高校に入学したら、長髪OKに。ただし、制帽は必ず着用の校則。
むくろっち(その2終わり)
他にもこれはあだ名だが「味噌玉」なんて呼ばれた子供もいた。今は「味噌玉」などと言っても分からない人が多いだろう。昔は田舎では味噌は自家用として、大豆の栽培から始めて味噌に仕立てていたものです。春先に庭先の釜土に大鍋を掛けて大豆を茹でる。茹で上がった大豆は大型の引きつぶす機械の大きな受け口に入れてハンドルを回す。すると、円筒状の口に沢山の穴が開いていて、そこからにょろにょろと出てきたのだ。
これを円錐状に丸めたのが味噌玉。熱々の味噌玉はムシロの上で熱を取るとともに、形を作って固まるのを待つ。固まったら、藁などで縛りあの頃だったら、囲炉裏の上に吊り下げて乾燥したものでした。そんな情緒たっぷりな味噌玉だが、こんなあだ名は付けられた本人は切なかったことだろう。
他に坊主頭で思い出す遊びがある。遊びというよりも悪ふざけと言った方が正確なのだが、刈ったばかりのイガグリ頭に、後ろから濡れ手ぬぐいを素早く乗せて引っ張る。驚くことに短い直毛の力は強くて、引っ張ると踏ん張る間もなくひっくり返るのでした。
一様にきれいに散髪された小学生たちの頭を見て、思わず自分たち昭和の時代の子供時代が脳裏によみがえったのでした。
(終わり)
私は高校は当時女学校だったのですが、近くの男子が多い学校は私服化しつつも、学生服帽子が主流でした。懐かしいな〜
TVで昨日、昭和45年の紅白をやっていて、感激して観ていました。みんな誰だか分かるし、歌も覚えてある。私もしっかり昭和です。当たり前だけど
又々自然薯のお話。谷向こうの木曽で、自然薯を波板を使って栽培して、その収穫の様子が放映されていました。サラサラの土でまっすぐで、上の土を手で除いているだけ。私は長芋ですが、粘土や赤土で固く苦労して堀り、その土だからこそ、味も濃く美味しいと思っていました。この辺りに出回る事はないと思いますが、試しに求めたくなりました。
今頃、雪をかいておられるのでしょうか?
怪我や事故がないように過ごされますように
味噌玉、松本平は円柱形だったような。むしろの上に並べていました。子供は見ているだけでしたが味噌玉にする前の潰した大豆はちょっともらって食べたりしましたが美味しかったです。ついでに醤油(たまり醤油)も作ったような気がします。機械があって隣近所回ってお手伝いしながら1年分の味噌を仕込んでいました。その後は農協に任せたりしたようで味噌作り用のいくつかの機械はどこに行ったのでしょうね。どこかの家の物置にそのままあるのかも。民族資料館にはありますね。自然薯を掘る習慣はありませんでしたが掘る人は掘っていたのかも。弟が長芋を作るのに土を高く盛って掘り易いようにしていました。袋ゴボウのようなものですね。今はゴボウを抜く機械があるとか?農業も変わりましたー。