安倍元首相の国葬儀で、菅前首相が披露した友人代表としての弔辞が喝采を浴びていると、政治評論家の紀尾井氏。
遊爺も中継を観ていて、菅さんの新たな一面を発見し、感動しながら拝聴しました。昭恵夫人の涙ぐむ姿が中継でアップされ、もらい泣きしそうになりました。
菅さんの新たな一面を発見したのは、遊爺だけではない様で、日に日に見直し高評価の記事に接する機会が増えてきていますね。
棒読み調で官僚答弁的な岸田文雄首相とは極めて対照的に、菅氏はストレートな気持ち、思いをありのままに表現したと紀尾井氏。
菅さんも棒読みと酷評されていましたが、変な癖のある区切りの間と、声の調子では岸田氏もまけていないと思いますが。。
菅氏は街頭演説やあいさつで、古典や格言を好んで引用しない。その菅氏がおそらく、初めて公の場で歌を読み上げた。
「かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
寂しさと悲しみが頂点に達した状態で弔辞を結び、会場から拍手が沸き起こった。
TVの中継では、拍手はよく聞こえませんでしたが、合間 々 に映される昭恵夫人の涙は止まることが無かった様な。
岸田政権が低空飛行を続けている。高い支持率だけが取り柄の無策の岸田政権は、ゆっくりと沈んでいる。世論は「聞く力」に愛想をつかしており、世論調査の支持率は低いところで20%台後半というありさまだ。来年の統一地方選が終わる前に「岸田おろし」に突入する可能性もささやかれると、紀尾井氏。
清和会(≒安倍派)は、統一教会と国会議員や地方議会議員との繋がりが濃く、追及されていますが、戦後の米ソの対立の根っこの、自由主義と共産党勢力の対立で、南下するソ連の共産主義が日本にも到来し、「安保反対」のデモが激しく盛り上がった時の首相が岸氏。
安倍総理の叔父であり、弟さんが養子に入った岸氏は、米国他の自由主義国が侵攻して来るソ連と闘っていた時代。反共を掲げる統一教会に付け入られることとなったのでした。
岸前防衛大臣は、その地盤を受け継いでいるので、統一教会と選挙支持母体は関係があって当然。
岸氏は早々に関係かあることを表明。今後は関係を断ち切るとも、併せて公表。岸氏は長年の腐れ縁が断ち切れると、清々しい表情に見えました。
政局は常に動く。
今秋の臨時国会では、引き続き旧統一教会問題で自民党は防戦に回るのは確実だ。来年4月の統一地方選で自民党の退潮が目立てば、来年5月の広島サミットでの岸田花道論も出てくる。岸田首相の自民党総裁任期は2024年9月である。あと2年ももつのかと紀尾井氏。
内閣の支持率がおち込んでいるほどには、党の支持率はまだ落ちてはいませんが、来年 4月の統一地方選に臨む地方の首長や議員さん。3年先まで待ってはいられないはず。
地方選で、逆風の中を闘うためには、どのような戦術を練っておられるのでしょう。
# 冒頭の画像は、昭恵夫人
(3026) 菅前総理が追悼の辞 安倍元総理の国葬(2022年9月27日) - YouTube
この花の名前は、ミカエリソウ
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遊爺さんの写真素材 - PIXTA
遊爺も中継を観ていて、菅さんの新たな一面を発見し、感動しながら拝聴しました。昭恵夫人の涙ぐむ姿が中継でアップされ、もらい泣きしそうになりました。
菅さんの新たな一面を発見したのは、遊爺だけではない様で、日に日に見直し高評価の記事に接する機会が増えてきていますね。
「弔辞」が絶賛された菅前首相、改めてその経験・見識・手腕を再評価する動き 岸田首相は「棒読み」弔辞で評価ダダ下がり、菅前首相の復権はあるのか | JBpress (ジェイビープレス) 2022.9.28(水) 紀尾井 啓孟
菅義偉前首相が喝采を浴びている。安倍晋三元首相の国葬で披露した友人代表としての弔辞が感動的だったからだ。これほど泣かせるスピーチができる人だったのか、と誰もが思ったはずである。棒読み調で官僚答弁的な岸田文雄首相とは極めて対照的に、菅氏はストレートな気持ち、思いをありのままに表現した。
国葬の主役が安倍元首相であることはいうまでもないが、スピーチの主役は間違いなく菅氏だった。歴史に残る圧巻の弔辞はかなり早い段階で書き上げられており、復権の兆しを感じさせた。
10日以上も前に書き上げられた「ありのまま」の気持ち
「(スピーチライター等の)特訓を受けたわけでもない。ありのままです」
菅氏に近い永田町関係者は国葬当日の9月27日夜、はっきりこう語った。「ゴーストライターがいるのではないか」「スピーチの練習をしたのではないか」との指摘は誤りである。
弔辞の本文自体も、菅氏自身の言葉で書き上げられたことに疑いはない。「7月の、8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気をともにしたい」。「の」などの助詞で、思いつくままに言葉をつなぐ自然体のスタイル。「信じられない」「とにかく」「お目にかかりたい」。いずれも菅氏が日常的に使っている癖のような言葉だ。番記者との懇談で時折みせる、リラックスしたときの雰囲気に近い。
特筆すべきは、相当早い段階で弔辞の原案が固まっていた点にある。筆者が把握している限り、国葬から10日以上前の9月16日時点で、すでに原稿は完成していた。故人を追悼する思いがあふれ、一気に筆が進んだことは容易に想像できる。
時間的余裕はあった。国葬で菅氏が弔辞を述べるであろうことは、もともと想定されていた。表向きには9月5日、岸田首相が菅氏の議員会館の事務所を訪れた際に正式に依頼したといわれているが、菅氏はそれ以前から心の準備をしていたとみられる。
振り返ると、菅氏の動きは大舞台の弔辞に向けてのものだった。岸田首相との面会から2日後の9月7日、安倍元首相の銃撃現場となった奈良市の近鉄大和西大寺駅前を訪れている。手を合わせ、目をつむり、立ちつくした。スピーチの材料になったはずである。「現場に行くと胸中さし迫るものがありました。本当に無念で残念で悲しい気持ちでいっぱいです……」。この時も、自らの気持ちをストレートに自然体で語っている。
首相在任中、自ら発する言葉に対し痛烈な批判を浴びた。「国民とコミュニケーションが取れない」「演説が原稿棒読み」。世論やメディアは、この日の弔辞を聞いて従来の口下手な印象を一変させただろう。いや、口下手であることに変わりはない。スピーチ力が急に増したわけでもない。総理大臣の任という重責が当時、自然体の菅氏の良さを奪っていたのか、と思わざるを得ない。
まるで恋文、2人の世界
「あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます」
字面だけみると、まさに恋文に近い。
あなた。
菅氏は弔辞で安倍元首相のことを何度も親しみを込めて「あなた」と繰り返す。官房長官は女房役といわれるが、妻が最愛の夫を「あなた」と呼ぶ世界と近い。菅氏に近い三原じゅん子参院議員は「まるで恋文」とツイッターに書き込んだ。
弔辞の途中から、菅氏は安倍元首相のことを「総理」と表現し始める。菅氏は、官房長官時代、安倍元首相の前では必ず「総理」と呼んだ。いや、本人のいない場所でも「総理」と呼び続けた。自分が首相になってからもなお、菅氏にとっての「総理」といえば安倍元首相のことであり、自分が周囲から「総理」と呼ばれることに馴染めなかった。
聞く者の心震わせた「菅義偉 生涯最大の達成」の言葉
弔辞は、朴訥な人柄がにじみ出ながら展開していく。アドリブが得意とはいえない菅氏が、当日の会場の様子にまで踏み込んでいく。
「武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ち会おうと、たくさん人が集まってくれています。二十代、三十代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています」
あなた。ここでもあなた、が多用される。
恋文は2人だけの世界に入っていく。しかも政策にまつわる思い出話が多い。一般的に知られない事実も盛り込まれていた。
まずは2人の出会いのきっかけとなった拉致問題。そして、弔辞のハイライトとなる名言がまもなく飛び出す。「菅義偉 生涯最大の達成」。2012年夏、菅氏が銀座の焼鳥屋で3時間にわたって安倍元首相を口説き、総裁選出馬を決断させた有名なエピソードだ。すでに流布されているエピソードだが、それを「生涯最大の達成」と表現したのは初めてである。世論もメディアも、このキラーワードに震撼した。
伊藤と山県、安倍元首相と菅前首相
畳みかけるようにTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、特定秘密保護法、安保法制、改正組織犯罪処罰法に触れる。「難しかった法案を、すべて成立させることができました」と総括する。党内や世論が二分した“案件”を次々に挙げた。安倍元首相と菅氏だけがみていた景色なのだろう。
すでに多くのメディアが取り上げているが、圧巻だったのは岡義武著『山県有朋』のくだりである。
「衆院第1議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました」
菅氏だけが知っている事実だった。新たな事実は、人の興味をひく。定型的な表現に終始した岸田首相のオーソドックスな弔辞には、このようなオリジナル要素は入っていなかった。
菅氏は、山県が伊藤博文を偲んで詠んだ歌を読み上げた。山県も伊藤も、ともに幕末の動乱をくぐり抜け、明治維新の立役者となった指導者である。この2人の関係が、安倍元首相と菅氏との関係にも当てはまるところがあった。年下ながら先に首相になり、先に亡くなったのが伊藤だからだ。しかも、伊藤もハルビンで凶弾に倒れている。安倍氏は伊藤、菅氏は山県に重なる。
菅氏は街頭演説やあいさつで、古典や格言を好んで引用しない。その菅氏がおそらく、初めて公の場で歌を読み上げた。
「かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
寂しさと悲しみが頂点に達した状態で弔辞を結び、会場から拍手が沸き起こった。
復権はあるのか
岸田政権が低空飛行を続けている。高い支持率だけが取り柄の無策の岸田政権は、ゆっくりと沈んでいる。世論は「聞く力」に愛想をつかしており、世論調査の支持率は低いところで20%台後半というありさまだ。来年の統一地方選が終わる前に「岸田おろし」に突入する可能性もささやかれる。
菅氏はどう動くのか。いまのところ、勉強会を開くつもりもないし、「反岸田」を鮮明にするわけでもない。党内で、一議員として、「カーボンニュートラル」など思い入れのある政策実現にまい進するというのが建前だ。いや、偽らざる本音だろう。
政局は常に動く。今秋の臨時国会では、引き続き旧統一教会問題で自民党は防戦に回るのは確実だ。来年4月の統一地方選で自民党の退潮が目立てば、来年5月の広島サミットでの岸田花道論も出てくる。岸田首相の自民党総裁任期は2024年9月である。あと2年ももつのか――。永田町の関心事である。
菅氏は渾身の弔辞で負のイメージを刷新することに成功した。今後、政局の中心に座るケースが増えるだろう。再登板はなくても、誰かを担ぐ側に回るだけで政局の号砲が鳴る。完全に終わったと思われていた政治家の復権を感じさせる弔辞だった。
菅義偉前首相が喝采を浴びている。安倍晋三元首相の国葬で披露した友人代表としての弔辞が感動的だったからだ。これほど泣かせるスピーチができる人だったのか、と誰もが思ったはずである。棒読み調で官僚答弁的な岸田文雄首相とは極めて対照的に、菅氏はストレートな気持ち、思いをありのままに表現した。
国葬の主役が安倍元首相であることはいうまでもないが、スピーチの主役は間違いなく菅氏だった。歴史に残る圧巻の弔辞はかなり早い段階で書き上げられており、復権の兆しを感じさせた。
10日以上も前に書き上げられた「ありのまま」の気持ち
「(スピーチライター等の)特訓を受けたわけでもない。ありのままです」
菅氏に近い永田町関係者は国葬当日の9月27日夜、はっきりこう語った。「ゴーストライターがいるのではないか」「スピーチの練習をしたのではないか」との指摘は誤りである。
弔辞の本文自体も、菅氏自身の言葉で書き上げられたことに疑いはない。「7月の、8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気をともにしたい」。「の」などの助詞で、思いつくままに言葉をつなぐ自然体のスタイル。「信じられない」「とにかく」「お目にかかりたい」。いずれも菅氏が日常的に使っている癖のような言葉だ。番記者との懇談で時折みせる、リラックスしたときの雰囲気に近い。
特筆すべきは、相当早い段階で弔辞の原案が固まっていた点にある。筆者が把握している限り、国葬から10日以上前の9月16日時点で、すでに原稿は完成していた。故人を追悼する思いがあふれ、一気に筆が進んだことは容易に想像できる。
時間的余裕はあった。国葬で菅氏が弔辞を述べるであろうことは、もともと想定されていた。表向きには9月5日、岸田首相が菅氏の議員会館の事務所を訪れた際に正式に依頼したといわれているが、菅氏はそれ以前から心の準備をしていたとみられる。
振り返ると、菅氏の動きは大舞台の弔辞に向けてのものだった。岸田首相との面会から2日後の9月7日、安倍元首相の銃撃現場となった奈良市の近鉄大和西大寺駅前を訪れている。手を合わせ、目をつむり、立ちつくした。スピーチの材料になったはずである。「現場に行くと胸中さし迫るものがありました。本当に無念で残念で悲しい気持ちでいっぱいです……」。この時も、自らの気持ちをストレートに自然体で語っている。
首相在任中、自ら発する言葉に対し痛烈な批判を浴びた。「国民とコミュニケーションが取れない」「演説が原稿棒読み」。世論やメディアは、この日の弔辞を聞いて従来の口下手な印象を一変させただろう。いや、口下手であることに変わりはない。スピーチ力が急に増したわけでもない。総理大臣の任という重責が当時、自然体の菅氏の良さを奪っていたのか、と思わざるを得ない。
まるで恋文、2人の世界
「あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます」
字面だけみると、まさに恋文に近い。
あなた。
菅氏は弔辞で安倍元首相のことを何度も親しみを込めて「あなた」と繰り返す。官房長官は女房役といわれるが、妻が最愛の夫を「あなた」と呼ぶ世界と近い。菅氏に近い三原じゅん子参院議員は「まるで恋文」とツイッターに書き込んだ。
弔辞の途中から、菅氏は安倍元首相のことを「総理」と表現し始める。菅氏は、官房長官時代、安倍元首相の前では必ず「総理」と呼んだ。いや、本人のいない場所でも「総理」と呼び続けた。自分が首相になってからもなお、菅氏にとっての「総理」といえば安倍元首相のことであり、自分が周囲から「総理」と呼ばれることに馴染めなかった。
聞く者の心震わせた「菅義偉 生涯最大の達成」の言葉
弔辞は、朴訥な人柄がにじみ出ながら展開していく。アドリブが得意とはいえない菅氏が、当日の会場の様子にまで踏み込んでいく。
「武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ち会おうと、たくさん人が集まってくれています。二十代、三十代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています」
あなた。ここでもあなた、が多用される。
恋文は2人だけの世界に入っていく。しかも政策にまつわる思い出話が多い。一般的に知られない事実も盛り込まれていた。
まずは2人の出会いのきっかけとなった拉致問題。そして、弔辞のハイライトとなる名言がまもなく飛び出す。「菅義偉 生涯最大の達成」。2012年夏、菅氏が銀座の焼鳥屋で3時間にわたって安倍元首相を口説き、総裁選出馬を決断させた有名なエピソードだ。すでに流布されているエピソードだが、それを「生涯最大の達成」と表現したのは初めてである。世論もメディアも、このキラーワードに震撼した。
伊藤と山県、安倍元首相と菅前首相
畳みかけるようにTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、特定秘密保護法、安保法制、改正組織犯罪処罰法に触れる。「難しかった法案を、すべて成立させることができました」と総括する。党内や世論が二分した“案件”を次々に挙げた。安倍元首相と菅氏だけがみていた景色なのだろう。
すでに多くのメディアが取り上げているが、圧巻だったのは岡義武著『山県有朋』のくだりである。
「衆院第1議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました」
菅氏だけが知っている事実だった。新たな事実は、人の興味をひく。定型的な表現に終始した岸田首相のオーソドックスな弔辞には、このようなオリジナル要素は入っていなかった。
菅氏は、山県が伊藤博文を偲んで詠んだ歌を読み上げた。山県も伊藤も、ともに幕末の動乱をくぐり抜け、明治維新の立役者となった指導者である。この2人の関係が、安倍元首相と菅氏との関係にも当てはまるところがあった。年下ながら先に首相になり、先に亡くなったのが伊藤だからだ。しかも、伊藤もハルビンで凶弾に倒れている。安倍氏は伊藤、菅氏は山県に重なる。
菅氏は街頭演説やあいさつで、古典や格言を好んで引用しない。その菅氏がおそらく、初めて公の場で歌を読み上げた。
「かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
寂しさと悲しみが頂点に達した状態で弔辞を結び、会場から拍手が沸き起こった。
復権はあるのか
岸田政権が低空飛行を続けている。高い支持率だけが取り柄の無策の岸田政権は、ゆっくりと沈んでいる。世論は「聞く力」に愛想をつかしており、世論調査の支持率は低いところで20%台後半というありさまだ。来年の統一地方選が終わる前に「岸田おろし」に突入する可能性もささやかれる。
菅氏はどう動くのか。いまのところ、勉強会を開くつもりもないし、「反岸田」を鮮明にするわけでもない。党内で、一議員として、「カーボンニュートラル」など思い入れのある政策実現にまい進するというのが建前だ。いや、偽らざる本音だろう。
政局は常に動く。今秋の臨時国会では、引き続き旧統一教会問題で自民党は防戦に回るのは確実だ。来年4月の統一地方選で自民党の退潮が目立てば、来年5月の広島サミットでの岸田花道論も出てくる。岸田首相の自民党総裁任期は2024年9月である。あと2年ももつのか――。永田町の関心事である。
菅氏は渾身の弔辞で負のイメージを刷新することに成功した。今後、政局の中心に座るケースが増えるだろう。再登板はなくても、誰かを担ぐ側に回るだけで政局の号砲が鳴る。完全に終わったと思われていた政治家の復権を感じさせる弔辞だった。
棒読み調で官僚答弁的な岸田文雄首相とは極めて対照的に、菅氏はストレートな気持ち、思いをありのままに表現したと紀尾井氏。
菅さんも棒読みと酷評されていましたが、変な癖のある区切りの間と、声の調子では岸田氏もまけていないと思いますが。。
菅氏は街頭演説やあいさつで、古典や格言を好んで引用しない。その菅氏がおそらく、初めて公の場で歌を読み上げた。
「かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
寂しさと悲しみが頂点に達した状態で弔辞を結び、会場から拍手が沸き起こった。
TVの中継では、拍手はよく聞こえませんでしたが、合間 々 に映される昭恵夫人の涙は止まることが無かった様な。
岸田政権が低空飛行を続けている。高い支持率だけが取り柄の無策の岸田政権は、ゆっくりと沈んでいる。世論は「聞く力」に愛想をつかしており、世論調査の支持率は低いところで20%台後半というありさまだ。来年の統一地方選が終わる前に「岸田おろし」に突入する可能性もささやかれると、紀尾井氏。
清和会(≒安倍派)は、統一教会と国会議員や地方議会議員との繋がりが濃く、追及されていますが、戦後の米ソの対立の根っこの、自由主義と共産党勢力の対立で、南下するソ連の共産主義が日本にも到来し、「安保反対」のデモが激しく盛り上がった時の首相が岸氏。
安倍総理の叔父であり、弟さんが養子に入った岸氏は、米国他の自由主義国が侵攻して来るソ連と闘っていた時代。反共を掲げる統一教会に付け入られることとなったのでした。
岸前防衛大臣は、その地盤を受け継いでいるので、統一教会と選挙支持母体は関係があって当然。
岸氏は早々に関係かあることを表明。今後は関係を断ち切るとも、併せて公表。岸氏は長年の腐れ縁が断ち切れると、清々しい表情に見えました。
政局は常に動く。
今秋の臨時国会では、引き続き旧統一教会問題で自民党は防戦に回るのは確実だ。来年4月の統一地方選で自民党の退潮が目立てば、来年5月の広島サミットでの岸田花道論も出てくる。岸田首相の自民党総裁任期は2024年9月である。あと2年ももつのかと紀尾井氏。
内閣の支持率がおち込んでいるほどには、党の支持率はまだ落ちてはいませんが、来年 4月の統一地方選に臨む地方の首長や議員さん。3年先まで待ってはいられないはず。
地方選で、逆風の中を闘うためには、どのような戦術を練っておられるのでしょう。
# 冒頭の画像は、昭恵夫人
(3026) 菅前総理が追悼の辞 安倍元総理の国葬(2022年9月27日) - YouTube
この花の名前は、ミカエリソウ
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