伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

京都タワーは府民の憧れ

2008-01-16 23:02:54 | Weblog
写真は京都タワーである。
関東圏で中学生時代を過ごした方々は、修学旅行の行き先は京都・奈良が多いだろう。そして京都駅を降りたら、京都タワーに目を奪われるだろう。
そして何かで調べたわけでもないのに、こういう薀蓄が聞かれる。

「京都はさ、神社仏閣が多いじゃん。だからさ、仏壇に点す蝋燭を京都タワーの形にしたんだよ。」なんてね。

私も同様の話をし友人にしたことがある。何かを調べて確かめた訳ではない。
それに間違いないと思う形をしているからだ。だってタワーの根っこの部分も燭台の形に似ているではないか。

それから31年、自分の中では間違いないと思っていた知識であった。
一昨年末の京都・奈良旅行の最終日、私は朝から自由行動であった。
家族と女房の両親とで出かけたのだが、最終日の朝は3時あるというので自由行動になった。寺田屋、伏見の酒蔵と回った後、タクシーを拾った。そして東寺、羅城門跡、龍谷大学の戦跡と見て、閉めは京都タワーにした。写真を撮りやすい所を運転手さんに教わり、気に入った写真を撮ることができた。ホテルに戻る車の中で、「お客さんは、京都タワーは何を模っているかご存知ですか?」と聞かれた。
私は自信たっぷりに「蝋燭でしょうね。台も燭台の形をしているし。」

「良くご存知ですねぇ。」と答えが返ってくるとばかり思っていた。
運転手さんは「京都はねぇ、海がないでしょう。厳密に言えば日本海に接してはいるのだけれど、この辺りからは遠いよねぇ。だからね京都府民は海に対しての憧れを持っているんですよ。その憧れを燈台の形で現したのが京都タワーなんだよね。」ということであった。地元の方がいうのだから本当の話なのだろう。
ゆきたんくの中で一つの知識が最終検証を終えたのである。人間って知っているつもりのことが実に多いのかもしれないね。
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ニューイヤーイブ

2008-01-15 23:50:53 | Weblog
日本ではイブというとクリスマスイブを思う方が多いだろう。
イブというのは祝祭日の前夜という意味である。

よその国では、クリスマスから正月までがお祝いの気分で過ごすようである。
そして日本で言う大晦日の夜、元旦前夜はニューイヤーイブとして大賑わいなのである。花火は打ちあがるわ、ホテルでは数百の風船がフロアーの高い天井から降ってきて、みんなで割り合うわ、笛はプップカ吹くわ、金銀の紙は撒くわの大騒ぎである。

そんなニューイヤーイブの日、ゆきたんくはジャカルタ市内中央の散策に出かけた。とはいっても、義兄の会社の運転手さんが回ってくれるというのだ。

この日のお目当ての一つにモナス(写真…独立記念塔)があった。高さ137mで頂上部には燃え盛る炎をかたどった35kgの純金があるのだ。
義兄が観光地に連絡をとってくれていて、この日はモナスには登れないとのことであった。どうやら東京タワーのように展望台があるらしい。

しょうがないので、運転手さんには写真が撮れればいいのでと告げたのだが、お互い片言英語で会話しているので誤差は出る。運転手さんは、「今日はモナスは上れない。」と言うので、私は「分かりました。」と答えたのだが。駐車場に入り、なんとモナスの前まで連れて行ってくれたのである。モナス周辺はライブの施設が設けられ、たくさんの人がニュイヤーイブの訪れを待っていたのである。なんともいえない緊張感の中でたくさんの写真を撮ることができた。もっとも展望台に上がれるのであれば、ディズニーランドのように○時間待ちの状態にはなったであろう。この日に展望台はなしということが良く分かった。

後で義兄から、「運転手さんが困ってたよ。」というので訳を聞いたら、モナスは上れないのに、「どうしても上るんだ。」と。納得してもらえないのでしょうがなく近くまで連れていったということだったらしい。ゆきたんくは車の中から見えるモナスの写真が撮れれば大満足であった。しかし誤解とはいえ、近くでモナスの写真を撮れたばかりか、新年を待っているインドネシア国民(ここには日本人はいなかったな)の様子を見るという貴重な体験をできたことに感謝している。

写真はモナスとニューイヤーイブを待つ人達。
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いいねぇ

2008-01-14 23:57:59 | Weblog
ゆきたんくは一人っ子である。

兄弟っていいねぇって思った出来事。

先週の土曜日友人の長男が受験だというので、湯島天神に出かけた。
合格セットなどというのを買っていた。雨が降っていて寒く、神社の施設の階段も濡れていた。友人はそこで滑って転んでしまった。運動神経の良い方なのでとっさに受身を取り、難は逃れた。
さすがだったのはその後、「自分が滑っておけば、子供は滑らないだろう。」ってね、頭も良いのね。

そう、その日は寒かったから昼飯はラーメンと決めていた。
今から9年前、ゆきたんくと友人は同じ職場にいた。今は、人事異動のために別の職場で働いてはいるが、時々会って飯を食っているのだ。
そう、9年前に同じ方向に出張の後に入った店に行った。

神田は神保町の「さぶちゃん」である。
知る人ぞ知る、「半チャンラーメン発祥の店」である。

野太い声で「ぇいらっしゃいませぇ~、どうぞぉ~」
すかさず、「半チャンラーメンね」と二人で言う。
9年ぶりの来訪をさぶちゃんは覚えていてくれた。
もっとも二人とも1m80以上あるのだからインパクトはあるよなあ。

出来上がるのを待っている時、背中で声がした。
「車、大丈夫?」
よく見ると後ろの壁板が開いている。
さぶちゃんが、「お客さん車?路駐かな?」というので
ゆ 「駐車場に停めてきましたよ。」
さ 「あぁ、よかった、白山通りはすぐやられるんだよね。」
  「道路側の洋食屋はさぁ、兄弟がやっているからすぐに教えてくれるんだよ。私もね、お客さんには18650円だよって言うんだよ。まぁね、うちらのお客さんじゃなきゃ、どうでもいいけれどねぇ。(笑)」

つまり、半チャンラーメンは650円で食べられて超お得である。それプラス駐車違反の罰金が18000円という計算だ。

見た目も職人でいかついさぶちゃんがこんなに話すとは思わなかった。
また、笑顔がかわいいと言ったら怒られるかな?

半チャンラーメンはとてもおいしくいただいた。今度は全チャンラーメンでもいいなぁ。「また来ますね。」、「待ってますよ。」と挨拶をし、店を後にした。振り返って見ると道路側から洋食屋、さぶちゃん、和食屋と並んでいる。この3つの店を一郎さん、二郎さん、三郎(さぶちゃん)さんの三兄弟で経営していることを前に何かの本で読んだ。さぶちゃんはラーメン雑誌に、洋食・和食の店も神保町を紹介している雑誌に出ていたのを読んだことがあった気がする。

とても珍しいケースだなと思う。
そう言えば、食べている最中にさぶちゃんが「あんちゃん、できたよぉ」と言ってラーメンを店の外に持っていったと思う。仲の良い兄弟だねぇ、羨ましいねぇ。
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成人式

2008-01-13 23:35:57 | Weblog
長男が成人式を迎える。
羽織袴の本人写真と家族写真は撮り終えた。
小学校の頃から見てくれている写真屋さんも喜んでくれている。

2516gで生まれたために、もう少しで箱入り息子になるところだった。
今では父親の私よりも大きく(182cm、85kg)なってしまった。

猫の赤ん坊のような産声は、いつしか太い力強い声に変わっていた。

その時その時は大変だった気がするが、今では良い思い出となっている。
この20年間はあっという間だったようにも思えるのだ。

明日は成人式、息子におめでとうを言いたい。
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立佞武多(たちねぷた)

2008-01-12 23:14:10 | Weblog
毎年夏になると、青森県五所川原市のJR五所川原駅の付近は歩道という歩道は人で埋まる。陸橋の脇の道も例外ではない。
青森県五所川原の郷土芸能である立佞武多である。

昨夏もゆきたんくは生まれて初めての青森県への旅行に出かけた。
きっかけは、女房ののりたんの友人が五所川原にいるので会いに行くことだった。
ゆきたんくにとっては、のりたんのかつての同僚で毎年林檎を送ってきてくれることと、一回ゆきたんく一家と新横浜のラーメン博物館に行ったことで記憶に残っている方であった。その友人の案内で五所川原市内でうまい寿司屋に行ったり、熱射病で体調を崩していたゆきたんくを薬局に連れていってくれたりしてくれたのである。
そして、十三湖畔にある旅館「岩亮」で休憩と食事をとったあと、五所川原駅近くで待ち合わせをし、立佞武多が良く見れる場所を教えてもらい、見る準備が整ったのだ。
初めて見る立佞武多は、なんと言ってもその張り子のスケールの大きさに驚いてしまった。高いものはビルの3階から4階の高さがあるのだ。そう、電信柱に張られている電線よりもはるかに高いのである。作るのも大変だし、それを使ってのパフォーマンスも大変である。中には小ぶりのかわいいものもあるが、一年の中で、町一番のイベントであること、老若男女入り混じって、町内会や学校、商店会の威信をかけての行事である。その迫力は大変なものだった。

様々な張り子があったが、童話、民話、アニメなどバラエティーに富んだものであった。
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写真ってスポーツ?

2008-01-11 23:24:49 | Weblog
いやいや、写真ってスポーツだと思う。
唐突ではあるが、このごろ撮りためた写真を見て最初の頃のとは構図が違っていることに気づいたのである。
ゆきたんくに写真を教えてくれた友人がいる。その友人も「上手になったよなぁ」と言ってくれる。
ゆきたんくが写真を撮るのを見ていると、依然あった迷いがなくなったというのだ。カメラを構えたと思ったらシャッターを押しているという。自分でも気づかなかったが、被写体を決めてから撮るまでの時間がずいぶんと短縮されたように思えた。そして被写体が真ん中にきていないこと。初心者はどうしても被写体を真ん中にしてしまうそうである。全体の構図を考えて上で被写体の位置を決めるのがベストだという。
そして友人がいうゆきたんくの最大の特徴は、動く被写体を追いながら、バックとのコーディネーションが決まった瞬間にシャッターを押すことができることだという。いわゆるスポーツカメラマンのスキルだという。

そんな中で良いといわれた写真がこれだ。
イギリスはオックスフォードのブロードストリートを自転車で走る抜ける構図である。建物との角度と空、そして自転車の真ん中の下部への配置、そして自転車の向かう方向を微妙に空けてあること(自転車の位置が写真中央から少し右側になり、自転車の向かう左斜め方向に少し間があること)、そして日陰部分の割合がバッチリだそうである。自分ではそんなに意識していなかったので、友達の写真の分析に驚いてしまった。ゆきたんくはこれからも何も考えずに、撮りたといと思ったものを撮りたいと思ったタイミングで撮ることと思う。実際にスポーツを楽しんである時に、いろいろと考えてやっている訳ではないものね。目で捕らえ、自分の思ったタイミングでシャッターを押すのはスポーツと変わりないよね。

と言いつつ、インドネシアの写真を友達の観点で見直している自分がいる。
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2008-01-10 23:07:16 | Weblog
子供の頃に、雲の中ってどうなっているのかとよく思っていた。
下から見るときれいな白い雲が、様々に形を変えて移動していくではないか。
もちろん雨雲もあるのだが、ゆきたんくは白い雲のほうが好きである。

そのあこがれの雲の中を経験できたのはつい最近のことである。
家族で東北旅行をした時のこと、青森は竜飛崎近くの高台にある鳥瞰台にいて、えらそうに周囲を見渡していた時のことである。雲が自分たちを飲み込むように迫ってきた。周囲はうっすらと見える程度の視界になった。数秒後には透き通った青い空の向こうに雲として流れていた。旅客機のパイロットはこれに近い体験を何度もしているのだろうが、窓越しである。子供の頃からあこがれていた雲の中を味わうには時間が短すぎた。

さて、タイトルは霧である。なんで雲を先に持ってきたかというと、竜飛崎近くで経験したことを平地で経験したからである。

場所はウェールズ(イギリス)のパンディーというところにあるB&Bパンディー・イン(ここに泊まった)の近く。朝得意の散歩に出かけていた時のことだ。サラサラサラーと音がしたと思ったら、写真にあるように、雲が右から左に流れていったのだ。パンディー・インを包み込むように…
あっという間だった。今にして思えば動画を撮っておけば良かったが、写真一枚を撮るのが精一杯の速さだった。ところで霧って走るよりも早く動くのかい。
霧は景色を遮るように、そこらへんに漂っているのではないのかい。

一体、あの動く霧は何だったのだろうか。
今思っても不思議な体験である。
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京都・伏見

2008-01-09 20:13:47 | Weblog
このところ、ずっとインドネシアねたなので日本に帰ろう。
ちょうど1年前の近畿旅行である。
前に奈良県の「頭塔(ずとう)」は年末に訪れたのであるが、ギリギリセーフで見れたことを書いたと思う。なんせ一般人の表具屋さんが管理しているのだから正月休みでもおかしくはないのである。それを言っている自分は休みで旅行しているのだから…。
さて旅行最終日の1月1日によったのが「寺田屋」である。
「維新は寺田屋の一室から生まれたり」
という言葉がある。寺田屋は明治維新のメインステージとなったところなのだ。文久2年(1862)討幕急進派が寺田屋に集まって、決起を企てた「寺田屋騒動」は有名だ。ここは坂本龍馬の定宿でもあり、おりょうさんとの恋の宿であった。12年前に訪れた時に見た、柱の刀傷を見たいと思ったが、1月1日はさずがに休みであった。
最寄り駅は「中書島(ちゅうしょじま)」、また訪れようと思っている。
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仮想バリ

2008-01-08 21:29:47 | Weblog
今回のインドネシア旅行では、日程やホテルの関係でバリ島は見送ることになった。とはいえ、ホテルの予約や車の手配などはすべて義兄夫婦がやってくれたので贅沢を言っている場合ではない。まして今回は義兄の粋な計らいで「地球の歩き方」に載っていないところを回れことに大変感謝している。自分で言葉ができない者に今回のような旅行は絶対に無理である。
 帰国前日の昼、ジャカルタ北部を案内してくれるというのでありがたくお世話になった。運転手付の車で博物館を3つ、有名レストラン「カフェバタビア」でとった。その後、義兄もまだ行ったことのない海洋博物館に行くことにした。市場の細い道を車で通り、博物館沿いにつける。中はガラガラだったが、英語が堪能な現地ガイドと我らが頼もしい義兄という通訳がいたので大変楽しむことができた。

そして帰りの車の窓から、見えたトラックのハッチバックで目が覚めたのである。
描かれた絵はバリの伝統芸能が披露される時の化粧が施された顔である。

この顔の人たちがどう舞い踊るのかをいつの日か見たい。
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ジャラン・スラバヤ

2008-01-07 23:36:53 | Weblog
「ジャラン・スラバヤ(スラバヤ通りだよ)」
 義兄の会社の運転手が突然そう言った。
実際には突然ではなく、「スラバヤ通りに行きたい」旨を前もって告げておいたのだ。運転手つきのドライブという贅沢に慣れていないゆきたんくは途中でまどろんでいたのである。

モナス(独立記念塔)の周囲を歩き、モスク(イスラム教信者の礼拝堂)やカテドラル(キリスト教信者の大聖堂)を見て感動してたばかりなのに、まどろむとは歳かなぁ。

とにかく今から20年以上前に松任谷由美の「スラバヤ通りの妹に」がとてもかわいい歌で、スラバヤ通りなんてぇのは架空の通り道だと勝手に思っていたゆきたんくである。今回のインドネシア旅行の予習でスラバヤという地名があるのに気づいた。目的地のジャカルタからずいぶんと離れている。スケジュール的には無理だと思い、地図上でジャカルタ市内の物色をしていた。そうしたらJl Surabayaに目が止まったのである。モナスからも近いこの通りを歩いてみたいと思った。

運転手さんの声で目が覚めたゆきたんくは通りの様子を見て困った。
店の入り口におじさんたちが集まり、こちらを見ている。
行った先々で、物売りに会い閉口するところもあったのだ。
ここでもきっと似たような目に遭うに違いない。

せっかくきたので歩くことにした。
おじさんたち(ゆきたんくもおじさんだが)の目が集まる。
すぐに日本人だと分かるのだろう。
「安いよ」、「いいものあるよ」、「ちょっと、のぞいてって」、「のぞくだけでいいから」と全部日本語である。しかし「のぞくだけでいいから」と言った舌の根の乾かぬうちに「これ安いよ」である。深く考えて日本語を使っている訳ではないだろう。コミュニケーションなのだ。実際にゆきたんくは店先で足を止めている。せっかくだから買わないまでも、見ることにした。料理好きのゆきたんくの目に留まったのは北京鍋である。あの中華料理屋さんで、チャーハンを空に舞い上げる底の丸いフライパンと言えば分かるだろうか。本当に買いたかったし、持って帰りたかった。鉄製の良い品物であった。結果的に冷やかしになってしまったが、別れ際には笑顔で「さよなら」と言ってくれた。たの地域に比べてやさしい人たちが集まっているように思えた。このスラバヤ通りには小さな女の子がいても、ここの住民たちはとてもかわいがるように思えた。

写真はジャラン・スラバヤ(スラバヤ通り)
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ナシ・グドゥッ

2008-01-06 23:58:55 | Weblog
インドネシアの2日目は、ジョグジャカルタであった。
ジャカルタからジョグジャカルタまでの430㎞をガルーダ・インドネシアの小型機で移動する。もちろんその日は泊りである。
ジョグジャカルタは義姉の実家のあるところだ。
夕食はジョクジャの定番料理、「ナシ・グドゥッ」の屋台に行くことになった。

「ナシ・グドゥッ」のナシとはご飯のことである。グドゥッは鶏肉や豆腐、ジャックフルーツの実を砂糖と香辛料で煮込んだものである。

まずはココナッツジュースを飲んだ。甘いものはゆきたんくは得意である。舌が気持ちいい。
ゆきたんくは、屋台「グドゥッ・サガン」お奨めの「グドゥッ・コンプリート」をいただくことにした。コンプリートとは全て揃っていることだ。
鶏肉はいろいろなところ、ゆで卵を煮込んだもの、豆腐、たくさんのジャックフルーツ、そして辛味を増すためにサンバルをつけてもらった。

甘味が強いが、ココナッツミルクがベースのスープで煮込んだ味はゆきたんくには合う。昨日は義姉とメイドさんの作ってくれた「ミー・ゴレン(やきそば)」、「アヤン・ゴレン(鶏肉の素揚げ)」と「ナシ」をいただいた。今朝は早かったので簡単にパンで済ましたが、昼はボロブドゥール寺院の境内にある食堂で塩ラーメンにサンバルを入れて食べた。
 インドネシア料理はゆきたんくの口にはとても合う。食べ物が合うことはとても幸せなことである。仕事をするのには言葉などができないと厳しいが、住むのにはとてもいい国であると思った。
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ベチャ①

2008-01-05 23:12:14 | Weblog
ベチャに乗った。
インドネシア旅行の2日目。

義兄の会社のドライバーの運転でジャラン・マリオボロに着く。
ジャランというのは日本の旅行雑誌にも使われている名称である。インドネシアでは○○通りの通りのことだ。「ジャラン、ジャラン」というと散歩に出かけると言う意味になるそうだ。
その通りはジャワ島中部のジョグジャカルタのメインストリートである。「ベチャに乗ろうよ」と勧められる。

3台に分かれて乗った。先頭は義姉と義母、真ん中に私と義父、最後尾は義兄と長男である。2台目、3台目は体重の合計が150kg近くある。
インドネシアは赤道直下にある島国だから夜も暑い。冷房の効いた車から降りると汗が出てくる。ベチャは人2人分の座席が自転車のハンドル部分にある乗り物だ。それを自転車をこぐ要領で運転するのだ。いわゆるオープンカーであるから風が気持ちいい。周りに車が走っていようと、オートバイが走っていようとベチャの運転手は巧みに車体を操りやり過ごす。

ゆきたんくはここぞとばかり写真を撮りまくる。ここにある写真もベチャの座席から撮ったものである。カメラを逆に持ち、手を伸ばして自分と義父と運転手を撮った。いい顔をしている。楽しいのだ。

少しして気づいたが、いつの間にか自分達のベチャが一緒にいた2台やそれ以外のベチャよりも遅くなっている。道路は緩やかな上り坂である。よく見ると運転手はベチャを降りて押しているのだ。ゆきたんくがあまりに重かったのだろう。息を切らし、脚が震えているのが分かる。平らな道に出ると再びスピードが上がった。
途中でジョクジャの名物菓子を買い、ジャラン・マリオボロで運転手達と別れた。
「トゥリマカシ(ありがとう)」、「サマサマ(どういたしまして)」と挨拶し分かれた。
あの運転手はきっと明日は筋肉痛だろうと思いながらも、素晴らしい笑顔で接してくれたことは、インドネシアの何よりの土産であった。
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帰国しました。

2008-01-04 17:01:21 | Weblog
 昨日インドネシア時刻10時20分のJALで今朝7時20分に無事成田に着きました。ゆきたんくが日本にいない間も、たくさんの方に見ていただくことができて幸せです。
 インドネシアでは最終日に義姉のパソコンを借りて、多少修正はしましたが、見苦しい点があったことをお詫びいたします。

 くわえて、義兄・義姉のおかげで、旅の本にかいてないようなところにも行く事ができました。「幸たんく」の「旅たんく」で紹介するにはまだまだ時間がかかるようなので、ここ「伝えたんく」でも小出しにしようと思います。
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1月3日

2008-01-03 16:44:20 | Weblog
さて、インドネシア最後の日を迎えました。
この日はお土産を買う予定の日。
本では物騒なところもあると書かれている「ブロックM」へ行きました。
義兄のマンションがあるパクブウノというところのすぐ隣でした。
写真はインドネシアの伝統芸術「バチック」の布で作られたシャツの売り場です。
義父のお気に入りなのです。
ゆきたんくはワヤン(影人形劇の人形)を買いました。
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新年2日目

2008-01-02 17:57:43 | Weblog
今日はジャカルタ北部の観光でした。
博物館をはしごしたり、ドライブを楽しんだりしました。
ランチを有名な「カフェ・バタビア」でとりました。
ゆきたんくは相変わらずコーラでした。

この投稿は2008年1月2日17時57分のものです。
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