに雨が降り出しても傘も差さなかったという。ゆえに回りの母子も傘をさせずに濡れていたというエピソード。

 2006年6月18日 父親参観

 

 2006年7月24日 那須へ静養に

 2006年8月3日 静養帰り

 

秋篠宮妃の懐妊でタガが外れたのか、「これでもくらえ」とばかりにディズニーランド豪遊をやってのけて、年頃の眞子様や佳子様の心をざわつかせた雅子さん。

入園早々、39度の熱が出てお休みが多くなる愛子内親王。その度に公務をドタキャンする雅子妃。批判されてもおかまいなし。

静養につぐ静養。そして静養はオランダまで。

 

 

 

 

   

 

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