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プーチン大統領がなぜウクライナ侵攻を決意したのか。
プーチンの主張が正しいかどうかはともかく、プーチンの決意の裏にはKGB(ソ連国家保安委員会)時代に培われた情報機関員としての視点、思考などが大きく影響していると考えられると、プーチンの暴走を解説いただいているのは、元公安調査庁金沢公安調査事務所長の藤谷昌敏氏。
「プーチンの末路3つのパターン」という、東京大学大学院情報学環の伊東乾准教授の記事で、スターリン粛清のべリア。そのペリアの流れを汲むプーチンですが、すでに政権内部でも様々な不協和音が隠せない。プーチンのKCIA型射殺シナリオ、飼い犬に手を噛まれる可能性は、老KGBに瞬時の隙ができた時が、ロシアにとって運命の岐路になるとの説と似ているような。
プーチンの末路3つのパターン - 遊爺雑記帳
今回、プーチンのウクライナ侵攻に際しての主張を見ると、主張が正しいかどうかはともかく、プーチンの決意の裏にはKGB(ソ連国家保安委員会)時代に培われた情報機関員としての視点、思考などが大きく影響していると考えられると藤谷氏。
そして、1989年のベルリンの壁の崩壊を体験し、ソ連の崩壊後はKGBが解体される惨状も目の当たりにしたと。
プーチンが在籍していた頃のKGBの歴代議長は、ユーリ・アンドロポフ など4人だが、中でもアンドロポフは、その後最高指導者である共産党中央委員会書記長に上り詰めるほどの人物だったのだそうです。
KGB時代、アンドロポフは、「人権のための闘争はソビエトの国家基盤を弱体化させる帝国主義の陰謀である」と主張し、反体制派を弾圧するためにKGBに第5総局を設立。この第5総局にはプーチンも所属していたと。
当時のKGBでは、アンドロポフに限らず、イデオロギーにとらわれた硬直した官僚組織の軛(くびき)から脱することができず、「ソ連は超大国だ。すべてにおいて西側を上回らなければならない」という幻想と、「共産主義は資本主義より優位だ」というイデオロギー、「すべては西側の陰謀だ」という妄想から、解き放たれなかったと藤谷氏。
プーチンが今回、ウクライナに侵攻した理由には、このKGB時代の思想が色濃く影響していると言えると。
FSB(連邦保安局)で外国の諜報活動を担う部門のトップ、セルゲイ・ベセダが自宅軟禁。
FSBの「内部告発」とされる文書がインターネット上に流出。
侵攻3日前の2月21日の安全保障会議で、「SVR」(ロシア対外情報庁)長官ナルイシキンが、ウクライナ東部の独立承認を求めるプーチン氏への返答に窮する場面がテレビで放映。
これらは、一枚岩だったはずの情報機関内部に大きな亀裂が生じ、ロシアの現体制の根本を揺るがしていることがうかがわれると藤谷氏。
ゴルバチョフの例を挙げるまでもなく、当時のソ連では、党、軍、そして情報機関を掌握することが最高権力者の必須条件と言われた。今、情報機関の支持を失いつつあるプーチンは、この苦境をどう脱するのだろうかと。
実は途轍もなく深く、未来への光が見えない闇の中をもがいているのかもしれないとのことですが、そのもがきが暴走し、細菌ミサイルや核の使用に発展しないか。。
戦争犯罪ともバイデン氏が指摘していましたが、そのプーチンの暴走をだれか止められないのか。
止められるのは、今自由主義国家が行っている経済制裁に耐えかねたロシア国民の方々なのか、伊東乾氏がご指摘の第3案の、スターリン毒殺のペリア型なのか、最高権力者を守るはずの銃口が、最高権力者の方向に向けられるのか。
ゴルバチョフの様に、自ら身を退き、隠遁生活に入るのか。
ウクライナの国民の方々の命、ロシア国民の経済生活、世界平和を左右するのは、プーチン氏の行方に委ねられていますね。
# 冒頭の画像は、プーチン大統領とゲラシモフ参謀総長、ショイグ国防相との会談
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プーチンの主張が正しいかどうかはともかく、プーチンの決意の裏にはKGB(ソ連国家保安委員会)時代に培われた情報機関員としての視点、思考などが大きく影響していると考えられると、プーチンの暴走を解説いただいているのは、元公安調査庁金沢公安調査事務所長の藤谷昌敏氏。
「プーチンの末路3つのパターン」という、東京大学大学院情報学環の伊東乾准教授の記事で、スターリン粛清のべリア。そのペリアの流れを汲むプーチンですが、すでに政権内部でも様々な不協和音が隠せない。プーチンのKCIA型射殺シナリオ、飼い犬に手を噛まれる可能性は、老KGBに瞬時の隙ができた時が、ロシアにとって運命の岐路になるとの説と似ているような。
プーチンの末路3つのパターン - 遊爺雑記帳
情報機関がプーチンに反旗?ロシア内部に大きな亀裂の兆し ウクライナ侵攻は果たして成功するのか?インテリジェンスの視点から | JBpress (ジェイビープレス) 2022.3.23(水) 藤谷 昌敏:日本戦略研究フォーラム政策提言委員、元公安調査庁金沢公安調査事務所長
プーチン大統領がなぜウクライナ侵攻を決意したのか。様々な専門家が多様な理由や見方を語っており、おそらくプーチンの決意には多くの要素が複雑に絡んでいるのだろうと思われる。
今回、プーチンのウクライナ侵攻に際しての主張を見ると、
「ロシアとウクライナが分かれた1991年のソ連崩壊は我々の歴史における大惨事だ」
「両国の分離を長期にわたって許せば、先祖の記憶を裏切るだけでなく、子孫からも呪われるだろう」
「ウクライナ問題の解決を次世代に委ねない歴史的責任を自ら負ったのだ」
とし、さらに、
「ウクライナが東部の親ロシア派に対しジェノサイド(集団虐殺)を行っている」
「ウクライナは、ロシアの安全保障にとって脅威だ」
「ウクライナを非ナチ化する」
などと主張している。
こうしたプーチンの主張が正しいかどうかはともかく、プーチンの決意の裏にはKGB(ソ連国家保安委員会)時代に培われた情報機関員としての視点、思考などが大きく影響していると考えられる。
■プーチンに影響を与えたKGBの思想
プーチンは元々、KGBの職員で、ソ連崩壊後は、KGBの後継組織FSB(連邦保安庁)の長官も務めていた。東ドイツでは、KGBから派遣されて東ドイツ国家保安省(MfS、通称「シュタージ」)に対する指導や指示をしていたようだ。シュタージは、東ドイツ国民に対する徹底した監視活動を行い、相互監視や密告を国民に強制し、一時期はKGBを凌ぐような巨大組織だった。プーチンは、1975年にKGBにリクルートされ、1990年まで在籍していたが、1989年のベルリンの壁の崩壊を体験し、ソ連の崩壊後はKGBが解体される惨状も目の当たりにした。
プーチンが在籍していた頃のKGBの歴代議長は、ユーリ・アンドロポフ (1967年5月から1982年5月まで就任)など4人だが、中でもアンドロポフは、その後最高指導者である共産党中央委員会書記長に上り詰めるほどの人物だった。
KGB時代、アンドロポフは、「人権のための闘争はソビエトの国家基盤を弱体化させる帝国主義の陰謀である」と主張し、反体制派を弾圧するためにKGBに第5総局を設立した。
この第5総局にはプーチンも所属していた。アンドロポフは、1968年にチェコスロバキアで発生した「プラハの春」はCIAなど西側情報機関の陰謀によるものだということを、証拠もないのに頑なに信じていた。
当時のKGBでは、アンドロポフに限らず、イデオロギーにとらわれた硬直した官僚組織の軛(くびき)から脱することができず、「ソ連は超大国だ。すべてにおいて西側を上回らなければならない」という幻想と、「共産主義は資本主義より優位だ」というイデオロギー、「すべては西側の陰謀だ」という妄想から、解き放たれなかった。ソ連にとって都合の悪い情報は無視する、そして官僚たちの自分の地位を頑なに守る、という姿勢がソ連の崩壊を早めた。
プーチンが今回、ウクライナに侵攻した理由には、このKGB時代の思想が色濃く影響していると言えるだろう。
■情報機関の支持を失いつつあるプーチン
報道によれば、ウクライナ侵攻後、FSB(連邦保安局)で外国の諜報活動を担う部門のトップ、セルゲイ・ベセダが自宅軟禁された模様だ。プーチンはFSBの第5局に対する弾圧を始めたとも言われている。
第5局は侵攻に先立ち、ウクライナの政治情勢を報告する任務にあったが、プーチンを怒らせることを恐れて、ウクライナ軍の士気、ゼレンスキー政権の統率力、民衆の支持状況などについて、耳ざわりの良いことだけを報告していたようだ。こうしたことは、情報機関にとって、本来タブーとも言える行為だ。
また、FSBの「内部告発」とされる文書がインターネット上に流出し、「勝利の選択肢はなく、敗北のみだ。仮にウクライナを占領したとしても、統治に50万人以上の要員が必要だと指摘し、前世紀初めを100%繰り返しているとして、日露戦争の敗北にもなぞらえた」とされる。
ウクライナの国家安全保障・国防会議のオレクシー・ダニロフ書記が明かしたところでは、 「チェチェンのカディロフツィ(チェチェンを事実上統治する準軍事組織)が、ゼレンスキー大統領を暗殺する特別作戦を行っていることを我々は分かっている。というのも、今回の血なまぐさい戦争に参加したくないFSBの内部から情報を受け取っているからだ。そのおかげでカディロフツィの特殊部隊を破壊できている」とFSBから内通があることを暴露した。
さらに、侵攻3日前の2月21日の安全保障会議で、「SVR」(ロシア対外情報庁)長官ナルイシキンが、ウクライナ東部の独立承認を求めるプーチン氏への返答に窮する場面がテレビで放映された。
こうした報道が事実ならば、一枚岩だったはずの情報機関内部に大きな亀裂が生じ、ロシアの現体制の根本を揺るがしていることがうかがわれる。
■KGBが支えたゴルバチョフ
ソ連時代から情報機関は巨大な組織として君臨し、国内の反体制派の弾圧、西側の政治、経済、科学技術など、あらゆる情報を集めて時の政権を支えてきた。かつて最初で最後の大統領となったゴルバチョフは、KGBの強い支持を得ていたことが最高指導者になった大きな理由だと言われている。
ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフは、ソビエト連邦最後の最高指導者で、ソ連共産党中央委員会書記長、大統領となった人物だ。1985年3月、チェルネンコの死去を受けて党書記長に就任。その時、書記長の座を狙う、ゴルバチョフの有力なライバルとして、重工業・軍事工業担当書記グリゴリー・ロマノフ、モスクワ党第一書記ヴィクトル・グリシン、外相アンドレイ・グロムイコなどがいた。これらの強力なライバルを押しのけてゴルバチョフが書記長に就くことができた理由は、当時、KGBがゴルバチョフに強く肩入れしていたことによる。
KGBは、ソ連の経済水準が米国の経済優位にもはや追い付ける状況ではなく、当時のソ連国民が抱いていた「ソ連は米国に匹敵する世界の超大国である」との傲慢な意識とソ連の現実が大きく乖離していることをよく知っていた。また米国の情報機関がソ連経済の困難につけ込んで、深刻な経済的打撃を与える計画を立てているとも確信していた。
KGBは、こうした深刻な事態を打開するためには、チェルネンコに代わる若くて新しい考えを持つ指導者を選び、体制を刷新しなければソ連経済の困難に終止符を打てないと考えていた。そこでKGBはゴルバチョフを支えることに全力を挙げ、持てる情報のすべてをゴルバチョフにだけ報告した。その結果、ゴルバチョフは他の有力候補者に大きく水をあけることに成功した。
こうしたゴルバチョフの例を挙げるまでもなく、当時のソ連では、党、軍、そして情報機関を掌握することが最高権力者の必須条件と言われた。今、情報機関の支持を失いつつあるプーチンは、この苦境をどう脱するのだろうか。
強気で強面を演出するプーチンの杞憂は、実は途轍もなく深く、未来への光が見えない闇の中をもがいているのかもしれない。
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[筆者プロフィール] 藤谷 昌敏(ふじたに・まさとし)
1954(昭和29)年、北海道生れ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA危機管理研究所代表。
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プーチン大統領がなぜウクライナ侵攻を決意したのか。様々な専門家が多様な理由や見方を語っており、おそらくプーチンの決意には多くの要素が複雑に絡んでいるのだろうと思われる。
今回、プーチンのウクライナ侵攻に際しての主張を見ると、
「ロシアとウクライナが分かれた1991年のソ連崩壊は我々の歴史における大惨事だ」
「両国の分離を長期にわたって許せば、先祖の記憶を裏切るだけでなく、子孫からも呪われるだろう」
「ウクライナ問題の解決を次世代に委ねない歴史的責任を自ら負ったのだ」
とし、さらに、
「ウクライナが東部の親ロシア派に対しジェノサイド(集団虐殺)を行っている」
「ウクライナは、ロシアの安全保障にとって脅威だ」
「ウクライナを非ナチ化する」
などと主張している。
こうしたプーチンの主張が正しいかどうかはともかく、プーチンの決意の裏にはKGB(ソ連国家保安委員会)時代に培われた情報機関員としての視点、思考などが大きく影響していると考えられる。
■プーチンに影響を与えたKGBの思想
プーチンは元々、KGBの職員で、ソ連崩壊後は、KGBの後継組織FSB(連邦保安庁)の長官も務めていた。東ドイツでは、KGBから派遣されて東ドイツ国家保安省(MfS、通称「シュタージ」)に対する指導や指示をしていたようだ。シュタージは、東ドイツ国民に対する徹底した監視活動を行い、相互監視や密告を国民に強制し、一時期はKGBを凌ぐような巨大組織だった。プーチンは、1975年にKGBにリクルートされ、1990年まで在籍していたが、1989年のベルリンの壁の崩壊を体験し、ソ連の崩壊後はKGBが解体される惨状も目の当たりにした。
プーチンが在籍していた頃のKGBの歴代議長は、ユーリ・アンドロポフ (1967年5月から1982年5月まで就任)など4人だが、中でもアンドロポフは、その後最高指導者である共産党中央委員会書記長に上り詰めるほどの人物だった。
KGB時代、アンドロポフは、「人権のための闘争はソビエトの国家基盤を弱体化させる帝国主義の陰謀である」と主張し、反体制派を弾圧するためにKGBに第5総局を設立した。
この第5総局にはプーチンも所属していた。アンドロポフは、1968年にチェコスロバキアで発生した「プラハの春」はCIAなど西側情報機関の陰謀によるものだということを、証拠もないのに頑なに信じていた。
当時のKGBでは、アンドロポフに限らず、イデオロギーにとらわれた硬直した官僚組織の軛(くびき)から脱することができず、「ソ連は超大国だ。すべてにおいて西側を上回らなければならない」という幻想と、「共産主義は資本主義より優位だ」というイデオロギー、「すべては西側の陰謀だ」という妄想から、解き放たれなかった。ソ連にとって都合の悪い情報は無視する、そして官僚たちの自分の地位を頑なに守る、という姿勢がソ連の崩壊を早めた。
プーチンが今回、ウクライナに侵攻した理由には、このKGB時代の思想が色濃く影響していると言えるだろう。
■情報機関の支持を失いつつあるプーチン
報道によれば、ウクライナ侵攻後、FSB(連邦保安局)で外国の諜報活動を担う部門のトップ、セルゲイ・ベセダが自宅軟禁された模様だ。プーチンはFSBの第5局に対する弾圧を始めたとも言われている。
第5局は侵攻に先立ち、ウクライナの政治情勢を報告する任務にあったが、プーチンを怒らせることを恐れて、ウクライナ軍の士気、ゼレンスキー政権の統率力、民衆の支持状況などについて、耳ざわりの良いことだけを報告していたようだ。こうしたことは、情報機関にとって、本来タブーとも言える行為だ。
また、FSBの「内部告発」とされる文書がインターネット上に流出し、「勝利の選択肢はなく、敗北のみだ。仮にウクライナを占領したとしても、統治に50万人以上の要員が必要だと指摘し、前世紀初めを100%繰り返しているとして、日露戦争の敗北にもなぞらえた」とされる。
ウクライナの国家安全保障・国防会議のオレクシー・ダニロフ書記が明かしたところでは、 「チェチェンのカディロフツィ(チェチェンを事実上統治する準軍事組織)が、ゼレンスキー大統領を暗殺する特別作戦を行っていることを我々は分かっている。というのも、今回の血なまぐさい戦争に参加したくないFSBの内部から情報を受け取っているからだ。そのおかげでカディロフツィの特殊部隊を破壊できている」とFSBから内通があることを暴露した。
さらに、侵攻3日前の2月21日の安全保障会議で、「SVR」(ロシア対外情報庁)長官ナルイシキンが、ウクライナ東部の独立承認を求めるプーチン氏への返答に窮する場面がテレビで放映された。
こうした報道が事実ならば、一枚岩だったはずの情報機関内部に大きな亀裂が生じ、ロシアの現体制の根本を揺るがしていることがうかがわれる。
■KGBが支えたゴルバチョフ
ソ連時代から情報機関は巨大な組織として君臨し、国内の反体制派の弾圧、西側の政治、経済、科学技術など、あらゆる情報を集めて時の政権を支えてきた。かつて最初で最後の大統領となったゴルバチョフは、KGBの強い支持を得ていたことが最高指導者になった大きな理由だと言われている。
ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフは、ソビエト連邦最後の最高指導者で、ソ連共産党中央委員会書記長、大統領となった人物だ。1985年3月、チェルネンコの死去を受けて党書記長に就任。その時、書記長の座を狙う、ゴルバチョフの有力なライバルとして、重工業・軍事工業担当書記グリゴリー・ロマノフ、モスクワ党第一書記ヴィクトル・グリシン、外相アンドレイ・グロムイコなどがいた。これらの強力なライバルを押しのけてゴルバチョフが書記長に就くことができた理由は、当時、KGBがゴルバチョフに強く肩入れしていたことによる。
KGBは、ソ連の経済水準が米国の経済優位にもはや追い付ける状況ではなく、当時のソ連国民が抱いていた「ソ連は米国に匹敵する世界の超大国である」との傲慢な意識とソ連の現実が大きく乖離していることをよく知っていた。また米国の情報機関がソ連経済の困難につけ込んで、深刻な経済的打撃を与える計画を立てているとも確信していた。
KGBは、こうした深刻な事態を打開するためには、チェルネンコに代わる若くて新しい考えを持つ指導者を選び、体制を刷新しなければソ連経済の困難に終止符を打てないと考えていた。そこでKGBはゴルバチョフを支えることに全力を挙げ、持てる情報のすべてをゴルバチョフにだけ報告した。その結果、ゴルバチョフは他の有力候補者に大きく水をあけることに成功した。
こうしたゴルバチョフの例を挙げるまでもなく、当時のソ連では、党、軍、そして情報機関を掌握することが最高権力者の必須条件と言われた。今、情報機関の支持を失いつつあるプーチンは、この苦境をどう脱するのだろうか。
強気で強面を演出するプーチンの杞憂は、実は途轍もなく深く、未来への光が見えない闇の中をもがいているのかもしれない。
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[筆者プロフィール] 藤谷 昌敏(ふじたに・まさとし)
1954(昭和29)年、北海道生れ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA危機管理研究所代表。
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今回、プーチンのウクライナ侵攻に際しての主張を見ると、主張が正しいかどうかはともかく、プーチンの決意の裏にはKGB(ソ連国家保安委員会)時代に培われた情報機関員としての視点、思考などが大きく影響していると考えられると藤谷氏。
そして、1989年のベルリンの壁の崩壊を体験し、ソ連の崩壊後はKGBが解体される惨状も目の当たりにしたと。
プーチンが在籍していた頃のKGBの歴代議長は、ユーリ・アンドロポフ など4人だが、中でもアンドロポフは、その後最高指導者である共産党中央委員会書記長に上り詰めるほどの人物だったのだそうです。
KGB時代、アンドロポフは、「人権のための闘争はソビエトの国家基盤を弱体化させる帝国主義の陰謀である」と主張し、反体制派を弾圧するためにKGBに第5総局を設立。この第5総局にはプーチンも所属していたと。
当時のKGBでは、アンドロポフに限らず、イデオロギーにとらわれた硬直した官僚組織の軛(くびき)から脱することができず、「ソ連は超大国だ。すべてにおいて西側を上回らなければならない」という幻想と、「共産主義は資本主義より優位だ」というイデオロギー、「すべては西側の陰謀だ」という妄想から、解き放たれなかったと藤谷氏。
プーチンが今回、ウクライナに侵攻した理由には、このKGB時代の思想が色濃く影響していると言えると。
FSB(連邦保安局)で外国の諜報活動を担う部門のトップ、セルゲイ・ベセダが自宅軟禁。
FSBの「内部告発」とされる文書がインターネット上に流出。
侵攻3日前の2月21日の安全保障会議で、「SVR」(ロシア対外情報庁)長官ナルイシキンが、ウクライナ東部の独立承認を求めるプーチン氏への返答に窮する場面がテレビで放映。
これらは、一枚岩だったはずの情報機関内部に大きな亀裂が生じ、ロシアの現体制の根本を揺るがしていることがうかがわれると藤谷氏。
ゴルバチョフの例を挙げるまでもなく、当時のソ連では、党、軍、そして情報機関を掌握することが最高権力者の必須条件と言われた。今、情報機関の支持を失いつつあるプーチンは、この苦境をどう脱するのだろうかと。
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止められるのは、今自由主義国家が行っている経済制裁に耐えかねたロシア国民の方々なのか、伊東乾氏がご指摘の第3案の、スターリン毒殺のペリア型なのか、最高権力者を守るはずの銃口が、最高権力者の方向に向けられるのか。
ゴルバチョフの様に、自ら身を退き、隠遁生活に入るのか。
ウクライナの国民の方々の命、ロシア国民の経済生活、世界平和を左右するのは、プーチン氏の行方に委ねられていますね。
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