ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

東京の青果市場

2012年07月10日 | 日記

深夜の大型トラック(淀橋青果市場前)

東京都新宿区・淀橋青果市場には深夜に遠く東北各県から青果が搬入されてきます。

 15トン級の大型車が、数珠つなぎで狭い道路に侵入、荷を下ろし一日7~800トンの取引がされるそうです。市場は朝の6時から。その前に搬入を終えるのですが、これが深夜の作業になります。道路を占拠する大型車は近隣の迷惑になりますが、これを誘導する係員は「ご迷惑をおかけして、すみません」とお詫びする深夜労働。場内も寝ずの作業が続きます。近代都市の胃袋を支える圧倒的な様相を、メガロポリスの象徴として驚嘆すべきか。

 東京にはこのほか、巨大な太田市場をはじめ豊島、足立、板橋、世田谷など大きな青果市場がいくつも開設されています。

 市場は元来交通の要衝地に開設されるものでした。各地に残る「いち」という地名がその名残ですが、都市が圧倒的な消費地になるに従い、「いち」は消費地の気ままな欲望に集約された形で、今日の大市場となっています。そして、この市場のあり方が、今日の農業、農村の存立の基盤を制約していることは誰の目のも明らか。

 考えるに、消費地市場ではなく、生産地市場の形成は不可能なのでしょうか。

 消費地の動向より、生産地の植え付けや作況状況を中心に市場動向が左右される仕組みである。そうすれば、ややもすると豊作貧乏に陥るかのような価格構成がもっと安定的に推移するのではないだろうか。漁業関係は、ずっと生産地(水揚げ地)市場になっています。

 生鮮品の流通では、廃れ気味な仲買制度の充実が欠かせないと思います。産地直送・直売などという生半可なやり方で産地と消費地を繋ぐのではなく、品質の見極めが的確な仲買人を仲介し、効率的で、生産性のある現代的な流通の仕組みがきっとあるのではないだろうか。

 東京の市場での、深夜労働などといった過酷な業務も、偏った物流の形がもたらす遺物と思うのですがいかがでしょうか。【彬】

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椿、根元の新しい枝から開花

2012年07月10日 | 日記

4月20日 東京都新宿区 区立公園にて

 この区立公園は、区の公園緑化係から派遣される造園業者が、下草の刈り込みや樹木の剪定などを、定期的に行っている。

 法面にはツツジ、ビヨウヤナギ、アベリアなどが植えられ、所々に椿やハナミズキなどの立木があって、近所では評判のよい公園である。

 利用者も多い。

 ところが造園業者の手入れの仕方は、刈り込みが強すぎる。椿やプラタナスなどの樹木も例外ではない。そこで業者にお願いし、低木の椿については管理は私がするから、手を入れないようにしてもらった。とはいえ、素人ですから、剪定バサミを使っての作業は、ヤブ蚊やブヨにさされての悪戦苦闘でした。 

 が、2年ほどすぎる頃から、根元付近から若枝が芽吹き、今年ついに蕾をもち、開花しました。

 ヒコバエは処理するが、四方に枝の張った、出来るだけこんもりとした大樹に育てたいと思う。【彬】

                      

 

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LED電球に交換

2012年07月10日 | 日記

5月1日、我が家ではようやくすべての光源をLED電球に替えました。

節電という意識はあまりないのですが、通常の蛍光灯の寿命がきたもので。電球を見ると消費電力はなんと6.5wである。さすがにちょっと暗いが非常に少ない電力ですむ。テレビやビデオ、パソコンなどの電力も気になるところである。

 いい機会だからLEDとはなにか、調べてみた。

ネット上のウィキペディアによると「白熱灯など他の多くの光源と異なり、不要な紫外線や赤外線を含まない光が簡単に得られる。このため紫外線に敏感な文化財や芸術作品や、熱照射を嫌う物の照明に用いられる。入力電流変化に対する光出力の応答が早く通信などにも利用されるほか、照明に用いた場合は点灯と同時に最大光量が得られる。」

とあります。

 なるほど反応が早い。スイッチを入れた瞬間に点灯する。また、熱くならない。寿命も長いようだ。科学文明の成果である。 【彬】                                   

 
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吉本隆明さん、亡くなられる。

2012年07月09日 | 日記

2012年3月16日 吉本隆明さんが亡くなられました。87歳。

 私は吉本さんの著作を生活や思考の羅針盤にしてきただけに、辛いです。
この「日本語のゆくえ」は東工大の学生に語った主に詩とコトバについての連続講演記録ですが、平易で、しかも十分に準備された充実した内容です。ほんの一部を引用します。

「ぼくが長いあいだ疑問に思っていたのは、幕末から明治維新にかけて、どうして本居宣長などの国学系統の思想が維新の原動力になったのかということでした。なぜ『尊王攘夷』のような古い思想が主体になって日本の近代革命がはじまったのか、そのあたりの意味がどうもわからなかった。」

 こういう問いを発した人は、寡聞にして聞いたことがありません。

 原発事故に関連し、危険だからといって、科学技術を否定することは、人間が猿になることだ、と言って物議を醸しましたが、状況に左右されずに、現在の課題を常に掘り起こしながら、本源的なところから問題を提出する力業にはいつも勇気づけられてきました。

 これからは吉本隆明という羅針盤がない航海に出なくてはなりません。

 同じ訃報で「原発安全革命」を残した科学者の古川和男さんも昨年12月14日に亡くなられました。ウラン型の原子力発電の問題点を指摘しながら、《トリウム原発=溶融塩炉》の安全性、利便性を追求してきた原子力科学者です。吉本さんと同様、全世界でも屈指の人でした。              [彬]

                     

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