伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

ジャラン・スラバヤ

2008-01-07 23:36:53 | Weblog
「ジャラン・スラバヤ(スラバヤ通りだよ)」
 義兄の会社の運転手が突然そう言った。
実際には突然ではなく、「スラバヤ通りに行きたい」旨を前もって告げておいたのだ。運転手つきのドライブという贅沢に慣れていないゆきたんくは途中でまどろんでいたのである。

モナス(独立記念塔)の周囲を歩き、モスク(イスラム教信者の礼拝堂)やカテドラル(キリスト教信者の大聖堂)を見て感動してたばかりなのに、まどろむとは歳かなぁ。

とにかく今から20年以上前に松任谷由美の「スラバヤ通りの妹に」がとてもかわいい歌で、スラバヤ通りなんてぇのは架空の通り道だと勝手に思っていたゆきたんくである。今回のインドネシア旅行の予習でスラバヤという地名があるのに気づいた。目的地のジャカルタからずいぶんと離れている。スケジュール的には無理だと思い、地図上でジャカルタ市内の物色をしていた。そうしたらJl Surabayaに目が止まったのである。モナスからも近いこの通りを歩いてみたいと思った。

運転手さんの声で目が覚めたゆきたんくは通りの様子を見て困った。
店の入り口におじさんたちが集まり、こちらを見ている。
行った先々で、物売りに会い閉口するところもあったのだ。
ここでもきっと似たような目に遭うに違いない。

せっかくきたので歩くことにした。
おじさんたち(ゆきたんくもおじさんだが)の目が集まる。
すぐに日本人だと分かるのだろう。
「安いよ」、「いいものあるよ」、「ちょっと、のぞいてって」、「のぞくだけでいいから」と全部日本語である。しかし「のぞくだけでいいから」と言った舌の根の乾かぬうちに「これ安いよ」である。深く考えて日本語を使っている訳ではないだろう。コミュニケーションなのだ。実際にゆきたんくは店先で足を止めている。せっかくだから買わないまでも、見ることにした。料理好きのゆきたんくの目に留まったのは北京鍋である。あの中華料理屋さんで、チャーハンを空に舞い上げる底の丸いフライパンと言えば分かるだろうか。本当に買いたかったし、持って帰りたかった。鉄製の良い品物であった。結果的に冷やかしになってしまったが、別れ際には笑顔で「さよなら」と言ってくれた。たの地域に比べてやさしい人たちが集まっているように思えた。このスラバヤ通りには小さな女の子がいても、ここの住民たちはとてもかわいがるように思えた。

写真はジャラン・スラバヤ(スラバヤ通り)
コメント
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