巷では「ルネッサーンス、チーン」なんてお笑い芸人がやっているが、その意味をご存知なのだろうか。(まあ、知っているとも思うが…)
ここは鈴木貫太郎(終戦時の首相)記念館の横にある旧関宿町立関宿小学校の跡地。
この写真を見て一抹の寂しさを押さえられないのは、かつてこの場所でたくさんの子どもたちが時間を共有していたという事実があったからではないか。
前に関宿城址博物館を訪れた時に、旧関宿小学校の横の道を通った。
今では懐かしい木造の平屋建ての校舎が、自分の存在を主張していたのを覚えている。「ここで一番の先輩よ!」といった感じだ。その校舎たちが跡形も無く消えてしまった。土台のしっかりと作ってある石碑だけがそこに残っている。
実はゆきたんくの所属した小学校の寿命も風前の灯なのである。場所は東京であるが子供の数は確実に少なくなっているのだ。ゆきたんくが小学校6年生の頃は全学年5クラスあり、30学級の大きな学校だった。校庭が狭いこともあり、なんとプールは屋上に移されたのである。そして現在では全校で7クラスになってしまった。中学校は小中一貫校として校舎を建て替え、青春といたずらの限りを尽くした証拠が消えてしまった。そして高等学校は都内唯一の全寮制高校であったが、これも平成10年にその歴史を終えた。
この旧関宿小学校跡地を見ていると、自分の履歴とオーバーラップして悲しい気持ちになるのだ。
明日はルネッサンス(その2)を書く。
現在の関宿小(野田市立関宿小学校)はここから1km.離れた所に校舎を新築し開校している。