よし坊のあっちこっち

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メディアの怠慢

2010年07月20日 | いろいろ
日本の新聞記事は社説以外は、執筆者や記者の名前がないから、極端に言えば、記事を曲げたり、あえて本当の事を書かずに、世論扇動操作をシレっとやる。後は涼しい顔だ。そういう意味ではいい加減極まりない。しかし、インターネットの普及により、執筆者名のネット記事が容易に読め、マスメディアが書かない、或いは書きたくない内容が手に入る。名前入りだから、それなりの責任を負って書いているからはるかに良い。新聞業界が、部数が減ってエライコッチャと騒ぐが、当然の報いだろう。

最近の各社の社説で、参院選総括のコメントに、「短命内閣に終わる政治はもう止めよう。政治家は心して事にあたるよう願う」式のものがある。内閣が短命に終わるといつもこのセリフだ。こんなのが、社説としてまかり通っているのだから、怠慢もいいとこだ。もっとマシな事が書けないのか。

よし坊のような素人でも分かる。今の政治制度が変わらない限り、長期政権等有りえないのだ。その時のある種の人気度と瞬間風速的な風でも吹けば、その人物の資質を精査しないでも簡単にソーリ、ソーサイに成れる。しかし、一度失策でもすれば、忽ちのうちに内輪からの反乱でxxx降ろしが巻き起こり、政権を投げ出さざるを得ない。今まではこれの繰り返しをやってきた。何が長期政権かは難しいが、仮に3年以上の政権を対象にすると、池田、佐藤、中曽根、そして小泉政権の4つくらいしかない。前3政権は自民党の絶対安定の時期だから可能だったとも言える。小泉時代は政局不安定に入っていたが、彼の個人的パワーが長期を可能にした。これらを例外とすれば、皆短命内閣であり、いくら政治家に節度を訴えた所で、無理な話であることは、歴史が証明している。

世論操作まで出来る大メディア集団。何故、政治制度を根本から変えろというキャンペーンを張らないのか、はたまた張れないのか。これを変えなければ先に進まないのは明白だ。

アメリカの大統領選。人物見極めに一年掛けるのである。やろうとする案件とポリシー、過去どのような言動と実績を蓄えてきたか、金銭スキャンダルの有無、臍下スキャンダルの有無等を徹底的にメディアが叩く。そうしたいくつもの関門を潜り抜けた者が選挙戦の切符を手にする、極めて過酷なレースだ。そして一度信任を得れば最低4年の仕事期間を与えられる。大統領になってからも厳しいチェックが続く。公約を変更なんかしようものなら、袋叩きにある。だから、変更を余儀なくされたら、その理由を世論に相当丁寧に説明しないと、支持が得られない。我がニッポンの民主党は、公約だかマニフェストだが知らないが、よくも説明無しに事を反故にするものだとあきれ返ってしまう。カンも長くは持つまい。