皇室の未来に関して
皇室の歴史を紐解くと,皇位が連綿と継承される中では,古代の壬申の乱や中世の南北朝の内乱など皇位継承の行方が課題となった様々な出来事がありました。
そのような中で思い出されるのは,上皇陛下が以前に述べておられた,天皇は,伝統的に,国民と苦楽を共にするという精神的な立場に立っておられた,というお言葉です。
このお言葉に込められた思いは,ひとり上皇陛下のみのものではなく,歴代の天皇のお考えに通じるものと思います。
平成28年に愛知県の西尾市を訪問した折に岩瀬文庫で拝見した戦国時代の後奈良天皇の宸翰般若心経は,洪水など天候不順による飢饉や疫病の流行で苦しむ人々の姿に心を痛められた天皇自らが写経され,諸国の神社や寺に奉納されたものの一つでした。
その後,京都の醍醐寺では,後奈良天皇の般若心経を拝見し,奥書に「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず心を痛めている」旨の天皇の思いが記されていました。
さらに大覚寺でも,嵯峨天皇のものと伝えられる般若心経や,後光厳天皇,後花園天皇,後奈良天皇,正親町天皇,光格天皇が自ら写経された般若心経を拝見しました。
このように歴代の天皇は,人々と社会を案じつつ,国の平和と国民の安寧のために祈るお気持ちを常にお持ちであったことを改めて実感しました。
また,武ではなく文である学問を大切にされてきたことも,天皇の歴史を考えるときに大切なことだと思います。
例えば,鎌倉時代の花園天皇が皇太子量仁親王に宛てて書き残された,いわゆる「誡太子書」においては,まず徳を積むことの大切さを説かれ,そのためには道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならないと説いておられます。
このような歴代の天皇の思いに,深く心を動かされました。私は,過去に天皇の書き残された宸翰などから得られる教えを,天皇としての責務を果たしていく上での道標の一つとして大切にしたいと考えています。
そして,その思いと共に皇位を受け継いでこられた,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,研鑽を積みつつ,国民を思い,国民に寄り添いながら,象徴としての務めを果たすべく,なお一層努めてまいりたいと思っています。
全然答えになってない。
記者が質問したのは「女性皇族も結婚後皇室に残る案」「養子」案で、歴代の天皇を踏まえて皇位継承をどう見ているかという事なんです。
どの天皇が国民の為に写経をしたとか何を書いたかではないのです。
記者の説明にきちんと答えるなら「継体天皇」「女帝の醜さ」そして明治天皇が皇族を増やす為にどれだけ努力したかというべきでした。
大体、歴史として歴代天皇がどれ程国の為に祈ったり、書を書いたりしている事をしっているならなぜ自分も同じ事をしないのか?
写経しろとまではいわないけど、オンラインでメッセージを出さなくても、もっと祭祀としてアピールする事が出来たでしょう。
今や皇后なんて黒田清子さんにも会わないし。
皇居に引きこもって安全圏にいてあれこれ言っても何の意味もありません。
「心を寄せる」だけでは何にもなりません。
沖縄本土復帰50年
私は,幼少の頃より,沖縄に深い思いを寄せておられる上皇上皇后両陛下より,沖縄についていろいろなことを伺ってまいりました。
子供時代の沖縄との関わりについては,毎年夏を過ごした軽井沢での沖縄の豆記者の皆さんとの交流がありました。
そうした機会は,幼少の私にとって,沖縄について知るとても良い機会でした。
会の途中では,豆記者の生徒さんが,沖縄の空手の形を披露してくれていましたが,昨年夏の東京オリンピックで金メダルを取った沖縄出身の喜友名諒選手の空手の演技を見ながら,当時を懐かしく思い出しました。
交流会の終わりには全員で沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」と「芭蕉布」を合唱しました。また,子供の頃から,毎年,6月23日の沖縄慰霊の日には,黙祷を捧げていました。
最初に沖縄を訪れたのは,昭和62年の夏季国体の折でしたが,それに先立って,沖縄学の研究者であった外間守善教授から,沖縄の文化や歴史についてお話を伺ったことも,沖縄への理解を深める上でとても良かったと思っています。
沖縄では,ひめゆりの塔や戦没者墓苑を訪問し,沖縄が被った戦争被害の痛ましさに深く思いを致したことをよく覚えています。
結婚後には,雅子と共に,「平和の礎」を訪れ,二人そろって,沖縄戦で亡くなった全ての方々への思いを新たにいたしました。
また,沖縄の人々にとって大切なシンボルとなっていた首里城が焼失してしまったことはとても残念でしたが,首里城や今帰仁城跡などの史跡を訪れたり,様々な折に組踊や琉球舞踊などを鑑賞したりして,沖縄の歴史や豊かな文化に触れることができたことも良い思い出になっています。
先の大戦で,悲惨な地上戦の舞台となり,その後,約27年間も日本国の施政下から外れた沖縄は,人々の強い願いの下,50年前日本への復帰を果たしました。
この間,今日に至るまで,沖縄の人々は本当に多くの苦難を乗り越えてきたものと思いますし,このことを決して忘れてはならないと思います。
本土復帰から50年の節目となる今年,私自身も,今まで沖縄がたどってきた道のりを今一度見つめ直し,沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと思います。
そして,これからも,多くの人が沖縄の歴史や文化を学び,沖縄への理解を深めていくことを願っています。
通り一遍。でも一応、沖縄豆記者との思い出はあるわけで。
それと同じことを愛子内親王に出来なかったのはなぜなんでしょうね?
愛子内親王について
先ほどもお話ししましたけれども,小さかった愛子がもう二十歳になった,そして大人の仲間入りをした,そういうような深い感慨を覚えました。
そして今後とも,本当に幸せな人生を歩んでいってほしいというように,そのように心から願いました。
「皇族としての務め」より先に「幸せに」って思うんだなあ・・・これが本音だよね。
本当は心配でしょうがない。自分達がいなくなったらこの娘はどうなるんろうと。
悠仁殿下について
そうですね。私の高校時代のことは,はるか昔のことのようには思いますけれども,また,年は経っていますけれども,本当に高校時代の3年間はいろいろな人と出会い,友達もできてそしてまたいろいろな活動に取り組むことができた,そのような点で,ある意味では非常に充実した3年間を送ることができたというようなことを今でも懐かしく思い出しております。
先日,悠仁親王の高等学校の進学先が決まったという報告を受けましたが,やはり是非実り多い高校生活を送ってほしいというように心から願っております。
本当に冷たい人だなあ。皇位継承2位の甥が筑波大附属に入ったっていうのに、「実り多い高校生活」で終わってしまう。悔しさがにじみ出ていますね。
これはやっぱり皇后が裏で色々指導して書かせた文章ですね。
重複した部分が多いし、言葉も変。
62歳児の天皇は歳を経るごとに子供に帰っていくんでしょう。
この映像の雅子さんは天皇の言葉を一切聞いてませんね。元々興味ない分野なのでしょう。聞いている振りがお上手ですこと。