昨日は、陸軍の境界標柱についての記事を書いた。
JR松戸駅の東側には、相模台という小高い丘がある。
その上がかつては、船橋中山競馬場の前身だった松戸競馬場という広い敷地だった。それが、今では文教地区で、聖徳大学、松戸第一中学校、相模台小学校などの学校を始め、裁判所、拘置所、松戸中央公園、公務員宿舎、イトーヨーカドーが連なっている。
松戸工兵学校の門柱
現在は松戸中央公園の入り口として残っている。
松戸競馬場の後は、松戸工兵学校という当時では日本で最高の軍人を養成する施設だった。戦争には軍人の食料や戦争に使う物資を運ばなくてはならない、ということで鉄道大隊ができた。軌道敷を作る軍人である。後にいくつかの連隊に分かれたが、この松戸工兵学校を終点、習志野を始点とする軍用軌道が引いたのは鉄道第二連隊だった。現在は、その軌道の殆どを新京成電鉄が買い取り、新京成線として松戸―京成津田沼間の運用に使っている。
その路線沿いには、多数の境界標柱が存在している。また、かつて軌道があった所にも境界標柱が建っている。
最初の写真は、松戸市立第一中学校の裏に放っておかれている国有地に寂しく立っている陸軍境界標柱である。鉄道の軌道の境界標柱は、軌道の左右10mの辺りに建てられていたという。松戸第一中学校の裏門の辺りに軌道跡があり、通路になっているが、緩いカーブを描いて校庭の方に延びている。そこから10mくらの所に建っているのである。
なお昨日紹介した、中学校正門近くの坂道途中にあった境界標柱がこれである。
一中側から見た境界標柱
一中を臨んだ上の写真と同じ境界標柱
この標柱を別の角度から見たのが上の写真だ。
奥の方に見える樹木は、正門を入ってすぐにある広場とプールの間にある。
この坂道は、工兵学校に物資を運んだ道なのかもしれない。
松戸第一中学校の東側校舎を臨む
最初の写真を東側から見た写真が上の写真だ。
境界標柱の向こう側に校舎が見える。
一般の方は、何でこんな所にと思うシチュエーションだ。
この取材から1年後に、戦跡探訪仲間とこの地を訪れた。
千葉県の東葛飾をつぶさに見て回っていたので夜になってしまったが…
上の境界標柱
夜、懐中電灯の光を当てて「陸軍」の文字の陰影を見ることができた。