よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

もの申す ナデシコ采配(南ア戦)

2012年08月02日 | サッカー
ナデシコ第三戦の対南ア戦を観たが、前半で観るのを止めた。全く点の入る気がしないナデシコの戦いぶりだったからだ。後で結果を観たら0-0で引き分けていた。その原因は控え選手7人の先発にあったなと思っていた。しかし、変な話が漏れてきたし、監督自身の”引き分けを狙った”発言が出るに及んで、これは何やら怪しげな流れになってきた。怪しげな流れと言うのは、この小さな”変な話”がメダルを狙うナデシコの意欲を殺ぐキッカケになりはしないか、という事である。ただでさえ厳しい決勝ラウンドに微妙な影響を与えなければと思う。後で考えた時、”あの時流れが変わったな”と言う事はよくあるからだ。

事実関係は分からぬが、もし監督が最初から引き分け狙いを選手に指示するか匂わせていたとしたら、言語道断だろう。当の選手にも失礼だし相手のチームにも失礼だ。報道されている内容をもとに少し考えてみたい。

1)決勝ラウンド進出決定後の消化試合だから控えの選手に思う存分戦わせた、のか?
消化試合で余裕があるからレギュラーを温存し、控えの選手に思う存分戦わせる。”全力で戦って来い、ただし相手に点だけはいれさせるな”。この指示なら納得出来る。これで結果引き分けなら已む無しだ。試合後のインタビューで監督はこう言えばよい。「今日は控えの選手に試合感覚を慣れさせた。勝てると思ったがドロー。負けなかったのをよしとしたい」。これだけで十分だ。監督の本音が別に有ったとしても皆納得する。ところが佐々木のコメントが違っていたから、そこに違和感を覚える。

2)事前に”引き分け狙い”を指示した?ほのめかした?
勝ったことの無いチームが相手に臨む前、”引き分けに持ち込もう”は輝かしい一勝をもぎ取るようなもので大きな前進だ。しかし、強いチームが最初から”引き分け狙い”をやるべきではない。思っていても口に出したり仄めかすべきではない。腹にしまっておくべきものだ。有るとすれば今回のように控え、あるいは二軍のチームで試合に臨む場合で、それでも”勝て、最悪でも引き分けろ、それがナデシコのプライドだ”くらいは言わねばならぬ。最初から”勝たなくてもよい、だけど負けるな”では、選手のモチベーションは限りなく低下し、チーム全体の士気は落ちる。こんな時に「流れが変わる」。仮に監督が次の対戦相手を考えて最初から引き分け狙いを考えていたとしても、そんな事はおくびも出さぬ事だ。しかし、澤がコメントしていたことからも、少なくとも”ほのめかし”はあったように推測出来る。イギリスに当たろうがブラジルに当たろうがいいではないか。勝てば遠方に移動するので選手に負担がかかる、との言い訳もいただけない。ワールドカップ王者の風格は微塵もない。誠に残念だ。

この一件がブラジル戦に尾を引かないことを唯唯願うばかりである。