ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

無観客ということ

2021年08月04日 | 日記

                            ひまわり

 TOKYO2020オリンピック、無観客試合がずっと続いている。そんな中、テレビを始め各種の映像メディアのおかげか、映像を通して選手たちの気合いの入ったプレイを十分に観ることができる。当初、味気ないスポーツシーンになるだろうと予想する向きもあったが、そんなことは全くなく、無観客であるからこそ、スポーツの持つ激しさ、集中力、意欲が選手達の中にかえって湧き立っているのではないか。
 観る方にもスポーツの現場の音、緊張感が伝わってくる。
 例えば野球やソフトボールでの、投手のイキリ立つ声、キャチャーミットに響く音。サッカーのボールを蹴る音、ハンドボール選手のシューズの軋む音、などなど。有観客ではこうした音はスタンドのザワメキや応援で消えてしまう。できれば陸上選手や水泳選手の荒い息遣い、格闘技の汗なども実感したいものだ。
 中継しているアナウンサーやタレントの言辞が少しばかりうるさい。無観客を補填しようとトークに気を使っているのだろうが、逆効果だと思う。むしろ静寂さの中に選手たちの勝負に賭ける決意を見たいものだ。また演出過剰も良いとは思わない。例えば陸上100メートル。レース前、レーンを暗転させ、その上、カラー模様で盛り上げる。逆効果だと思う。しっとりと整備されたアンツーカをスパイクが鋭く抉り食い込む迫力で十分。他は余計である。
 もともとスポーツは勝負が原点である。勝ち負けを争う真剣さを、楽しみや競争という、いわば娯楽的な分野に昇華したのがスポーツだから、有観客が前提になるのだが、勝負という一点に凝縮してみれば、無観客の方がふさわしいのだと思う。飾りや演出が出る幕はないのだ。
 スポーツが超ビジネスになり変わって、満員のスタンドを背景にする現在の盛上り方も素晴らしいが、一方で勝負に徹した静寂さの価値も今回のオリンピックは教えてくれているのではないだろうか。【彬】

 

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