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ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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上田久美子へ 帰っておいで久美子 2

2022-10-28 07:00:08 | 宝塚コラム

 さて。

朝日デジタルの記事で上田久美子が話していたという「推しではなく中身重視の芸術を」という意見。

正直、これは私が30代の時によく自分のブログやHPで語って来た事です。

ネットでは「上田久美子の「推し」発言は宝塚だけの事ではない」という意見も多々ありました。

いわゆる2・5次元とか、アイドルグループの「推し活」を意味しているんだろうと。

確かに私から見ると2・5次元というのは、いつまでも成長しないホストに貢ようなもので作品の良しあしは全く別の話だという事はわかります。

「戦国鍋テレビ」で色っぽい蘭丸を演じていた鈴木拡樹はすごい変わり方をしたけれど、そんなのは一部で、やっぱり彼らには問題があるとは思います。

 

宝塚においても「話はわからないけど〇〇ちゃんがかっこいいからいい」という人が多いです。

最近でいうなら「リスト」がいい例で、あれは全くの駄作の筈なのにツイッターでは「柚香光がかっこいい!」しか出てこない。

なんでもいいの、れいちゃんのマイティがかっこよければ。

こういうのにカチンと来る気持ちはよくわかります。

そしてこんな駄作でも東京ではチケット難になるって事が許せないんですよね。

年々宝塚のスターがアイドル化していく過程でファンの劣化も目立つのは事実です。

正直、「翼あるもの」を理解した人なんかほとんどいなかったんじゃないですか?

どこの場面のどのセリフがよかったですか?って聞かれても「うーん、わからない。ブラームスそのものをしらないし。でもまー様がかっこいいから」

で終わる。

その昔、花組の「復活」を見て、私の前に坐っていた20代とおぼしき女性達が「話、全然わかんなかったね~~」って言ってるのを聞いて「これは彼女達が悪いのか、わからせなかった演出家が悪いのか?」と思ったものです。

歴史の裏に沢山のエピソードが詰まっていて、その裏の裏の思いを伝えたいと脚本家が思って書いても、実際「退屈」「〇〇ちゃんの出番が少なかった」って言われたらおわり。

30代の私は非常に真面目に宝塚を考えていたので(今もだけど)

なんで実力あるスターが昇進していかないのか」

「何で作品がひどいのにチケットは売れるの?演出家を甘やかすんじゃない」と真剣に思って怒っていたんです。

 

でも、渡辺武雄先生に「演出家は自分の作品に合うスターに出会わないと、スターは自分を見出してくれる演出家に出会わないと出世しない。あなたの気持ちはよくわかるけどね」と言われました。

 

考えてみると植田紳爾が歌劇団のトップに名乗りを上げられたのも、「ベルばら」と「ベルばら4強」がいたから。

小池修一郎が一路真輝に「エリザベート」を与えた事で両者が大きな得をしました。

そういうものなんです。

「劇場が人間関係の消費の場」という言葉の意味は本当にわかりません。

ただ、確かに宝塚にはスターシステムがあって、それを支える「ファンクラブ」とおばさまたちがいて、成り立っている。

その人間関係が崩れたら歌劇団にいられません。

また、劇場というのは大昔から「社交」「見合い」の場でもありました。

本当に舞台が好きな人だけが来るのではなく「お付き合い」とおしゃべり、今後の人間関係の構築の場でもあるのです。

ゆえに、歌舞伎座でも帝劇でも宝塚でも「今日の〇〇は最高でしたわ」という言葉が行き交うのです。

しゃれて上品であか抜けた別世界・・・それが舞台と思っています。

 中身重視は10年早い

自分が脚本を書くようになってセミプロの方々に言われたのは「ふぶきさんの作品はお金がかかりすぎて上演できない」です。

そう、舞台を上演するには

 箱(劇場の予約)

 稽古場の確保

 脚本家・演出家の確保

 役者の確保

 チケットを売る

これらを全部一人でやらないといけないんです。

今までに先輩方の作品をいくつか見て来ましたが、彼らは元々演劇界にコネと顔があり、そのつてで役者を集められるしチケットも売れる。

チケットを買う人の3分の1は業界関係者、として残りは俳優たちの身内です。

最初はそうやって赤字を出しながら作品を発表し、それを見た業界の誰かが「今度、これ書いてくれない?」と依頼が来る。

つまり1にも2にも「お金」です。

それは箱が大きくても同じです。

帝劇が何でジャニーズに貸すのか、なぜ「エリザベート」「レミゼ」ばかり上演するのか。劇団四季は何で未だに「ライオンキング」なのか。

採算を取る為に他ならないのです。

そしてね、上田さん。

外の世界の俳優程「自分の見せ場」に拘るんです。

宝塚みたいに徹底したスターシステムによって不満があっても黙ってる人なんていません。

みんな「私が一番」と思っているから、せっかくいい脚本を書いても「私の出番が少ないから書き直し」が多すぎる。

そういうものにあなたはついていけるんでしょうか?

 商業演劇とは

私、自分でいうのもなんですけど、いい脚本を書いているとは思うんです。上演したらきっと楽しいよ、みんな好きになってくれるよって。

でも、とにかく200万か300万のお金がないと始まらない。

そして日本の商業演劇の現在は「人寄せパンダ」によってチケットを売っているのです。

1970年代に上田久美子が生きていたら、それこそアングラ劇場やら蜷川さんとか、三島由紀夫とか「作品重視」の人が活躍する世界にどっぷり浸る事が出来たでしょう。

1970年代の日本は高度経済成長期で、無名の役者が一つの作品の主役をやって出世するケースがあったそうです。

演劇界が役者を育てるという意気込みに満ちていたから。

森光子はその代表格ではないですか?

しかし、現在はとにかくコスパがよくてキャスティングは事務所の大きさとか、とにかくファンが多くて何でもいいから見に来てくれる人を主役に据えるのです。

その役がその俳優に似合うとか似合わないとか関係なし。

何でも井上芳雄、何でも山崎育三郎みたいなね~~そして巧みに入り込むジャニーズ事務所とAKB。

そんな世界で生きていけます?

 戻っておいで

結局、「温室の花程外に行きたがる」(BYジャルジェ将軍)なんですよ。

今はオペラの演出できる、留学出来る、みんなが注目してる・・・でも、あと数年経ったら無名になりますよ。

なんだかんだ言って上田久美子のよさを引き出し、好きに作品を書けるのは宝塚しかないと私は思っています。

 

宝塚歌劇団は大きな間違いを犯しました。

それは荻田浩一と上田久美子を退団させてしまったこと。

この二人の脚本と演出は宝塚には絶対に必要なのです。

宝塚の100年先を見越した時に、名作として残るのはこの二人の作品だから。

夢とロマンを感情で理解している荻田浩一と緻密に作る上田久美子。

この二人こそ、宝塚のスターシステムに必要なのです。

考えても見て下さい。

代表作がないままトップになったスターは哀れです。

スターの個性を知り、それをもっともよく引き出せる演出家を二人も退団させた罪は重い。

木村信司と植田景子を切ってもいいから荻田浩一と上田久美子を雇うべき。

二人とも外の風にあって初めて宝塚のよさを実感する、したでしょう。

単発でいいから作品の提供をお願いして下さい。

 

そして上田久美子へ。

あなたは頭がいいけど世間知らずで頑固な芸術家です。

頑固さは時に不運を招きます。

世間はあなたが考える程甘くないし、芸術に優しいわけでもない。

イギリスでもフランスでも環境活動家が名画にペンキなどを投げつける時代ですよ。

芸術がなくても生きていけるが彼らの主張です。

それに比べて宝塚は大きな舞台とセリに銀橋、大階段、豪華な衣装に素晴らしい楽曲。こんなに贅沢な事、よそで出来ますか?

私なんて一つ場面転換シーンを作るだけで「金がかかる」と言われてしまう。

遅すぎた人生を嘆くわけじゃないですが、高学歴と勉強に打ち込めるあなたが羨ましい。

頭を下げても宝塚に作品を提供すべきです。

人生、悔いのないように。

飛び出して頑固を貫いても何もいい事はありません。

古くてお堅い人達の頭を柔らかくするにはどうしたらいいか、そこらへんを学ぶべきです。

今後、あなたに必要なのは「社交性」です。

あなたから見たら私達はかぼちゃだけど、わかる人にはわかるから。

あなたの作品が大好きだから。

 

それと観客も賢くなるべきです。

いつもいつも小柳奈穂子のメルヘン世界がいいわけじゃない。

「清朝」ってどういう世界だったんだろう。

その当時の世界情勢は・・・まで考えながら作品を見て批評してみるべきです。観客のレベルが上がれば座付き作家のレベルも上がる筈だから。

 

 

コメント (7)
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上田久美子へ 戻っておいで久美子

2022-10-28 07:00:00 | 宝塚コラム

大元の記事を読んでいたわけじゃないけど、ツイッターで話題になっていたので。

上田久美子が「推しでなく中身で問う演劇」というタイトルで朝日デジタルに記事が載ったそうです。

(全文読める方、内容を教えて)

概ねこんな事を話していたらしい

 上田久美子は現在フランスに留学中

 日本の「推し活」に関して、「推しが出ていれば作品の内容をみない」観客に苦言を呈した

 日本にとって劇場は「人間関係を消費する場」

これにヅカファンが結構怒っているそうで。

「がっかり」とか「夢を壊すな」という意見が多い。一方で「上田先生の気持ちもわかるけど宝塚ってそういう世界」という見方が多いのかな。

どうせ、私なんかのブログを彼女が読む筈ないし、私は上田先生のように頭がいいわけでもなく、チャンスをものにできた人間でもない。

けれど、これでも宝塚観劇歴は30年に及ぶし、20年くらいはレビューを書いているし、演劇に興味を持ち長い間脚本を書く勉強もして来たし。

素人の意見と片付けずに耳を貸してほしいと切に思います。

そして彼女より20は年上になるだろう「大人」の意見として聞いてほしいのです。

90年代、木村信司・荻田浩一・植田景子・児玉明子・藤井大介・小柳奈穂子・斎藤吉正のグループトークも見た事があります。

90年代デビュー組の彼らの中で「宝塚はお祭り」と言った藤井大介のみが私の心に刺さり、以後、彼の作品はヒットし続けています。

その理由は、藤井大介は小さい頃から宝塚を見てきて、宝塚がどんなものなのか知っていたから作品に着手しやすかったんだろうと思います。

一方残りの人達は「自分のやりたいことをやる。表現していく」と言いました。

90年代、植田紳爾理事長は「宝塚らしい作品を」と言い始めました。

90年代デビュー組の作品は宝塚が徒弟制度から離れて行った時期なので、それぞれが勝手に自己主張を作品に込めるようになったんですね。

それが私達観客からすると、「ジェンヌの事を全く考えていないのではないか」と思われる作品群だったわけです。

その前兆はありました。

小池修一郎と正塚晴彦が、独自路線で「自己主張」をする作品を作り始めた。

今でこそ小池修一郎は世界の・・・と言われるけれど、初期のオリジナルはコアなヅカファンに愛されるものでしかなかったと思います。

正塚作品も、設定もセリフもいつも同じで、コアな正塚ファンには受けたけど一般的な観客には不評でした。

それでも、当時は女性だけでなく少ない男性ファンも演出家を批評するという事が流行りました。

(それは今に始まった事ではなく、戦前からそうだったのです)

劇場の前では沢山の人がたむろする中で「今回の小池先生は~~」とか、そんな会話が繰り広げられていたのです。

 

そういう流れに刺激を受けたのか90年代組は「宝塚とは」という事を全く理解せずに作品作りを始めてしまったわけです。

木村信司の「王家に捧ぐ歌」は今も名作として残っているようですが、主役クラス以外は全部オーディエンス扱いというつまらなさ。しかも今もって日本語の使いかたがわからない言語障害だし。

植田景子の「ICARUS」始めほとんどの作品は娘役にひどい扱いをするし、恋愛を描けない、結果的に彼女は自分の好きな男役を褒めたたえる事しか出来ない作家だとみられています。

児玉明子は完全に発達障害で、あの花總まりですら「先生のおっしゃることがわからない」と言った程。特に「月夜の歌聲」は盗作問題に発展するし「仮面の男」はクレームがくるし、ブラックリスト入りですね。

荻田浩一は「夜明けの天使たち」が大好評で湖月わたる版と彩輝直版で評価された奇才ですが、大劇場デビューの「螺旋のオルフェ」はまるっきりダメ。私は荻田作品が好きだったけれどそれこそ「推し」ばかり追う人達にとってはわけがわからない作品を作ると思われていたようです。

斎藤吉正はショーはまあまあ、でも芝居は今もって下手。作品を作るにあたって歴史を知らず場面転換ばかり多い作品を作るので飽きます。とはいえ、彼は唯一90年組の中で大変貌を遂げ、今や立派な宝塚歌劇団の社員です。

小柳奈穂子は「アメリカン・パイ」等を見た時は「この人、全然宝塚が好きじゃないんだな」と思いましたけど、柚希礼音との出会いで大成長。メルヘン路線で確固たる地位を掴んでいます。

一方、未だに自分のこだわりを捨てきれず、中々うまくいかない作家に大野拓史がおり、今ひとつの動きをしています。

スカイステージを見てわかるのは、90年代から21世紀初頭までの作品はどれもつまらない事。退屈だという事。

歌劇団は「宝塚らしさ」を表現させようと、名作シリーズやらシェイクスピアシリーズやら色々課題を与えたけれど、藤井大介の「イーハトーブ夢」以外はどれも失敗に終わりました。

何で90年代組をここまで語ったかというと、彼らは今や中堅だけれど、安定した作品を提供してくれる演出家が非常に少ないという事が問題だからです。

ショーでひっぱりだこ・・・というより彼しかまともなショーがつくれないだろう藤井大介

組む組によって出来不出来がわりとはっきりする小柳奈穂子

ショー作品はよいものをつくるけれど芝居の作り方は未だに覚えない斎藤吉正。

これに未完の大野拓史がいるくらいなんですよ。

(中村一徳も90年代組ですが正直、忘れてました

歌劇団様、これって問題ではありませんか?

こういう所に問題意識を持った事ありませんか?

 

そして21世紀デビュー組がどどーんと頭角を現し始めました。

とはいえ、一人で大物を気取っているような生田大和、ワンパターンに陥った稲葉太地、「キャパ」以来、男の世界を描いてばかりの原田諒

そして奇抜な作品で好き嫌いがありそうな谷貴矢。さらに視点はいいものの訳がわからない作品を作る田淵大輔

そんな中で上田久美子の登場は衝撃的でした。

 

スカイステージでしか見てないけど、予定されてなかった東上が実現した理由がわかりました。

これぞ宝塚らしい作品と言えましょう。

珠城りょうと鳳月杏がこの作品で大いに名を挙げた事は言うまでもありません。

これこそ究極の「愛」

トップスターだけでなく脇役の一人ひとりにも役が与えられ、衝撃的な1幕ラストは今も忘れられません。

恐らく早霧せいなの代表作と言えるだろうし、望海風斗の立場も大きく上げました。

退団していく花乃まりあへの愛がほとばしるようで、今思えば花乃の隠れた才能を引き出したものではないかと思う程です。

つい最近も山里さんのBSプレミアムで見たのですが、短いショーの中に沢山のメッセージが込められ、一人ひとりの個性を生かした新しいショーの形でした。

昔の名作を今時の人達に涙・涙で感動させた作品はありません。それも上田久美子が書き添えたセリフ「カール!」で全員号泣でした。

もっとも好きな作品です。大階段と銀橋の使い方が完璧で壮大なロマンが繰り広げられました。

珠城りょうのさよなら公演としてこれ以上の作品はありませんでした。

大階段の使い方。ラストの銀橋、ああこの人は本当にうまいと思いました。

かなり内容は難しかったけど、いかにも望海風斗らしい作品に仕上がっていましたし、自分の教養が深くなった印象がありました。

見てないけど・・・

 

これらの作品を列挙してわかるのは、上田久美子の作品は決して「推し」がいればいい作品じゃないって事です。

そしてこれらの作品の登場で主役から端役までそれぞれ、大いに実力を発揮し、その後の宝塚人生に変化をもたらしました。

いいですか?上田久美子さん。

どんなスターも「作品」なしには誕生しないんですよ。

舞台芸術というのは、脚本がよいだけでも、出演者がいいだけでも成立しません。本と役者、そして演出と音楽が全部マッチングした時のみヒットが生まれるし評価され、そこにスターが誕生するのです。

 

スカステージで上田久美子のインタビューを見た事があります。

そこで感じた事は、「この人は本当に頭がいい人だ」ということ。

凡人ではない、庶民ではなく崇高な芸術の上に入る人で、この人の作品を見ることで私自身も大いに勉強になるし、賢くなれるなと感じたのでした。

 

 

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