日日草 赤と白
私たちの暮らしは、日々のニュースで張り巡らされている。テレビ、新聞、各種看板や広告の記事。こうしたニュースを何気なく受け止めているのだが、いうまでもなく、これらは有料である。無料のものなどない。電車内の中吊り広告でも、電車賃の中に微量に含まれている。民放も同じ。私たちが広告品を購買することが前提になって、放送が成り立っている。しかしこれらは目に見える形では存在しないから、無料だと勘違いする
ニュースの有料がはっきりと意識できるのは、最近のネットチャンネルである。放送者はチャンネル登録を呼びかけているし、また明らかに有料を示している記事、例えばnoteとか大手新聞社のwebサイトもある。
もちろん、有料だから悪いわけではない。
送信者と受信者が対等に渡り合えるのは、この世の中、金銭関係以外にない。不必要なら送信されるデータは買わないことだ。民放テレビなら視聴しないことで意思表示できる。
最近の中国情勢、日韓問題、アフガン状況、アメリカ大統領の言辞、オリンピック開催問題、コロナ感染状況、日々、動きの激しい、おそらく時代の変わり目なのだろう。そんな時代だからこそ、有益な情報には対価を払うべきだ。
言論の自由とか、公益・公共性とかの名目に引かれ、ニュースを無料という霧の中に押し込めないことが大切だと思う。今、新聞社は購読者の減少に悩み、テレビ局は視聴率の低迷に四苦八苦である。これは受け手がメディアからの受信が有料だと理解してきた結果だと思いたい。
マッチポンプという諺がある。注目を引くため、自分で火をつけ、事を大きくして自分で消防するというものである。私には、今日の様々なニュースに、メディア自身によるマッチポンプの匂いを嗅ぎ取るのである。【彬】