東急ハンズ側から見た新宿駅南口の線路風景
新宿。ご存知のとおり、JRを中心に私鉄が小田急線、京王線の2社。地下鉄が、丸ノ内線、新宿線、大江戸線が乗り入れる巨大なターミナルである。
JRはホームだけで16番もある。埼京線、湘南新宿ライン(東海道本線、横須賀線、東北本線、高崎線、成田エクスプレス)中央本線(甲府・松本方面)・中央線快速(青梅方面)、山手線、総武線と錯綜している。
乗降客は世界一でJRだけで一日75万人を数える。改札口は早朝から深夜まで利用者が途切れなく続いている。
新宿と同じように、池袋や渋谷も人波は絶えず、みな巨大都市へ、巨大都市に吸い寄せられていく。
反面、地方都市はシャッター通りへの危惧が絶えない。
なぜ、このような集中化が起こっているのだろうか。新幹線や携帯電話など、交通や通信手段が発達すればするほど、原理的には、人は双方向に動くはずであった。都会の意味が薄れるはずであった。ところが事実は反対で、不況の現今こそ人は都市に流れる。
一極集中は、日本だけでなく、韓国や中国でも同様で、なにかアジア的な現象にも思える。韓国では行政機能を分離して、ソウルから新たな都市に移す計画が進んでいるようである。日本でも首都移転は古くから検討され、候補地には群馬県のどことかなど話題になったこともあった。しかし、行政を分離して、果たして分散化が達成されるものやら。
一極集中への一つの対抗として、地方分権が言われている。地方が衰退するのは、自治を保障する資金=税金が、国からの交付税に頼らざるをえないからで、消費税などは地方に渡せ、と橋下大阪市長などは主張している。
それぞれ一理はあるのだろう。
が、地方が衰退するのは、もっと大きな経済的な仕組みがもたらしているように思える。たとえばかつて繁栄を誇ったデパートの衣料品売り場は現在閑散の一方なのだが、その一方でユニクロなどといった小売業が圧巻だ。デパートの衣料品といえばブランドや有名メーカーの誇示であった。ユニクロの場合は、単に安価というのではなく、デパートが誇った生産者の顔(ブランド優位)を意図的に消しているように思える。生産地は中国であろうが、ベトナムであろうが、問題ではないのだ。このことは、私たちの消費意識の中に、生産現場への想いが消えて、製品そのものへ関心が移ったことが示されていないだろうか。圧倒的な大量消費というのは、生産の側からではなく、消費の側からの経済でもある。
新宿は、そうした消費経済の坩堝であって、飲食とファッションと劇場で、早朝から深夜まで人の波が消えないのである。【彬】