中学校を卒業するまでは坊主頭が当たり前
むくろっち(その1)
「むくろっち」あるいはなまって「もくろっち」なんて言ってた者もいたようだ。日に焼けて真っ黒になったイガグリ頭をからかう言葉だった。真っ黒でカチカチに硬い実をそう呼んだのだが、正確に言うと「ムクロジ」と言う木の実の事ですね。
今は見ることも無くなったが、羽子板を使って羽根突き遊びをするときに使った、色とりどりの鶏の羽が刺さった黒い木の実の事です。少なくともこの辺りでは、昭和年代の子供たちは坊主頭、イガグリ頭が男子の普通のヘアースタイル。小学校入学時に長髪、坊ちゃん刈りと呼ばれた頭の子は、同じ学校の校長先生の倅だけでした。しかも、床屋さんに行けるのは恵まれた町場の子供たち。農村部の子供たちは、母親又は父親にバリカンで刈ってもらっていたものです。
切れないバリカンだと結構悲劇で刈りきれないうちに引っ張ると頭皮がはがされるような痛みを伴うことになってしまう。そのうちに分刈りなんて洒落たスタイルも生まれる。今でいうアタッチメントを取り付けると、その種類で何ミリと調整できるってわけ。
帽子なども無く、むき出しの坊主頭は芯から日に焼けて真っ黒になることになる。そんな状態をからかった言葉が「むくろっち」だったのです。くりくりとした真っ黒でしかも小さくて可愛い同級生達の頭が目に浮かぶ。
(続く)
坊主頭が普通でしたね。女の子はおかっぱ頭で、どちらも行くなら床屋でOKでした。当時床屋代が50円。行くと床屋のおじさんがパンなんか買ってくれたのを思い出します。ラーメン一杯が30円から50円という時代でした。たまに松本迄行ってデパートのハヤシヤか井上で食べるラーメンがおいしかったです。
第一、田舎でラーメン屋なんて無かったですもの。
高校に入り、長岡市に通うようになって、そのあたりの知識も一変。
長岡市内出身者がまぶしくさえ見えたものでした。慣れたら、全員田舎ものでしたが(笑)。