ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウイークリー

2024-09-22 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

皇嗣家

8月14日~15日・・・妃殿下 → 石川県訪問

・珠洲市等における集団検診事業について聴取

・胸部検診車ほか見学

・能登半島地震への対応状況等聴取、懇談

・集団検診見学

・珠洲市における能登半島地震被災状況並びに住民の健康支援の状況等について聴取

・被災者用弁当調理場所見学

・珠洲市災害ボランティアセンター見学

・珠洲市婦人会と懇談

9月17日・・・妃殿下 → 独立行政法人日本学術振興会「令和6年度特別研究員-RPD研究交流会」出席

9月18日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議

9月19日・・・殿下 → 大阪府訪問

・済生会大阪府済生会大淀南医療福祉総合施設視察

 秋篠宮殿下は済生会病院を視察。これは報道されませんでしたね。

紀子様は結核予防会の関連で視察とボランティア。頭が下がります。このさりげない、でも忘れていないという事がどれ程国民の心の励みになるか。

 石川県の能登地方で最大級警戒レベルの大雨。

これでは28日から訪問出来るかどうか。いや、和倉温泉でしたっけ?行く所。何でいつもこうなるかな。ひどいなと。正直、復興なんちゃらを見学している場合じゃないような気がしますけど。ボランティアも忙しいだろうし。

仮設住宅まで浸水。避難所も一杯。

果たして1週間後はどうなるか。取りやめるか。

でも国民としては「悪天候のせいで取りやめざるを得ない」とか言われるのは不本意なんですよ。じゃあ、それでも行ってほしいかと言われたらそれも困るんですよ。

なぜ、初の単独公務で呼ばれもしない場所に行く事にしたのか。そっちの説明からして頂かないと。

出雲の神々の怒りが国民に向かっているのは残念。

伊勢や賢所の神官達は本当はわかっているのでは?

 佳子様が眞子さまの後を継いで、陶磁器協会の名誉総裁に任命されました。佳子様の努力が報われたなと思います。

 佳子様 米子入り 

21日、佳子内親王殿下が「手話パフォーマンス」出席の為に、米子入り。

何だか本当に痩せられたなと思いますが、歳を重ねるに従って美しさが倍増され神々しい程です。ベージュは目立たない色なのに、こんなにお似合いでしかもオーラが半端ない。イヤリングとバッグと靴の合わせ方が本当に素敵。

とはいっても、誰でも似合うコーデではないんですよね。

普通に来たら地味になるだけですから。

イヤリングとバレッタは鳥取県の工芸品だそうです。

9月12日から天皇一家は静養に入りました。

ここで、なんと酷暑の中、30分もおしゃべりしていたそうです。

会話しているというより、皇后と内親王が一方的にしゃべくりまくっているような気がします。

オルゴール美術館などいつもの場所へおでまし。

17日には那須どうぶつ王国へ。

こんなに人というのはだらけるものなのかと思う程。

体型に全て現れていますよね。

私も太っている方だから皇后のような格好は出来ません。でも気にしないのが皇后なんだなと。

天皇陛下、太りすぎにもほどがあって。近代天皇の中でもっとも太っているのでは。不健康そのものです。

これが令和の天皇一家でございます。

皇嗣家は家族総出で公務に励まれているというのに。これ、二度めだからね。

はい、ラクダに乗りました。「MASKED EMPRESS」今一度。

娘をいつまでも子供扱いして傍に置かないと落ち着かない母。

一方で未だに父の呪縛から逃れられない娘。

一人の人格の中に娘と母、二つの自立出来ない心がある。これは薬でどうかなるものでもなく、自覚しないといけない事ですね。

それにもう一つ、夫なしでは行動出来ない妻の側面もある。

つまり、どれか一つ欠けても崩壊に向かうのではないかと思います。

1度目の静養は「母」からの脱却だったけどうまく行かなかった。

結局3人一緒でないとダメな事がわかった。

そして一人娘の内親王は、知らないうちに母の支配下に置かれて、自我すら許されず、自分がない生活を強いられている。でも幸いな事に悩むような頭脳は持ってない。

愛子内親王に公務がないのは、引き継ぐものがないからとも言えます。

また、依頼がないのも、ご両親を呼んだ時の「面倒だな」という気持ちが繁栄しているのです。

親の因果が子に報いというか、このままだと愛子内親王は孤独な女性として終わってしまうんですけど、それでいいんですか?

小和田夫妻のように娘が還暦すぎても生きるぞ!って感じなんでしょうかね。

 

天皇とは何か。

それは「日本」の安寧を祈り、守り、精神的支柱とならなければいけない存在です。

しかし、間が悪いというか、行動する度に国内では大きな事件が起きたりする。例えば18日に帰京したけどその日は中国の深圳で日本人が殺された。

22日、能登で災害級の大雨が降っているのに私的なおでましで「動物愛」を語るとか。

そんな事やってると、持ち上げるマスコミ以外誰も関心を持たなくなるのに。

ため息しか出ませんね。

 


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21 コメント

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Unknown (きゅうりもみ)
2024-09-25 22:21:02
きゅうりもみです。HN忘れてすみません。
返信する
Unknown (きゅうりもみ)
2024-09-25 13:41:22
>電気うなぎ さんへ
>悠仁さまと結婚すべきという声も増えて来ました。... への返信

ナル天皇が勝手に「裁可」しないか、心配ですよね
眞子さまを皇室から追い出すのに成功した手口ですので。幼い頃から伯父一家を身近で見て来た悠仁親王殿下が、受け入れるとは思えませんが、その場合、秋篠宮皇嗣家はどうなるのでしょうか?
返信する
Unknown (きゅうりもみ)
2024-09-25 13:30:51
>スイトピー さんへ
>ナルの顔は昭和の時代、パンスト顔のツリ目でした。... への返信
でしたよね。でも、清潔感と品の良さがありました
返信する
Unknown (Unknown)
2024-09-25 13:30:20
>スイトピー さんへ
>北白川家は、国家と皇室への忠誠の家系です。
皇室に押し入った、場違いな粉屋と小和田の女を見ていると、家系は本当に重要だと思います。... への返信
北白川家は、素晴らしい家系なのですね!
ミチコさんの手練手管にころっと騙された明仁氏にひとを見る目と皇室に生まれた自分の立場への理解があったならorz
ところで最近、アキミチ様の評伝が刊行されたようです。きっと「ご慈愛の美智子さま」を前面に出した甘ったるい砂糖漬け本だと思いますが、国会図書館や各地の公立図書館等に配本され、真実は忘れられて綺麗ごとのみが後世に伝えられるだろうことに、恐怖を感じます。
返信する
Unknown (電気うなぎ)
2024-09-24 12:42:51
ふぶきさま、ごきげんよう。
愛子さまには天を動かす力はありませんから、能登に行くだけ無駄でしょう。
しかし、能登側から断りを入れてこないということは、被災地からの要請ではなく、宮内庁側からのねじ込みだからでは?
または、被災地としては皇族を袖に出来ないから?

いずれにしろ、早く発表すべきですけど、雅子さまはこういう事(相手のために決断を急ぐほうが良い)に疎いので、またドタキャンでしょうか。

ところで、私も秋篠宮家の親王たちは常に危険にさらされていると思います。
車で移動するときは、必ず別の車に乗ります。
それと、少ない警備費をうめるには、皇嗣職大夫にも頑張ってもらわねば。

最近の知恵袋の流れとしては、今でもおバカさんたちが「愛子天皇がいいー!」などとやっていますが、悠仁さまと結婚すべきという声も増えてきました。
あんなに貶めた悠仁さまに頼るしかないのでしょうか。
しかし、これこそ危険です。愛子妃は凄い速さで未亡人になり、特例で即位することになると思います。
返信する
Unknown (スイトピー)
2024-09-23 20:00:22
>春風邪 さんへ

私も初めはそのように感じていました。粉屋を否定するのは、秋篠宮家にも降りかかると。
ですから、粉屋美智子さんが、見合いを25回もして波多野との婚約を破棄して皇太子に乗り換えたという国会議事録を某所に投下することも躊躇しました。
しかし、そうも言っておられないという結論に至りました。
秋篠宮家の男子に、生命の危険を感じたからです。

秋篠宮殿下も悠仁殿下も、粉屋美智子さんとは別人格です。美智子さんの所業を、秋篠宮家を盾になかったことにはできません。
皇室に無関心層ならともかく、皇室を憂慮する我々は判別できるはずです。
返信する
Unknown (スイトピー)
2024-09-23 19:48:26
>きゅうりもみ さんへ

北白川さんは、検索していただくとわかります通り、本当にお可愛いらしい方です。そして、明るい方だったそうです。

明治28年、能久親王が台湾出征中に戦病死、次代の成久王はパリ留学中に交通事故で薨去、成久王のお子で、肇子さんの実父である永久王も昭和15年9月蒙古方面へ出征中に航空機事故で亡くなられたとのことです。
国家と皇室への忠誠の家系です。

皇室に押し入った、場違いな粉屋と小和田の女を見ていると、家系は本当に重要だと思います。
返信する
Unknown (春風邪)
2024-09-23 16:29:50
横から口を出して申し訳ないのですが、上皇陛下の結婚相手について、美智子様を否定するのは、秋篠宮様、佳子様、悠仁様の存在を否定することになるので、そのお気持ちは収めたほうが良いのではないかと思うんです。あの方がいて秋篠宮様がお生まれになったのですから。ご長男に関しては思うところがありますが、あのご長男があの嫁を貰ったからこそ、秋篠宮家に皇統が移ったわけで…世の中なるようになるもんですね。まあ天の采配なのでしょうかね。ところで私は愛子さんには雨を降らす力も雨をやませる力もないと思っています。彼女にはそんな力はありませんよ。ただのお嬢さんです。ただ、母の49日の日、うちの庭の池に色のない真っ白な太い虹がかかって驚いたことがあります。不思議な偶然が時として現れる事は否定できませんが。
返信する
Unknown (きゅうりもみ)
2024-09-23 05:07:23
>スイトピー さんへ
>そもそも、明仁皇太子のお相手は北白川さんでした。北白川さんなら、久邇さんを選んでいたはずです。... への返信

北白川さんのお名前は知って居ましたが、詳しくは
知らなかったので調べて来ました。本当に素晴らしい方。WMさんを選んだ父子の目は、節穴としか言えませんね(´;ω;`)ウッ…   [長文なので部分抽出]
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■■島津肇子
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E8%82%87%E5%AD%90_%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E8%82%87%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
■略歴
▼生い立ち
1939年(昭和14年)11月13日午後7時15分、北白川宮永久王と同妃祥子の第2子(第1王女子)として誕生。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、祖母・房子(明治天皇第7皇女子周宮房子内親王)や母、兄とともに皇籍離脱。皇籍離脱後は、「北白川 肇子(きたしらかわ はつこ)」と名乗った。
▼旧皇族として
1951年(昭和26年)、継宮明仁親王が18歳となり、翌1952年(昭和26年)に立太子したことに伴い、誰が皇太子妃となるか世間で大いに話題となった。当時は皇族・華族から妃を出すのが社会的にも当然の認識であった。立太子に前後して肇子は『お妃候補』として再び世間の注目を受ける。1951年(昭和26年)7月29日の夕刊読売では『皇太子妃候補の令嬢たち』と題し、肇子や旧皇族の少女たちを紹介した。さらに1954年(昭和29年)1月1日の読売新聞『東宮妃今年中に選考委』でも、肇子の名が報じられた。
学習院女子中等科在校中、後に夫となる島津忠広と初めて会う。忠広の妹が学習院に在学していた関係での機会だった。
皇太子明仁親王は、1957年(昭和32年)夏に知り合った正田美智子に好意を抱き1958年(昭和33年)11月27日に皇室会議で婚約が内定した。11月29日、美智子と両親が、北白川家を挨拶に訪れた際には、房子、祥子、道久と肇子の兄妹で正田親子を歓待している。
世間がミッチー・ブームに沸く中、12月2日、肇子が玉里島津家の島津忠広と婚約することが発表された。忠広とは四年越しの知り合いで、小松輝久の媒酌で縁談がまとまった。恋愛結婚とまでは言えないが、兄道久を通じて10回以上は互いの家を訪問しあっていたと報じられた。ただし忠広によれば、前述のとおり以前から好意があり、学友である皇太子の婚約内定を発表前に知って、親戚である小松輝久を通じ、北白川家に交際を申し込んでいた。また、こうした忠広の気持ちを知っていた皇太子が、肇子と忠広が会う機会を作ったこともあったという。
▼人物
1959年(昭和35年)当時の肇子の人となりは、スポーツを愛好し、明仁親王より背が高く、音楽や演劇を愛好する気さくな人柄であるという。皇室と旧皇族の新年の宴で、明仁親王と楽しく話す様子もあり、最後まで有力な候補と見做されていた。しかし、祖母の房子元妃も母の祥子元妃も、話があれば拒まないという態度であった。肇子も、マスコミの取材攻勢に晒されながら、逆に記者に同情し、また母祥子が肇子にお妃候補の記事が目に触れないよう気遣った際も「何が書いてあったって良い」「期待も感激も無い」と臆することも無い態度であったという。他方、祖母・房子から言外に伝わる「元皇族の義務」も特に重く感じていなかった。
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Unknown (スイトピー)
2024-09-22 19:28:02
近代の天皇に、こんな小太りはいません。あと、ナルの顔は昭和の時代、パンスト顔のツリ目でした。
三笠宮家の親王たちは、明治天皇や大正の面影がありましたが、ナルの顔はそういうものは感じられません。

愛子さんに公務をさせる、これって虐待じゃないのと思います。本人はやりたくないでしょうし、愛子さんを皇位に推している大人が、こんな演出をしているのですよね。

天皇家の三人に来られても現場は迷惑なだけだし、神官どころか国の中枢はみんな知っていると思います。
一時期盛んだった、お相手の報道もぱったり消えました。愛子さんには、公務どころか降嫁先もないでしょう。
愛子さんの不幸な状況は、親の因果というより、祖母の因果でしょうね。
上皇后が、雅子さんではなく久邇さんを選んでいたなら、ナルはここまで堕落しなかったし、愛子さんを引き受けてくれる旧宮家か旧華族もいたことでしょう。
そもそも、明仁皇太子のお相手は北白川さんでした。北白川さんなら、久邇さんを選んでいたはずです。
返信する
Unknown (雨音f)
2024-09-22 14:03:29
御三方とも姿勢が悪い。
座っている雅子さまの足の開き具合、だらしなく膝に乗せたかばん、気を抜いただのおばさんです。

英国訪問の時のものと思いますが、雅子さまが何やらブツブツ言いながら、車内でひざ掛けらしき物を畳み、降車される動画をXで見ました。
エレガントさの欠片も無く、ぞんざいでガサツな仕草にため息が出ました。
皇室に30年もいて、素晴らしいお手本となる妃殿下方、望めば一流の講師から学べるのに、何をされていたのでしょうか。

昭和天皇も上皇陛下もお年を召して足元がおぼつかなくとも、威厳がありました。

特に昭和天皇は、ご病気を押して戦没者慰霊式典に出掛けられた際、歩くのもやっとというご様子でしたが、侍従がお体に触れるのを躊躇っていた光景をよく覚えています。

香淳皇后はふくよかという言葉がピッタリ。
この御三方は贅肉です。

荷物席に嬉々として座り、雅子が、愛子がとばかり言っているうちに威厳を無くしてしまったのでしょうね。
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Unknown (こむぎ)
2024-09-22 13:02:35
那須の静養は2回目ですが、5月にも3人で御料牧場にも静養に行ってるので、今年度で言うと3回目の静養ですね。たった半年間で3回も静養に行くほど大変なお働きをしたとは思えませんが。
それに新入社員の愛子さんが半年間のうちに長期休暇を2回もとれるとはどういうことでしょう?他の社員から不満が出ているのではないでしょうか。

学生時代から皇族特権で休みたい放題でも許されていたけど、社会人になった今も変わっておらず、人としてまったく成長していません。
国民の血税で遊びまわっているのに、よく後ろめたさも感じず笑顔でお手振りできるものです。これは今上と天皇家擁護派が雅子さんと愛子さんの出来ないやらない状態を大目に見てきたから、本人たちが「何をやっても自分達は許される」と勘違いしているんだと思います。

皇族とは、国民の血税で遊んで暮らせる人たちなのではない、ということを今上と宮内庁は雅子さんと愛子さんに教育するべきでした。今となってはもう遅いでしょうが、せめて反省や後悔をする機会が今後訪れることを祈ります。
返信する
Unknown (繭玉)
2024-09-22 12:20:47
> 繭玉 さんへ
> 日曜恒例の皇室ウィークリー、秋篠宮両殿下、佳子内親王殿下が天皇一家より先に...... への返信
どこでてもカメラを構える天皇、その構え方に条件反射でヤフオク時間を思い出してしまいます。↓訂正
どこでても…どこででも
ヤフオク時間…ヤフオク事件

申し訳ありません 恥ずかしい
返信する
Unknown (繭玉)
2024-09-22 11:03:51
日曜恒例の皇室ウィークリー、秋篠宮両殿下、佳子内親王殿下が天皇一家より先になってしまいましたね。
だってあの三人仕事してないもんね、祭祀も。
情けないったらありゃしない。あのだらしない体型が物語ってますよね、自堕落な生活してるんでしょう。
香淳皇后も私が幼い頃からふくよかな体型でしたが、皇后として天皇陛下を敬いお上と呼ばれ、日本画その他精通されお子様もたくさん。皇后陛下としてどうあるべきか、ご自分を律していらっしゃいました。
令和の3人にはそういうところが微塵も感じられません。
愛子さんが能登に行くと発表された途端のこの輪島の大惨事。天はお怒りと震えました。

佳子内親王、いわゆるアラサーなのにますます美しく、公務に対する自信もいい意味で安定感があり、またその土地の工芸品などをさりげなく身に付けられてこれよ!これが日本の内親王殿下よと嬉しくなります。
ご両親との関係を取り沙汰されていますが、ご両親のお働きを見ておられるからこそ公務とはどういうものかとわかっておられるのでしょう。

そういう意味では愛子さんは不幸でしょう。ご自身の特性を隠され、ひたすら優秀と触れ回られ、継がれる公務もない。
しかし本人はそれを不幸と思う感情があるのでしょうか?
那須のどうぶつ王国ではしゃいでいる3人…あまりに哀れでみっともない。
どこでてもカメラを構える天皇、その構え方に条件反射でヤフオク時間を思い出してしまいます。
返信する
Unknown (たこさん)
2024-09-22 10:46:07
今回の静養で驚いたのは天皇陛下の激太りです。
去年の那須と比べて小さく見積もっても5キロは太っているのでは。

23歳になる娘と毎年同じ静養先で同じテーマパーク。飽きないのかな?さっさと子離れしないとうっとおしい親が常に見張っている家庭のお嬢さんを嫁にもらおうなんて男性いらっしゃるかな。
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Unknown (ベス)
2024-09-22 10:28:22
佳子様は笑顔でおられるだけで周り明るくなりますね。
髪型、アクセサリー、お召し物もいつもこっていてお似合いです。
おしゃれですよね。
自分の見せ方をよくわかってらっしゃいます。
天皇一家はなんでいつもこう地味、無彩色なんでしょうね。
静養といっても酷暑の中、何回も外出できる体力気力はあるんですね。
愛子様の黒のトップはよく見ると袖、素敵です。
3人揃って無彩色でなくて、明るい色を着られたら印象もかわるのになあと思います。
それにしても、天皇陛下本当に太り過ぎ!
着方もだらしなさ過ぎます!
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Unknown (春風)
2024-09-22 09:11:32
訂正です。妻のあまりに夢中で→妻のお守りに夢中で
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Unknown (春風邪)
2024-09-22 09:09:43
最近の天皇家を見てると、"鑑賞公務員"って呼びたくなります。天皇は見えない公務や祭祀ももちろんなさってるんでしょうけど、国民の為に何かしてるという感じが全くない。妻のあまりに夢中で国民の方に目を向けてないのは、皇太子時代からでしたけど、ちっとも敬愛も尊敬もできません。愛子さんの能登行きに関しては宮内庁は「能登からの要請で」と言ってるみたいですね。もし本当に能登からのお願いならば、さっぱり公務をしない愛子さんが能登に出向けば世間の注目が集まる、能登の復興の遅れに国民の目を向けて欲しいという、客寄せパンダ的扱いの目的がある気がします。視察するだけの目的の訪問で、彼女が行くと県民の士気が上がるんですかね?愛子さんが出向く前にこの災害で十分能登には注目が集まったので、今はもう彼女の訪問は負担になるだけなんじゃないかと。ところで岸田さんが最後の外遊に行きましたね。奥様がなんと真っ白コーデ。つい雅子さんと比べてしまいましたが、岸田夫人の方が全然良いですね。
返信する
天が怒ってます (わろし)
2024-09-22 08:36:37
愛子様初単独公務の発表の矢先、石川県が大豪雨に見舞われました。被害にあわれた方々に心からお見舞いを申し上げます。
そして天皇一家、おいたわしや。

呼ばれてないのに複数回能登を見舞った両陛下→娘の単独公務はここと決めて親としてじっくり予習をする。
那須で2回目の静養→時間をかけて娘に単独公務の指導をする。
愛子様単独公務発表→石川大災害に見舞われる。

天皇家は全ての行動が自己中心で家族中心なのは誰の目にも明らか。国民に寄り添うなんて発言は噴飯ものです。
今上になってから天皇家は日本の恥部となりました。どうかもうこれ以上は表に出ないでいただきたい。気持ちが滅入ります。
ご自分たちのこれまでの行いを振り返り恥じ入り、天の怒りを鎮めるためにひたすら祈りに徹していただくことを節に願います。
返信する
Unknown (睡蓮)
2024-09-22 08:29:40
ふぶき様、おはようございます。

いやはや、お出ましを発表されただけで、もうこの大雨被害。
さすが、あの下天夫婦の愛娘。負の連鎖は遺伝?
なんて、冗談にもなりません。
よりにもよって、あの出雲大社のおそばに、呼ばれもしないのに行こうとするから、国民はこの有り様です。

ふぶき様の仰るとうり、お伊勢様や賢所ではわかっているはず。
きっとそちらで祓っても祈っても、この被害だったのではと思えます。

もう、余計なことは何もなさらず、できる限り早く、良いお相手を探されてご降嫁されるのが、ご本人にも国民にも一番だと思います。

ごり押しの女帝候補は、日本の皇室には不要です。
皇室には、皇嗣殿下悠仁殿下という、次世代次々世代の立派な皇位継承者がおいでです。
早く令和が終わり、明るい御代が来ますように。
そればかりを願っております。
返信する
Unknown (松竹梅)
2024-09-22 07:57:41
天皇御一家が那須から帰京された19日には、午前中に東北新幹線と秋田新幹線が313キロで走行中に連結が外れ、新幹線は運転見合わせでダイヤの乱れがありました。

ご一家は19日午後にお帰りになられたようですが、新幹線ではなくお車での帰京。
どのような計画だったかはうかがいしれませんが、新幹線を利用される予定だったなら、混乱したのでは?

一般客は予定を変更せざるを得ない中、車内から手を振って悠々とおかえりになって、なんだかなぁと言う感じです。
やんごとなきお方たちなので、とくべつなのは当然なのでしょうけど、世間のことは自分たちには関係ないってところかしらね。

おっとりゆっくり愛子さまですが、お母さまの心の支えなんですね。
2回目の那須ご静養の際の雅子さまの表情が、パァーっと明るかったのが印象的でした。
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