写真に写っているのは、ヨーロッパ色の強い建物である。
天気が悪いが、晴天ならばパステルカラーに見えるはずだ。
しかしここはヨーロッパではない。
かつて、日本や中国へのキリスト教(カトリック)伝道の基地として栄えた所である。
であれば、東南アジアなのだが、東南アジアといえば大乗仏教が栄えた土地である。
公用語はポルトガル語と広東語。
ポルトガル領になったことは一度もない。
何なんだ、この複雑さは・・・。
国が入り混じり、宗教の色合いも違い、公用語になっている国の領土ではない。
①ポルトガルが中国の明王朝との交易のために到来した。
②明王朝から後期倭寇の討伐で協力する。
③協力の代償として、マカオの永久居留権を認められた。
④その後統治権を与えられるが、主権は中国(清)であった。
さて、下の写真を見てもらいたい。この地のシンボルともいえるセント・ポール天主堂跡だ。ここは澳門(マカオ)である。漢字では大三巴牌坊と書く。
正面ファザード
石牌坊(中国・北京)
漢字で書かれた中国名は複雑な感じがする。この2枚の写真の被写体には牌坊という言葉がついている。門という意味なのだろうか。いずれにしても、北京のは中国、マカオのはヨーロッパの趣がある。
話がずれたが、聖ポール天主堂跡は17世紀前半に建設された教会の遺跡だ。完成当時は東洋一美しい教会だったそうだが、1835年に隣の学校からのもらい火で建物が焼け落ち、建物正面のファサードのみが残った。
この教会建設にたずさわったのは、ポルトガル人と弾圧を逃れて長崎からマカオに渡った日本人クリスチャンだったという。
正面ファザード下部
かつてローマ・カトリックの東南アジア布教の中心であったマカオ。その象徴的建築物がこの大三巴牌坊だろう。