琴光喜の恐喝事件に端を発した相撲界の野球賭博騒動も第一幕が終わった。政権が変わってから発覚したこと、NHKの会長が代わったことがポジティブに作用して、今の所うまく行っている。
公益法人を含めた事業仕分け作業が行われていなかったら、文科省や、官房長官から、公益法人としての適格性の問題化も出なかっただろう。これが、相変わらずの自民党政権であれば、そもそも事業仕分けさえもまな板に乗らなかっただろうし、相撲に纏わる利権を持った議員も居たであろうから、表に出ることも無く「仲介者」とやらが蠢いて、何も無かったようなことになったかも知れない。
NHKは、もし会長が今まで通りの生え抜きであったなら、「ガバナンスを口にしただけではダメ、実際に証明実行してもらわないと、次の放映も出来ない可能性がある」とまで踏み込んだ発言はしなかっただろうと推測する。民間で行われる普通のことを言ったに過ぎないのだが、NHKの体質では、今まではそれさえもが出来なかったということだろう。
前にも朝青龍の事件で書いたが、相撲は、ホントに国技なのか。面白いもので、疑問に思っている人が、相撲協会に聞いた所、相撲協会は明快に答えたそうだ、「国技ではありません」と。そう、どこにも国技などと定義していないのだ。これは相当笑える話だ。
確かに、日本古来のそれなりの伝統があることは分かる。しかし、ある種のサギである。一つのスポーツに過ぎないのを、時の相撲界と政界有力者が結託して、国技館なる名称の建物を造ってしまった。毎日「国技館、国技館」を新聞ラジオテレビで連呼されれば、一般大衆は簡単に洗脳されて、いつしか「国民的スポーツとしての相撲」が「国技」に摩り替わってしまったわけだ。相撲協会も、ことさら「違います」とアピールする必要も無く、結局勘違いしているのは国民だとなる。
仮に国技としよう。それならば、相当厳重なルールが必要だろう。国技であるからには、古臭いと言えども、伝統を守る。守らない奴は即刻クビとしなければならない。朝青龍の例はそれに当たる。そういうルールも甘く、ひたすら前例だけで生きてきたし、周りも国技と錯覚してるから、少々な事があっても手を出さない。そこにタニマチが入ってくる。タニマチも良いタニマチと悪いタニマチがあるはずだ。悪いタニマチとは、最後は893に繋がっている連中だろう。
相撲が国技だと言うのは、明らかに間違いなのだから、今度の一件を機に大いに考え直した方が良い。まずは、国技館の呼称を止めるべし。両国相撲会館くらいが丁度良い。
公益法人を含めた事業仕分け作業が行われていなかったら、文科省や、官房長官から、公益法人としての適格性の問題化も出なかっただろう。これが、相変わらずの自民党政権であれば、そもそも事業仕分けさえもまな板に乗らなかっただろうし、相撲に纏わる利権を持った議員も居たであろうから、表に出ることも無く「仲介者」とやらが蠢いて、何も無かったようなことになったかも知れない。
NHKは、もし会長が今まで通りの生え抜きであったなら、「ガバナンスを口にしただけではダメ、実際に証明実行してもらわないと、次の放映も出来ない可能性がある」とまで踏み込んだ発言はしなかっただろうと推測する。民間で行われる普通のことを言ったに過ぎないのだが、NHKの体質では、今まではそれさえもが出来なかったということだろう。
前にも朝青龍の事件で書いたが、相撲は、ホントに国技なのか。面白いもので、疑問に思っている人が、相撲協会に聞いた所、相撲協会は明快に答えたそうだ、「国技ではありません」と。そう、どこにも国技などと定義していないのだ。これは相当笑える話だ。
確かに、日本古来のそれなりの伝統があることは分かる。しかし、ある種のサギである。一つのスポーツに過ぎないのを、時の相撲界と政界有力者が結託して、国技館なる名称の建物を造ってしまった。毎日「国技館、国技館」を新聞ラジオテレビで連呼されれば、一般大衆は簡単に洗脳されて、いつしか「国民的スポーツとしての相撲」が「国技」に摩り替わってしまったわけだ。相撲協会も、ことさら「違います」とアピールする必要も無く、結局勘違いしているのは国民だとなる。
仮に国技としよう。それならば、相当厳重なルールが必要だろう。国技であるからには、古臭いと言えども、伝統を守る。守らない奴は即刻クビとしなければならない。朝青龍の例はそれに当たる。そういうルールも甘く、ひたすら前例だけで生きてきたし、周りも国技と錯覚してるから、少々な事があっても手を出さない。そこにタニマチが入ってくる。タニマチも良いタニマチと悪いタニマチがあるはずだ。悪いタニマチとは、最後は893に繋がっている連中だろう。
相撲が国技だと言うのは、明らかに間違いなのだから、今度の一件を機に大いに考え直した方が良い。まずは、国技館の呼称を止めるべし。両国相撲会館くらいが丁度良い。