長男の記録会(陸上競技)を見に行った帰り、旧関宿町(野田市)を通過する。
埼玉県の加須から幸手に入り、江戸川を越えると関宿である。
そして流山街道に入るのだが、その一歩手前に旧関宿小学校の跡地がある。
この跡地のことについて、先日のプログ「ルネッサンス(その1)」で寄稿した。
もちろん、昨日に見た跡地のことで変化があったから(その1)として続編をにおわせたのである。
久しぶりに鈴木貫太郎記念館そばに車を停めて、旧関宿小学校跡地を見る。
すると、たくさんのテントがあるではないか。キャンプ場に使われているのか。
であれば、再びこの地に子供達の姿が戻ってきたことになる。
この日は残念ながら人の気配は無かったが、確実にこの場所が生かされていることが誰が見ても分る状態であった。
写真左の石碑も嬉しいそうに見える。
(ゆきたんくにはそう見える)
公共の場によく見られる避難場所の案内が目に留まった。
「関宿あおぞら広場」と記されていた。
かつて、幾多の子供達が駆け抜けて行った、関宿町立関宿小学校。
この千葉県最北端にあった小学校の敷地が、再び子供達のため生き返ったのである。これからここで様々な経験をし、成長する糧にするのだと思うとわくわくする。
名前も「関宿あおぞら広場」なんて、大変よろしい。
かつてのヨーロッパで起こった文化復興運動のことをルネッサンスと言ったが、直訳すると「再生」ということになる。そして正しい表記は小さい「ッ」のないルネサンスが一般的なようだ。
そして、今まで息子の大学に行くたびに通るこの道を、楽しい気分で走る抜けることができるのがとても嬉しい。
今は無き、関宿町立関宿小学校は、野田市の関宿あおぞら広場に生まれ変わったのである。