1965年11月30日 礼宮文仁親王誕生
病院に向かう美智子妃
出産後、病院にかけつける皇太子
お見舞いにきた皇太子と浩宮
ヤングレディ1965年12月13日号
「美智子さま親王様出産秘話 ぼくのかわいい弟が生まれた」
五島美代子 待ちとりて愛で育くますみ手多し 幸限りなく生れまししみ子
拓かれむ明日の光は遠白し はらからの宮み手さづさへて
木俣修 霜月の三十日の朝のあかね空 さやけくも親王の産声徹る
二の親王は生れましにけり 新世のひかりのごとも思はゆるかも
1966年1月 青少年読書コンクール 出産後初の公務
1966年3月5日 学習院幼稚園の卒業遠足
1966年3月 学習院幼稚園卒園式
1966年3月29日 氷川丸を見学する皇太子夫妻と浩宮
1966年3月30日 東宮御所の庭を散歩
1966年3月 東京育成園訪問
1966年4月8日 学習院初等科入学式
1966年4月 世田谷の国立小児病院訪問
1966年5月 小泉信三氏の葬儀に
1966年5月 バン・クライバーン演奏会を訪れて応接室で挨拶を受ける
1966年初夏の礼宮
1966年6月29日 「オセロ」チャリティ試写会
1966年7月25日 軽井沢静養に向かう
1966年8月7日 日本ジャンボリーに参加
1966年8月 鳥取での公務に
1966年8月13日 静養先での団欒
浅間山登山
帰京
1966年9月 大分夏季国体の為出発
大分生態水族館
臼杵市深田で見送りを受ける
1966年9月 大分夏季国体開会式
1966年9月 大分県立別府養護学校訪問
宇佐神宮参拝
1965年11月30日に礼宮文仁親王が生まれたわけですが、週刊誌などでは「名前は文仁ちゃん」などと書かれていました。
開かれた皇室の主役はあくまで美智子妃と浩宮という感じです。
日本ジャンボリーでの美智子様の帽子、どうしても浮輪に見えてしまって。
飛行機のタラップにご夫妻で立ってらっしゃる写真。
殿下の後ろからお顔つきだすのは、このころからの癖のようですね。
ずうっとそうしてらしたら、頸椎痛めるのも仕方ないかもしれません。
それにしても礼宮さまのおかわいらしいこと!
おそれながら、ほっぺたちょんしたくなってしまいます。
考えすぎかもしれませんが、アーヤ、サーヤという呼び方はとても可愛らしいのですが、ジーヤ、ネーヤを連想してしまいます。
子供時代の礼宮さま、紀宮さまの待遇とかさなって、美智子様が意図的につけた愛称かな、なんて勘繰ってしまいます。
まさか、とは思いますが。
最後になってしまいましたが、初めて見る写真もあり楽しませていただきました。ありがとうございます。
少し大きくなると美智子さまの弟さんに似てきました。外見容貌は正田家系のようです。
秋篠宮さまの子供の頃は、可愛い顔立ちでやんちゃで、笑顔が本当に可愛くて人気がありました。
美智子様はご令嬢との触れ込みだったと思いますが、どの写真にもそこはかとなく「お水臭ささ」が漂っているような。(本当に社長令嬢であることは間違いないのですが)
他の保護者の方々が、ご立派なご家庭の奥様方の雰囲気があるなか、ちょっと違和感があると言いますか…。その違和感が、皇室の気品ではないような。
ここ十数年の間に、名門小学校の保護者のなかに、出自は?で1代で成金になったご主人と、お水上がりの奥様がブランドで全身固めて鼻高々で保護者会に現れる現象が増えてきたのと同じような落ち着きの悪さを感じます。
天皇さまも、表情の乏しさや気を抜くとふにゃっとしてしまうのは、愛子さまのお小さいころと変わりないようですね。
皇嗣殿下と違い、お勉強は得意ではなかったと聞きますが、やはり「お察し」ということなのでしょうか。
まだまだ、おやつれのご様子は無く、お美しいですね。
ほっそりされて来て、益々瓏長けて、まさに主役の座に着かれてます。
いつの頃から、海外の雑誌にさえおやつれが報道されるようになるのですが、もう少し後からだったんですね。
前記事の雅子さんとは比べるよすがもない無いくらい、妃殿下らしいです。妃殿下に成るために生まれてこられたみたい。
ふぶき様のお陰で思い出を手繰りながら、本当に楽しませて頂き感謝です。また楽しみにしています。
礼宮さま1歳のお誕生日写真
酷いものです。
アーヤの後ろで、美智子さんとナルちゃんが
紙風船で遊んでいる写真。
誰が主役なのでしょうか。
撫で肩がコンプレックスだったのかしら?
そうだとしたら勿体ない事しましたね。
皇室内で皇太子妃が一番の存在にしたのは美智子様。「私は皇太子妃です」の雅子さんは引き継いでいると言えるかも知れない。皮肉なものです。