ご日程
両陛下
12月27日・・・天皇陛下 → 通常業務
12月29日・・・佳子内親王 → 誕生日につきあいさつ
12月31日・・・天皇陛下 → 節折の儀
1月1日・・・天皇陛下 → 四方拝・歳旦祭・晴の御膳
一家 → 新年祝賀の儀
1月2日・・・一家 → 一般参賀
1月3日・・・天皇陛下・愛子内親王 → 元始祭の儀
天皇陛下 → 賢所勤労奉仕団に会釈
愛子内親王 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 権舎五十日祭の儀
1月4日・・・天皇陛下 → 奏書始の儀
1月7日・・・天皇陛下・愛子内親王 → 昭和天皇例祭
天皇陛下 → 賢所勤労奉仕団に会釈
通常業務
昭和天皇祭御神楽の儀
1月8日・・・天皇陛下 → 認証官任命式
勤労奉仕団に会釈
皇嗣家
12月29日・・・佳子内親王 → 誕生日につき参内
仙洞御所に挨拶
12月31日・・・佳子内親王 → 大祓の儀
1月1日・・・殿下 → 歳旦祭の儀
両殿下・佳子内親王 → 新年祝賀の儀
仙洞御所に祝賀
悠仁親王 → 新年につき祝賀
1月2日・・・両殿下・佳子内親王 → 一般参賀
1月3日・・・両殿下・佳子内親王 → 元始祭の儀
一家 → 故崇仁親王妃百合子喪儀 権舎五十日祭の儀
1月6日・・・妃殿下 → 母子愛育会会長、同理事長ご報告・懇談
結核予防会評議員会会長、結核予防会理事長、同専務理事、同上席参与報告・懇談
1月7日・・・両殿下 → 昭和天皇祭皇霊殿の儀
昭和天皇祭御神楽の儀
佳子内親王 → 昭和天皇祭山陵に奉幣の儀
1月8日・・・佳子内親王 → 「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」を見る
当たり前になっていますが、皇后の「祭祀」「勤労奉仕団」は全欠席。
平成から使われ始めた「お慎み」という言葉。何をしているの?と思いますが、基本部屋でテレビ見てご飯食べているんじゃない?と。
悠仁殿下が新年祝賀の儀にも一般参賀にも出ない事は最初から言われていたのに、ネットでの誹謗中傷がひどすぎて、本当にいたたまれない気持ちです。
一般参賀の写真から見えるのは、秋篠宮殿下が愛子内親王に背を向け、話しかけられないようにしている事。空気読めない愛子内親王は自分に向けて団扇が振られているのが嬉しかったようで、ひたすら秋篠宮に話しかけていましたね。
一方、上皇陛下は自分が天皇のつもりなのかもしれません。
天皇の言葉の前に私語を始めた上皇に上皇后が「お言葉」と引き留め、あとはぴったり上皇にくっついて華子妃に背を向けているようです。
気持ちの余裕がなくなったのでしょう。手も降らないので華子妃も黙って立っているしかないのです。
譲位した時こそ、大人しくしているかと思えば、誕生日や新年で別枠で「祝賀」を受ける上皇夫妻。どんどん権威は増しているのではないでしょうか。
女帝が「白」を着たからなんだというのでしょうか。
皇后にとって最も位の高い色は「白」です。
さすがに女帝に黄櫨染は着せられないと言う事でしょう?
「源氏物語」にも出て来ましたが、源氏が側室達に装束を誂えるのを見た紫の上。明石の上に「氷重ね」つまり白に白を重ねる装束を選ぶのを見て、どれ程高貴で素晴らしい人なのだろうと想像するシーンがあります。
本当に何度も何度も書きますけどね。
秋篠宮家を長屋王にしてはいけないのです。
元々孝謙天皇(称徳天皇)は、弟の基が生きていたら皇太子になれませんでしたし、聖武天皇には安積親王というれっきとした親王がいました。
なのに天皇不在の間に突然死。
藤原四兄弟はその機に乗じて無理無理安倍内親王を皇太子に立てたのです。
他にも皇位継承権を持つ皇子は多々いたのに。
光明皇后は、藤原不比等の娘で皇族の生まれではありません。
昭和天皇の母もまた藤原家のさらに末端の娘。
コンプレックスが強かった天皇は妻を皇后に、母を「大夫人」にしたいと思いました。しかし、そこで長屋王が「法では「皇太夫人」です。陛下は「大夫人」にしたいとおっしゃる。法に従えば陛下に不敬。しかし陛下に従えば法を無視する事になる。どうしたらいいのでしょう」と訴え、止めさせます。
光明皇后の立后にも反対したとされます。藤原四兄弟は「誣告」つまり、いつわりの噂を大々的に広めました。すなわち、「長屋王は基皇子を呪った」というもので、結果的に長屋王は一家で自殺しました。
なぜそれほどまえに憎まれたかと言えば、
父・・・高市皇子(天武天皇の子)
母・・・御名部皇女(天智天皇の子)
妻・・・吉備内親王(元明天皇の娘にして元正天皇の妹)
と言う血筋によさに加え、政治力があったからです。
聖武天皇の妻も母も藤原氏です。到底かないません。
聖徳太子の息子、上宮王家も「誣告」により兵に取り囲まれて滅亡しました。
今の状況は歴史の中の出来事ではなく、目の前で行われている「誣告」なのです。ああ、こうやってどんどん心理的に追い詰めて自害へと導いていったんだなと。
しかし、長屋王の呪いは藤原四兄弟を殺し、邸宅があった場所は今も呪われているといいます。
一方の「女帝」にされた内親王は、母である光明皇后が後ろで政治を給仕って、藤原仲麻呂とねんごろになり、父が遺言で残した「皇太子候補」を廃してしまいます。
一度退位して淳仁天皇に譲りますが、「男遊びには止めて欲しい」と言われて頭に来て配流にし、また重祚します。
それからはもめちゃくちゃで、妹だろうが姉だろうが逆らうものはどんどん廃していく。ゆえにこの時代、皇族からの臣籍降下する人が多かったんです。
最終的に「道鏡」を天皇にすると言い出したので、国も動いて道鏡を廃し、称徳天皇崩御のおりには「やっと死んでくれた」と言われ「もう女帝はこりごりだ」となったのです。
彼女の一生は決して満たされるものではなかったと思います。
利用し利用された一生で、敬われもせず。
しかし、今もって長屋王を慕う人は多いのです。
原武史等が「秋篠宮家は一家全員で皇籍離脱するかも」と書いたので、Xでは祭のようになり、「さっさと出ていけ」とのポストが多いです。
いつもの騒ぎと思っていてはいけません。
これは彼らにとってしたら「革命」なのです。
関係ないと黙っている人も、お金を貰って書き込んでいる人も全部同罪。
ろくな死に方しないでしょう。
雅子皇后が入内して30年以上、もう当時を知らない人も多い。だから簡単に書き込みが出来るのです。
何とかしたいのに、何も出来ない。
なぜ宮家は狡猾な人物を脇に置かないのか。上品ぶっても悪者を根絶やしにする事は出来ないのです。
愛子さまの後ろには今年もナゾのおじいさん(笑)がいらっしゃるのですね。スゴい距離が近いのはやはりなにか心配なことがあるから!?
一般参賀の様子も有り難いとか目出度い気持ちがだんだんなくなってきました😟
ただ仰る通り氷襲と言われる白と白と襲がお似合いだったのではなかったかしら