滅多に見れないもので、かつ自分が初めて見ることができる。そういう機会は滅多にあるものではない。まして、初めてで有名で壮大なものほど期待大である。
2006年春にツアーで中国に出来かけた時のことだ。
世界遺産にご馳走が売りの北京旅行でのこと。
その中に故宮博物院がコースにあった。ということは、天安門を見ることができることを意味する。自分の中では、赤くて大きくてそして門の中央部分には毛沢東氏の肖像があることだ。
4日間のコースで3日目に故宮博物院はあった。それまでは「万里の長城」、「明の十三陵」、「頤和園」を見ることになっていた。
万里の長城では、観光客が登るのには選ばない男坂を登り、明の十三陵では、地下壕然としている、しっかりした構造に感心し、頤和園では、昆明湖という人口の湖を作らせた皇帝の力に驚き、だんだんに気持ちも盛り上がってきていた。
そして「明日は、天安門だ。」と心躍らせながら気持ちの風船も張り詰めてきた。
と書くと、「充実した旅行をしたんだね。」と思っていだたけるだろう。
そして唐突にその時は訪れた。
万里の長城でそのスケールと人智に感動した後のことで、心の風船がまだ膨らみ始めたタイミングだ。昼飯前に訪れた、ツアー観光につきものの土産物屋にそれはあった。
宝石店であることは分る。入り口を入ってすぐのところに数百キログラムの翡翠の塊から掘り出した風呂のようなものが飾ってあった。
こんなに大きな翡翠の製品は見たことがない。店内も期待大である。そしてわたしの目に飛び込んだものは緑の天安門であった。
なんと、翡翠の塊から掘り出した天安門が目の前にあるのだ。ご丁寧に中央には毛沢東氏の顔写真があるのだ。一挙に力が抜けていく。その作品は、今回の旅行で、初めて天安門を見るという機会を奪い、天安門の正確な形を知らなかったゆきたんくに形を教え、異国であるがゆえにやたら見ることができないという緊張感をコーティングした期待感をしぼませたのである。
天安門の前に立つゆきたんく
撮影は次男のつっくん
次の日、生まれて初めて天安門広場の広さに感動し、その突き当たりにある本物の天安門を見ることができた。
できることならば、本物を先に見たかったゆきたんくである。
しかしながら、その日ホテルで写真を確認して気づいたことは、宝玉店の天安門と実際の天安門の形が違ったことだ。それまで気がつかないほど、天安門の形が頭の中に入っていなかったのである。非常に薄い認識であった。ようするに本物を見て、初めて本物の形を知ったことになるのであると理屈をつけたところでペンを置くことにする。