記録的な小雪・大雪考(その2)
雪に関する文章も多いのだが、小雪に関しての興味深いものもあった。
一つは昭和七年が経験したことのない小雪で三月に野球大会が出来たというもの。
偶然と言おうかその前年、昭和六年に上越線の清水トンネルが開通していて、
人々は三国山脈に穴を掘った事がその小雪の原因ではないかとさえ噂をしていたとか。
その年は経験したことの無い小雪であり、夏の農作物への影響が心配されたが、
その心配が杞憂が終わる豊作となり、米価が下がり豊作貧乏状態になったとも書かれている。
ところが翌年の昭和八年は前年の分を取り返すかと思われるほどの大雪。
大量に降った雪は五月末まで消え残ったという驚くべき内容。
また、ほかの筆者の文章では堀之内遊歩道の石碑の由来についても書かれている。
今では多くの人々が簡単なハイキングを楽しめるコースとして親しまれている。
遠方からの来訪者も多い御嶽山とも呼ばれる山の頂上に建てられたこの石碑は、この大雪の年、昭和八年建立とある。
そして、百数十貫400キロにも及ぶこの大きな石碑は昭和八年の大雪を利用して運び上げられたようだ。
雪崩を避けて沢を踏み固めて運搬路を作り、堀之内町民の有志が大きな橇(そり)に乗せ、
黒山のように集まって引き綱を引いたり、後ろから押したりして運び上げたのだと言う。
上越線の清水トンネルの開通、小雪、そしてそれに続く大雪と、
大きな石碑の建立の話がようやく私の頭の中で繋がった。
(続く)