娘が二人いるが、ワイフと時としてこんな会話になる。「もし、災害か何かで子供二人のうち、一人を犠牲にしたら一人は助かる。どうする」。条件は一緒に死ぬことは出来ない。この残酷な選択は、その時にならないと分からないだろう。ひょっとしたら、選択の時間すらなく、成り行きになってしまうかも知れない。
こういう話になった時、いつも思い出すのが、「ソフィーの選択」だ。メリル・ストリープが演じるソフィー。最後の方で、ソフィーが選択した重い十字架が明かされる。男の子と女の子の選択で男の子を生かす選択をする。アダムとイブの誕生以来、深い底に流れている男の優越性ということなのか、それとも、男と女という枠組みの中で、母親だが”女”が、我が子だが”男”を本能的に選択してしまうのか。
片方を助けないで、両方手放す、という選択もある。いずれにせよ、重い十字架を背負うことには変わりは無い。宗教の世界では、重い十字架を背負ってでも生きろと説くに違いない。しかし、人間、それ程強くはないもので、いつか重さから解き放たれたいと考えるのだが、それが、映画のラストのように、やはり「死」をもって自由になりたい、というのは、よく分かる。
よし坊の選択は? まだ分からない。というより口が動かない。これ、悶々の選択なり。
こういう話になった時、いつも思い出すのが、「ソフィーの選択」だ。メリル・ストリープが演じるソフィー。最後の方で、ソフィーが選択した重い十字架が明かされる。男の子と女の子の選択で男の子を生かす選択をする。アダムとイブの誕生以来、深い底に流れている男の優越性ということなのか、それとも、男と女という枠組みの中で、母親だが”女”が、我が子だが”男”を本能的に選択してしまうのか。
片方を助けないで、両方手放す、という選択もある。いずれにせよ、重い十字架を背負うことには変わりは無い。宗教の世界では、重い十字架を背負ってでも生きろと説くに違いない。しかし、人間、それ程強くはないもので、いつか重さから解き放たれたいと考えるのだが、それが、映画のラストのように、やはり「死」をもって自由になりたい、というのは、よく分かる。
よし坊の選択は? まだ分からない。というより口が動かない。これ、悶々の選択なり。