ご日程
両陛下
11月22日・・・天皇陛下 → 通常業務
11月23日・・・天皇陛下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀・暁の儀)(神嘉殿)
11月24日・・・天皇陛下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(前夜に引き続き暁の儀)
黒田清子祭主から挨拶を受ける
愛子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 正寝移柩の儀(三笠宮邸)
通夜
両陛下 → 正寝移柩の儀後の拝礼
11月25日・・・天皇陛下 → 賢所奉仕団に会釈
両陛下 → 霊代安置の儀に先立ち拝礼
愛子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 霊代安置の儀(三笠宮邸)
11月26日・・・愛子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬当日柩前祭の儀(三笠宮邸)
故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬の儀 葬場の儀(豊島岡墓地)
故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬の儀 墓所の儀(豊島岡墓地)
天皇陛下 → 秋の叙勲者と会う
11月27日・・・愛子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬後一日権舎祭の儀(三笠宮邸)
故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬後一日墓所祭の儀(豊島岡墓地)
天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈
両陛下 → 斂葬の儀後の拝礼
愛子内親王の偉い所は、お母様なら絶対に出そうにない行事まできちんと出ている事で、これで身なりをきちんと整え、場にふさわしい行動が出来ればいいんですけどね。
結局、遅く生まれたこの内親王が母の業を背負って生きる事になってしまいました。金銭的には恵まれた生活でも、決して親身になってくれる人のいない、孤独な人生ですよね。
皇嗣家
11月23日・・・殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)
新嘗祭神嘉殿の儀(暁の儀)
11月24日・・・殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(前夜に引き続き 暁の儀)
両殿下・佳子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 正寝移柩の儀
一家 → 故崇仁親王妃百合子 お通夜
11月25日・・・両殿下 → トルコ訪問の為の記者会見
殿下 → 誕生日記者会見
両殿下・佳子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 霊代安置の儀
11月26日・・・一家 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬当日柩前祭の儀
故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬の儀(葬場の儀)
両殿下・佳子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬の儀(墓所の儀)
11月27日・・・佳子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬後一日権舎祭
殿下 → 大日本水産会「令和6年度水産功績者表彰式」式典出席
妃殿下 → 令和6年度第46回母子保健奨励賞受賞者に会う
両殿下・佳子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 斂葬後一日墓所祭
11月28日・・・両殿下 → トルコ訪問につき、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀
悠仁親王のご立派な姿が目に焼き付きます。
紀子様がつけているブローチはトルコの布で、ご自分で制作されたもの。
造花や手芸品を作るのが今の紀子様の癒しになっているのでしょうね。お仲間もいるようですし、サロンは人が多くて華やかでしょう。
きっと薔薇模様のカップに、手作りのクッキーなどがあってそこでお話をしながら一生懸命に作る。ああ羨ましい。
百合子妃斂葬の儀に参列した皇族。
彬子女王、久子妃、瑤子女王
華子妃。じゃり道ですから車椅子に乗って。無理に杖でリハビリする姿も痛々しい上皇后とは正反対です。
結局、最初から最後まで信子妃はいなかったようで、存在を消された感じで胸が痛みます。誰が何を言っても聞かないのだろうと思いますが、ここまで母親というか「妃」をないがしろにする女王はいない。
影でバトルするのはいいけど、国民にそういう姿を見せてはいけないと思います。
・・・良くはないけど仕方が無いこともあるでしょう。
>国民にそういう姿を見せてはいけないと思います。
・・・本当にそうですよね。彬子さまはあからさまにアピールするかのようにですもんね。
メディアや著書・講演などでご自分を出す気満々ですから、母娘の話を期待されるのが嫌でバリアを張る必要があるのかもしれませんが。
信子さまにはバトルすらさせない、無視・排除と言う感じですね。
来年度予算で信子さまのお住い(宮内庁の公的な住居)を予算どりしていますから、それぞれの生活が日常になれば落ち着くと思います。私も実の姉と仲が悪く(笑)と言うより母と姉がそりか合わず、私と兄は模様眺めの家族でした。これが母の遺産相続の話(母は101歳で元気です)で一悶着。兄は遺産放棄で私と姉が折半することで落ち着きました。周りの人はあり得ないと言いますけどね(笑)母に愛されなかった分お金で穴埋めするのかしら?私にはよく解りませんけど。
愛子様お誕生日のページでコメントされた彩夏さんご紹介の、彬子さまの和楽寄稿文ですが、
文章自体は百合子さまとの思い出なので、こんなものか、なのですが1枚のお写真に寒気がしました。
https://intojapanwaraku.com/wp-content/uploads/2024/12/a_002_01.jpg
幼子だった彬子さまのお誕生日祝い風景で、瑤子さまはまだいらっしゃらない頃かな?なのですが、絶対同席されていたはずの信子さま存在が無い!のです。
わざわざ省いてまで載せる必要がありますか?
もしかして写真を切った?とすら思えます。
この画像を載せたことに底意地の悪さを感じました。
皇嗣家の皆さんは皆たくましさがおありになるのできっとこれからも様々な困難を乗り超えられていかれるでしょう。
愛子様には常に親身になってくれる方がいないと難しいのかと。
華子様の車椅子姿、潔くて格好いいです。
皇族の葬儀は今まで見えていなかったものが沢山見えてくるものなのですね。
もう信子妃殿下、娘というか居場所ないんだな。
墓所祭後の拝礼を今上夫妻と同日に予定をされていた上皇ご夫妻は、美智子さまが歩くのが困難と云うことで延期されました。
車椅子姿を見られるのが死ぬほど恥ずかしいとお思いなのかしら?
何十年も障がい者施設等訪問されたりして車椅子の方々にも会われてきたのに恥ずかしいと云う認識だとしたらとんだ偽善者ですね。
杖を付いたところで頼るのは上皇陛下では老老介護になって危険だとわからないのか、死ぬまで仲良しをアピールしたいだけなのか。。。
侍従が、ガツンと言えないのも情けないし、別な見方をすれば、他人を信頼していない、信用出来ない人間性が哀れでもあります。
中国人は、夫婦喧嘩を家の外でやると書いている人がいました。自分の方が正しいと周りにアピールする為だそうです。日本人にはない発想です。
文芸春秋で彬子さんが信子妃を批判したのが2015年の6月ですが、翌年9月に「皇后は反対した」が掲載されています。文芸春秋社の赤化と上皇后の同社への影響力は比例していたと思います。秋篠宮ご成婚の時の御髪直し写真が、皇后の意向で差し止め命令が出ていました。彬子さんのひどい文章が世に出たことも、上皇后の了承なしには考えづらいです。
上皇后が車いすでは決められた儀式に出られないというのは、単なるわがままでは?雅子さんと大差ないような。車いすの人に対する差別意識も感じます。
愛子さんは母親ももちろんですが、祖母の業の方が大きいと思います。上皇后が華族を嫌って、ナルさんは久邇さんと結婚できませんでした。ナルさんお妃報道のはしりは、昭和52年。大学院進学や留学などせず、早めに結婚出来ていたら、お子さん3人4人はいて、理想の家族だったはず。ナルの晩婚、少子化は上皇后が招き、その影響は愛子さんにも及んでしまいました。