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畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

そこそこ過酷な北海道ツァー(その5)

2024-07-06 17:04:32 | 旅行
 少しでも良いから、内部も見たかったなー。
明治年間の建築らしいが、手入れが良いのか、リフォームがなされたのか。

 船からどこまで運搬したのでしようか。
女性が籠を背負った姿の銅像です。こんな女性がきっと多く居られたのでしょう。

 「くき」と言う言葉は知っていました。
でも、「群来」と書いて「くき」と読み、動詞としてか「群来る(くきる)」と読むのですね。

 海岸が、オスが排出する「白子」で海の色が白濁。
まさに押し寄せるって感じだったのでしょうか。最近も見られるようですが。

 「三船遭難慰霊の碑」があり、目立ちます。
樺太からの終戦に伴う引き揚げ船が、魚雷攻撃により沈没し、多くの犠牲者を出してのです。

 もう一つの慰霊碑です。鳥が翼を広げたようなモチーフが飾られている。
40数年前になりますが、航路を外れた大韓航空機がミサイルで撃墜され、多くの犠牲者が出たのでした。
              (続く)
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そこそこ過酷な北海道ツァー(その4)

2024-07-06 06:57:04 | 旅行
 旅行バッグが無事に着くことを信じながらも、バスに乗り込む。
なんと、この日は走行距離は370キロという長旅。夕食開始予定時刻はなんと午後8時!

 バスは途中で、1時間半ごとに休憩タイムをとる。
「御覧ください。この長い直線がライダーたちに人気の道路なんです」なんて。

 別名「オロロンライン」と言う、留萌から稚内までは沿岸道路。
小平町では、有名な鰊番屋のある道の駅で休憩。かつての鰊漁の隆盛が偲ばれます。

 一階だけで242坪。二階も合わせると延274坪という建物。
鰊御殿と呼ばれる建物ではなくて、大勢の漁の従事者たちの住居も兼ねていたのでしょう。
 昔、こんな木造の学校があったような記憶も思い起こされる。
到着時刻が遅くて、玄関を鎖錠して帰るパートと思われるオジサンの姿。
           (続く)
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そこそこ過酷な北海道ツァー(その3)大ハプニング!

2024-07-06 04:11:24 | 旅行
 無事に着陸ですが、座席の位置関係で、補助翼の開閉が見られました。
複雑な機械が見えたり、大きな開口部から下の風景が見えたりと面白かった。

 こんな感じです。

 誘導路を移動して、タラップを降りたら、すぐに集合時刻。
ここで、初めてツアー参加者45名が顔を揃えてバスに乗り込むことに。

 ところが、スベルベ夫婦は手荷物の受け取りでとんでもないトラブルに。
ベルトコンベヤーに乗ってくる荷物を見て、似たようなバッグがあると見てたら、ひとりの女性が躊躇なく持ち去る。
 待っていると、似た荷物が来たけれど、整理番号のタグが別の番号。
アッと思い、すぐに追いかけたが姿を見失う。観光バス3台のトランクルームを開けてもらったが無い。
 その間、スベルベママは空港スタッフとやり取り。記録から相手の携帯は分かるが電話に出ないという。
 呑気なスベルベは「着の身着のままで行くか」なんてジョークも言うがスベルベママは顔色無し。
添乗員も機敏に空港スタッフとやり取りをして下さり、後に宿まで届けるという話に。
 結果は、バスで旅するスベルベ夫婦よりも早く、新千歳から空路で稚内のホテルに届いていました。
                (続く)
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