2月22日は「竹島の日」です。
竹島は、古来日本の領土ですが、太平洋戦争の終了時にも、サンフランシスコ平和条約によって日本の領土とされたのですが、ドサクサに乗じて、1952年に李承晩大統領が韓国領とする「李承晩ライン」を設定し、以後不法占領しているのですね。2月22日は「竹島の日」です。
竹島は、古来日本の領土ですが、太平洋戦争の終了時にも、サンフランシスコ平和条約によって日本の領土とされたのですが、ドサクサに乗じて、1952年に李承晩大統領が韓国領とする「李承晩ライン」を設定し、以後不法占領しているのですね。来年で70年が経過することになります。 . . . 本文を読む
韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)について、日本領と明示した19世紀の英国製の地図が現存することが島根大の舩杉力修(ふなすぎ・りきのぶ)准教授(歴史地理学)の調査で分かったのだそうです。
英国のビクトリア女王に献上する旨が記載された、権威ある世界地図帳に収められた1枚だと。
更に、尖閣諸島(沖縄県石垣市)についても、沖縄県と同じ黄色に配色し、日本領としていると。 . . . 本文を読む
島根県の竹島で行われていたアシカ猟の様子を描いた絵本「メチのいた島」の英語版を出版する動きが進んでいるのだそうです。
当ブログでは毎年、「竹島の日」が近ずくと、YouTube 「杉原由美子氏による絵本「メチのいた島」読み聞かせ」のリンクを貼って紹介させていただいていました。
英語版は、一般販売はせず、各国の大使館やインターナショナルスクールなどに配布されるのだそうです。
産経新聞で報道されていて知り、早速寄付させていただきました。
今月末が締め切りとのこと。よろしかったら、ご参加ください。 . . . 本文を読む
今年1月21日、「領土・主権展示館」が東京・虎ノ門にリニューアルオープンしたのだそうですね。
前日の開館式では、衛藤晟一(せいいち)・沖縄北方担当相が、「ぜひ、ご不満のある国は、お越しいただき十分みていただきたい」と発言し、中韓露を挑発したのだそうです。
しかし、衛藤氏が思うほど「領土・主権展示館」は完璧ではないと指摘されているのは、「竹島問題研究会」座長の下條正男拓殖大学教授。 . . . 本文を読む
2月22日は「竹島の日」です。
戦後の混乱期、韓国が勝手に設定した「李承晩ライン」に基づき不法占拠を続けていて、日本は平和的手段での返還を国際司法裁判所に提訴していますが、「選択条項受諾宣言」をしていない韓国は裁判から逃げ続けて、実効支配の強化を進めていることは諸兄がご承知の通りです。 . . . 本文を読む
日韓関係の悪化が止まりませんね。
GSOMIAの破棄を文在寅政権が表明し、期限切れが迫る中、米国が延期の取り消しを迫っていますが、文政権は、日本のホワイト国指定取り消しの撤回を求めて譲らず、このままでは期限切れに突入する情勢です。
GSOMIA破棄による被害は韓国が最も受けるとされ、米国が強く破棄の撤回を求めているのは、日米韓の連携の象徴がなくなることで、中国や北朝鮮への抑止力が軽減して見えるからです。
文氏は何を勘違いしているのか、上から目線で破棄撤回に対し、米国にも日本に対しても強気の姿勢を貫いています。
チョ国氏辞任で大きく揺らいでいる政権基盤。自らが仕掛けたGSOMIA撤回への国民の支持の自縛で、姿勢変更が命取りの状況を生み出してしまったのですね。
日韓関係では、このGSOMIA関連、ホワイト国指定解除、徴用工訴訟、せいぜいさかのぼっても海自機へのロックオン事件ですが、竹島の不法占拠という問題について触れられることはほとんどないのが現状でした。
ところが、10月11日、韓国の国策研究機関「東北アジア歴史財団」は、『日本の偽りの主張 独島の真実』を刊行し、財団のホームページに公開していたのだそうですね。火に油を注ぐ行為。
遊爺とすれば、この際竹島問題も遡上に上げ議論されることは、大歓迎です。 . . . 本文を読む
今の韓国が独立国となったのは、日本の敗戦に伴うたなぼたによるものであることは衆知の事です。
そして、竹島について韓国は戦後に享受する利益に関する要望書を米国に提出した中で自国の領土への編入を要望したのですが、回答の「ラスク書簡」で竹島に対する韓国政府の要望を明確に退けられているのでした。
しかし、これを無視して、サンフランシスコ平和条約発効直前に李承晩大統領が宣言した李承晩ラインにより韓国側に位置された不法占拠であるとは、諸兄がご承知の通りです。 . . . 本文を読む
文在寅大統領が、韓国が不法占拠している竹島について、「日本の帝国主義による侵略によって最初に犠牲になった」と述べ、日本が「自身の領土だと根拠のない主張」をしていると批判したのだそうです。
竹島の領有権の歴史は江戸時代に遡ります。しかも竹島の呼称が鬱陵島と混同していてよけいに解り辛くなっています。
文在寅大統領の「日本の帝国主義による侵略」との発言は、江戸時代の頃の歴史認識まで踏まえている様には見えず、ラスク書簡、サンフランシスコ条約の理解(韓国はマッカーサーラインを主張も拒否)も、どれ程なされているのか疑わしく無知と思われてもいたしかたない発言です。
講義をするなら、サンフランシスコ条約の制定団にするべきで、日本の帝国主義が対象でないことは明らかです。
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韓国が、不法占拠している島根県の竹島とその周辺で、昨年のおよそ倍の規模となる軍事演習を行いました。
毎年2回実施されているのですが、規模が例年の 2倍程度に拡大された上、名称も「独島(トクト=竹島の韓国名)防衛訓練」から日本海の韓国側呼称を冠した「東海(トンヘ)領土守護訓練」に変更し実施。
日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定したのに続き、日本政府の輸出管理厳格化に対抗して強硬姿勢を示した形で、事実上の報復の一環とみられているのだそうです。 . . . 本文を読む
7月23日、東シナ海と日本海で行われた中露合同軍事訓練に、ロシア空軍の「A-50」メインステイ早期警戒管制機も参加。
中国軍H-6爆撃機2機が東シナ海から対馬を通峡し、日本海へ飛行。航空自衛隊は、中国爆撃機が我が国の防空識別圏に侵入したとして戦闘機を緊急発進。その後、ロシア爆撃機2機と中国軍爆撃機2機が空中集合。
韓国合同参謀本部は、ロシアの軍用機が韓国の防空識別圏に侵入したため、韓国軍戦闘機を緊急発進。同時期に、ロシア空軍A-50機が、島根県竹島付近の領空を2回にわたり侵犯。韓国空軍戦闘機は、合計360発の機銃による警告射撃を実施しました。
この中露合同訓練およびロシアA-50による竹島領空侵犯の狙い、中国軍事力の誇示と米軍への牽制、竹島領空侵犯と日韓関係について、分析し解説した記事がありました。
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韓国が不法占拠する島根県・竹島周辺に、ロシア、中国、韓国、日本の軍用機が乱舞し、その中でロシアのA50空中警戒管制機に対し、韓国の戦闘機F16が、計約360発の警告射撃をする事態が発生しました。
ロシア側の発表や韓国の情報では、露中の合同訓練中に、A50空中警戒管制機は「意図したものではない」「機器の誤作動で計画外の地域に侵入した」ものだったのだとか、そうではないのだとか。
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サンフランシスコ平和条約が成立するまでには、米英など連合国が草案を作成し、最終的に米英2国間の協議で決定されたのだそうです。
英国内に残る当時の資料を島根県竹島問題研究会の藤井賢二委員が調査・分析し、その経緯を論文にまとめて発表されたのだそうですが、草案作成をめぐり、竹島を日本領とする上で英国が重要な役割を果たしたのだそうです。 . . . 本文を読む
2月22日は、「竹島の日」でした。
サンフランシスコ平和条約の発効3ヶ月前、日本の主権は回復しておらず、また日本の海上自衛隊や、その前身である海上警備隊・警備隊も存在していなかった時、米国が認めることができないと通告するのを無視して、韓国初代大統領・李承晩が大統領令で、1952年 1月に設定した「李承晩ライン」で、韓国が不法占拠を始めた竹島。
1905年に竹島を島根県に正式編入した日を、島根県が「竹島の日」と定めて、メモリアルデイとし、領土の復活を目指している日であることは、諸兄がご承知の通りです。
しかし、主要 5紙で、22日または23日に、社説で取り上げたのは、読売新聞と産経新聞の 2紙だけでした。
両紙とも、不法占拠の既成事実化、実効支配実績の強化が進められている現状を憂い、文在寅政権によってエスカレートする反日言動に惑わされない日本の対処を求めています。
読売は、小中高校の学習指導要領改定による教育や、「領土・主権展示館」の充実を評価し、日本の立場を積極的に発信していくことを訴え、産経は、領土は国家主権にかかわる問題だと、「竹島の日」を「北方領土の日」と同様に、政府主催の式典に格上げし、真剣に韓国との交渉に取り組むべき時にきていると主張しています。
読売、産経以外の 3紙は、国家の主権が犯され、不法占拠が続き、さらに最近実効支配のエスカレートが進むことへの関心が薄いのは何故なのでしょう。
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2月22日は、「竹島の日」でした。
日本は、江戸時代から漁業を通じて竹島の領有権を確立し、1905年の閣議決定で正式に島根県に編入しました。また、太平洋戦争終了後、1951年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約でも、日本に「済州島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮」を放棄することが規定されました。韓国は放棄地に竹島も含むよう米国に求めましたが、「竹島は1905年ごろから島根県の管轄下にあり、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」と一蹴され、韓国への帰属が明確に否定されました。
しかし、1952(昭和27)年以降、韓国は、いわゆる「李承晩(りしょうばん(イスンマン))ライン」を国際法に反して一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込みました。
その後、ライン内に出漁した日本漁船が韓国側に拿捕される事件が相次ぎ、日本側には死傷者も出ました。1953(昭和28)年7月には、竹島周辺で海上保安庁の巡視船が韓国官憲によって銃撃されました。
韓国は現在に至るまで、竹島に警備隊員などを常駐させ、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を設置するなど、不法占拠を続けています。 . . . 本文を読む