よし坊のあっちこっち

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Justiceが生きている

2012年08月28日 | アメリカ通信
先日テキサスでこんな事件があった。若夫婦に5歳の女の子がいた。女の子の泣き声がしたので父親が駆けつけると、知り合いの男が正に女の子をレイプしようとしていたところであった。父親は男に襲いかかり格闘の末殴り殺してしまった。正にレイプされようとしていた極限状態にあって、父親は命がけで危害を加えようとしている相手を取り除かなければならなかった。その為には相手を無力化しなくてはならない。さもなくば、自分がやられ、ひいては再び娘に襲い掛かる可能性は十分である。無力化の結果として相手を死に至らしめた。

似たような事件が起こったら、日本ではどのような判断が下されるのだろうか。実際のところは分からないが、感覚的に言えば、恐らく過剰防衛での罪に問われるのではないだろうか。殺すことはなかろう、と。

テキサスの警察は事情聴取の結果、2時間後に無罪放免とした。Justice,正義はどこにあるのか、という判断基準であろう。シンプルな判断基準とスピーディさには感心させられる。

交通事故でもそうだ。運転中、突然人が飛び出してくれば避けようも無い。或いは、靄のかかった早朝、ジョギングをしていた人を跳ねてしまった場合どうなるか。被害にあった人に過失があっても、必ず“前方不注意”でドライバーも罪を問われるのが日本だと思う。アメリカはそのあたりの判断が違う。ロジカルな説明があり、明らかに先方の過失と認められれば罪にならないケースが多い。例えは、霧や濃い靄の中で場所に溶け込むような服装でジョギングをしていれば、ドライバーは直前になるまで気がつかないだろう。事実そのような事故がアトランタのエモリー大学周辺で起こった。早朝濃い靄のかかった道路を走っていたジョガーが車にはねられ死亡した。現場検証の結果、ジョガーの服装は濃い靄の中では直前になるまで分からないこと、ドライバーも靄の為に制限速度より遅いスピードで走っていたこと、が判明した。それでも事故が起こった。死亡した人には気の毒だが、ドライバーには過失無しと判定された。謂わば不可抗力である。これが日本ならどのような裁きになるのだろうか。“前方不注意”という言葉は、他に特定出来る原因が見出せない時に取り締まる側が使える、誠に都合よく便利な言葉なのである。

アメリカの分かり易さがどこにあるかと言えば、このJusticeであろう。