八重のローバイ
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の14人」が話題である。演出家やキャストがユニークなのだと思う。私はTVドラマは見ないから、言うべきことは何もないのだが、この作品の時代考証はもともとは中世史家の呉座勇一さんではなかったか。彼は不幸にして解任? 辞任?したけれど。
呉座さんは今オープンレターの渦中にあるが、所謂講座派の歴史観に異論を唱える学者で、私は尊敬している。「一揆の原理」(ちくま学芸文庫)など教わることが多い。「応仁の乱」(中公新書)は背景の知識がないからよく理解できなかったが。
呉座勇一さんが時代考証をしていれば、人物の服装や背景の作り方など大分違うのではないか、と想像する。
鎌倉に行ったことがある人ならすぐわかることだが、この地は周囲を山で囲まれていて、外部とは切り通しでつながっている。幕府といえば首都だから、いくら要塞堅固とはいえ、切り通りを通って生活物資を運ぶ不便はこの上ないはず。普通だったら考えられない。だから鎌倉は地上交通ではなく、海上交通に頼ったのではないのか。七里ヶ浜や由比ヶ浜など、遠浅の浜辺があり、近くには逗子など船着場に使える磯もある。想像するに頼朝を支えた北条氏は海民と何かしか繋がっていたのではなかったか。
中世史で海上交通に目を向けたのは、能登を研究テーマに求めた網野善彦であるが、呉座さんは網野善彦からヒントを受けていたのではないか、などと勝手に想像する。
渦中の呉座さんは早速「頼朝と義時」(講談社・現代新書)を上梓している。早く読みたいと思っている。【彬】