伝えたんく

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松戸の戦争遺跡③

2008-08-26 21:12:05 | 戦争遺跡

 2回にわたって、松戸市内の陸軍境界標柱について述べてきた。まだまだネタはあるので、続いてもご勘弁いただきたい。

 前回までは、松戸工兵学校の周囲と、鉄道第二連隊軍用線軌道の終点が松戸市立第一中学校の裏門の辺りということを書いてきた。

 中学校裏門と新京成電鉄上本郷駅を結ぶ道路が現存しているのだが、これも旧軌道敷き跡である。その上本郷から胡録台に抜ける所にも軍用線の軌道敷き跡が残っている。とはいっても境界標柱を辿るしかない。
 その終点が千葉県立松戸矢切高等学校という話がある。
 矢切高校近くに見つけた境界標柱が2本ある。坂川という、昔氾濫した川沿いにある。長方形の畑の2つの頂点の所に立っている。風が強く、砂なども飛んでくるため、「陸軍」の文字は削れて見えなくなっている。後日友人との合同調査で夜に訪れた時に懐中電灯で文字を確認することができた。

昼のが2007年7月21日、夜のが2007年8月18日のものだ。


矢切高等学校近くの南側境界標柱を東側から見る


上写真を南側から見たもの
陸軍の文字が見える


北側境界標柱を東側から写した
右上に矢切高等学校校舎が見える。

上写真を北側から見たもの
これも陸軍の文字が見える。

 この2本の境界標柱は55メートルの間隔で建っている。
 そして、それぞれが陸軍の文字を外側に向けて建っているので、挟まれている所は陸軍用地であったはずだ。この間に数本の軍用線の軌道敷きがあったとしても不思議ではない。しかし、しらみつぶしに歩いてみても他に痕跡は見つけていないのだ。

 さて、次の1本は上の写真から800m離れた所に建っている境界標柱だ。
たまたま友人の家に遊びに行った時に見つけたものだ。何度も通っている場所なのに、気がつかなかったのである。やはりこういうものは戦跡に興味がある者以外の目には留まらない様にできているのだろう。まして、畑を囲む杭があり、等間隔に建てられている内の1本だったのだ。

 これも8月18日の調査で陸軍の文字を確認することができた。



友人の家の近く(上矢切)に建っていた陸軍境界標柱



上写真の標柱。陸軍の文字が分るだろう

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