中国・武漢が発症元とされる、新型コロナウイルスによる新型肺炎。人口が 1千万人超の武漢市の封鎖等の中国政府の対策。世界各国の対中水際防御対策が展開されるに至っていますが、感染の拡大が進んでいます。
中国に留まらず、世界経済への影響も懸念されています。
中国の歴代王朝は、「大飢」や「大疫」によって滅ぼされた場合が多いのだそうですが、憲法改定で定年制を廃止し専制政治体制に君臨した習近平王朝の崩壊が懸念されると、元東京新聞の東京新聞らしくない長谷川氏。
明の滅亡については、政治腐敗と、それに蜂起した農民反乱軍によって滅亡したと語られていますが、実は、それだけが要因ではありませんと、黄文雄氏。
明末の万暦、崇禎年間(1573~1644年)に、華北地方で主にペストや天然痘による猛威で、1,000万人の死者が発生。明王朝は、実はこの大疫によって倒れたのであり、清に滅ぼされたわけではないのだと。
隋の煬帝末期の610年から唐初の648年の約40年間には、7回も疫病が大流行。隋も瘟疫で倒れていた。
中華帝国の人口は、1200年には1億3,000万人いたとも推定されていますが、元末の至正年間(1344~62年)の間には、ペストの大流行によって、1331年の時点で3分の2が死んだのだそうです。
インフルエンザ系の疫病はSARSに限らず、その発源地はほとんどが中国。「スペイン風邪」も中国が発生源。
今回の新型コロナウイルスは、感染して発症しなかったり、潜伏期間中の人から人への感染が確認されており、ウイルス保有者の発見・隔離が困難で、感染拡大は、過去の感染症より大きいと。
SARSの時の隠蔽による拡散に反省して、公開と初動を速めたという今回の中国。その評価は分かれていますが、ウイルス保有者の発見・隔離が困難なのも事実。
ソ連という国家と共産党体制が崩壊したのは、チェルノブイリ原発事故から5年後の1991年だったと指摘しておられるのは、長谷川氏。
中国で発生した新型肺炎の猛威は、中国と世界の経済を揺るがすだけでなく、中国の政治指導部に大打撃になるだろう。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故が旧ソ連崩壊の引き金を引いたように、新型肺炎の流行が中国共産党体制崩壊の導火線になる可能性があると長谷川氏。
武漢市が当初、情報を隠蔽したのは確実と長谷川氏。
市長は謝罪会見していましたね。政府の責任逃れのための尻尾切りともいわれていますね。
新型肺炎 北京で男性死亡 武漢市長“公開遅れ”認める
感染の拡大はまず、中国経済を直撃する。内需が落ち込むのは確実だ。となると、米国と合意したばかりの「2年間で2000億ドル(約22兆円)」という輸入拡大の約束は、もはや風前のともしび。
より重大なのは、政治的打撃だと長谷川氏。
チェルノブイリ原発事故は、ソ連の人々に「共産党に対する不信感」を植え付けてしまった。
中国各地に広がった新型肺炎の病原菌は、チェルノブイリの放射能よりも拡散の規模が大きく、はるかに危険で厄介だ。中国の人々が当時のソ連以上に怒ったとしても、まったく不思議ではない。
今回の中国は、はたしてどこまで持ちこたえられるのかと。
政府の対応に批判的な情報を発信する人の家に、警察が体温を測らせろと訪問するとか、方や、街頭インタビューでは、政府を信じていると答えるシーンを流すとか、広い中国の情報統制は、何処まで可能なのか。
反習近平の、江沢民の上海閥や、鄧小平の流れを継ぐ胡錦涛の共青団派の攻勢は何処まで可能なのか。
対米の「新冷戦時代」の対応とともに、習近平の一大ピンチであることは確かですね。
訪日は、習近平の方から延期または中止を言ってくれるといいですが。。
# 冒頭の画像は、患者が殺到する武漢の病院
この花の名前は、バイカオウレン
2月 7日は、北方領土の日
政府広報(北方領土問題) - YouTube
↓よろしかったら、お願いします。
中国に留まらず、世界経済への影響も懸念されています。
中国の歴代王朝は、「大飢」や「大疫」によって滅ぼされた場合が多いのだそうですが、憲法改定で定年制を廃止し専制政治体制に君臨した習近平王朝の崩壊が懸念されると、元東京新聞の東京新聞らしくない長谷川氏。
歴史も証明。中国という国を滅ぼしかねぬ新型肺炎という「疫病」 - まぐまぐニュース! 黄文雄 2020.01.24
<前略>
中国の疫病流行は、すでに史前から甲骨文に刻まれています。現在、その甲骨文から確認できる殷周時代の古代人の疫病は約16~20種類もあります。そして、周初から漢代に至る「大疫」(疫病大流行)の記録では、しきりに「死者万数」「人多死」「士卒多死」「其死亡者三分有─」と、多くの死者を出したことを示す文言が繰り返し出ているのです。
中華帝国以後の中国は二千余年間、周期的、加速的に水害、旱魃等の天災に見舞われてきました。そして、旱魃の後に大飢饉が、水害の後に大疫病が発生するというのが、いわば「定番」になっています。歴代王朝の「正史」には疫病の大流行が数年ごとに、時には連年で記録されていることが、それを証明しています。
中国の歴代王朝は、実際には「大飢」や「大疫」によって滅ぼされた場合が多くあります。「大飢」によって生まれた流民が「大疫」の媒介や運び役となって世界へ拡散していくのです。
たとえば明の滅亡については、政治腐敗と、それに蜂起した農民反乱軍によって滅亡したと語られていますが、実は、それだけが要因ではありません。明末には「大疫」や「大飢」が間断なく襲い、餓死者や疫死者が続出。流民、流賊、流寇もあふれていたのです。これもまた、農民が反乱する要因にもなっていました。
ことに明末の万暦、崇禎年間(1573~1644年)には、華北地方で疫病が猛威をふるい、少なくとも1,000万人の死者が出ました。主にペストや天然痘です。明王朝は、実はこの大疫によって倒れたのであり、清に滅ぼされたわけではないのです。
また、黒死病(ペスト)といえば、中世のヨーロッパを襲った恐るべき流行が、史上でもっとも有名で、1348~51年の3年間で、人口の3分の1を死に至らしめています。その伝染経路については諸説があありますが、もっとも有力なのは中国大陸を発源地とするものです。
最初に大流行したのは南宋王朝です。この時、南征中だったモンケ・カーン(チンギス・カーンの孫、フビライ・カーンの兄)が病死していますが、その病気がペストだったとも指摘されています。南宋と戦っている間にモンゴル軍に伝染したのです。
このモンゴル軍の遠征を通じて、ペストは西アジア、クリミア、ベネチア、北アルプスを経て北上し、やがて全ヨーロッパに伝わっていきました。
元末の至正年間(1344~62年)の間には、「大疫」だけでも11回も起こっています。中華帝国の人口は、1200年には1億3,000万人いたとも推定されていますが、ペストの大流行によって、すでに1331年の時点で3分の2が死んでいます。ユーラシア大陸の東西ともにペストに襲われ、人口が大量に減ったのです。
また、それより以前、隋の煬帝末期の610年から唐初の648年の約40年間には、7回も疫病が大流行。隋も瘟疫で倒れています。
その他、インフルエンザ系の疫病はSARSに限らず、その発源地はほとんどが中国です。たとえば、1918年の秋に全世界で猛威を振るったインフルエンザ。感染者は地球人口の20~40%にも及び、感染からわずか4ヵ月で2,000万人が死亡し、その死亡率は約2.5%でした。日本でも2,000万人以上が感染し、死者は約40万人に上っています。
これが「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザで、名称からスペインが発源地であると誤解する人が多いですが、実は、これも中国が発生源でした。そもそもは、1917年に中国の南方で発生したものが、船便を通じて世界各国へと拡散したのです。
中国で医療衛生が制度化されたのは、なんと20世紀になってからのこと。義和団事件後に変法派官僚によって、やっと天津に衛生総局が設立(1902年)されたのです。それも、中国から世界にペストがばら撒かれることを危惧した列強からの強い要請があって、ようやく重い腰を上げたというのが本当のところです。外国人を排斥する大事件が引き金になって、その外国の圧力によってようやく医療衛生が制度化されるという、皮肉な話です。
<後略>
------------------------------------------------
※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2020年1月22日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。
------------------------------------------------
<前略>
中国の疫病流行は、すでに史前から甲骨文に刻まれています。現在、その甲骨文から確認できる殷周時代の古代人の疫病は約16~20種類もあります。そして、周初から漢代に至る「大疫」(疫病大流行)の記録では、しきりに「死者万数」「人多死」「士卒多死」「其死亡者三分有─」と、多くの死者を出したことを示す文言が繰り返し出ているのです。
中華帝国以後の中国は二千余年間、周期的、加速的に水害、旱魃等の天災に見舞われてきました。そして、旱魃の後に大飢饉が、水害の後に大疫病が発生するというのが、いわば「定番」になっています。歴代王朝の「正史」には疫病の大流行が数年ごとに、時には連年で記録されていることが、それを証明しています。
中国の歴代王朝は、実際には「大飢」や「大疫」によって滅ぼされた場合が多くあります。「大飢」によって生まれた流民が「大疫」の媒介や運び役となって世界へ拡散していくのです。
たとえば明の滅亡については、政治腐敗と、それに蜂起した農民反乱軍によって滅亡したと語られていますが、実は、それだけが要因ではありません。明末には「大疫」や「大飢」が間断なく襲い、餓死者や疫死者が続出。流民、流賊、流寇もあふれていたのです。これもまた、農民が反乱する要因にもなっていました。
ことに明末の万暦、崇禎年間(1573~1644年)には、華北地方で疫病が猛威をふるい、少なくとも1,000万人の死者が出ました。主にペストや天然痘です。明王朝は、実はこの大疫によって倒れたのであり、清に滅ぼされたわけではないのです。
また、黒死病(ペスト)といえば、中世のヨーロッパを襲った恐るべき流行が、史上でもっとも有名で、1348~51年の3年間で、人口の3分の1を死に至らしめています。その伝染経路については諸説があありますが、もっとも有力なのは中国大陸を発源地とするものです。
最初に大流行したのは南宋王朝です。この時、南征中だったモンケ・カーン(チンギス・カーンの孫、フビライ・カーンの兄)が病死していますが、その病気がペストだったとも指摘されています。南宋と戦っている間にモンゴル軍に伝染したのです。
このモンゴル軍の遠征を通じて、ペストは西アジア、クリミア、ベネチア、北アルプスを経て北上し、やがて全ヨーロッパに伝わっていきました。
元末の至正年間(1344~62年)の間には、「大疫」だけでも11回も起こっています。中華帝国の人口は、1200年には1億3,000万人いたとも推定されていますが、ペストの大流行によって、すでに1331年の時点で3分の2が死んでいます。ユーラシア大陸の東西ともにペストに襲われ、人口が大量に減ったのです。
また、それより以前、隋の煬帝末期の610年から唐初の648年の約40年間には、7回も疫病が大流行。隋も瘟疫で倒れています。
その他、インフルエンザ系の疫病はSARSに限らず、その発源地はほとんどが中国です。たとえば、1918年の秋に全世界で猛威を振るったインフルエンザ。感染者は地球人口の20~40%にも及び、感染からわずか4ヵ月で2,000万人が死亡し、その死亡率は約2.5%でした。日本でも2,000万人以上が感染し、死者は約40万人に上っています。
これが「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザで、名称からスペインが発源地であると誤解する人が多いですが、実は、これも中国が発生源でした。そもそもは、1917年に中国の南方で発生したものが、船便を通じて世界各国へと拡散したのです。
中国で医療衛生が制度化されたのは、なんと20世紀になってからのこと。義和団事件後に変法派官僚によって、やっと天津に衛生総局が設立(1902年)されたのです。それも、中国から世界にペストがばら撒かれることを危惧した列強からの強い要請があって、ようやく重い腰を上げたというのが本当のところです。外国人を排斥する大事件が引き金になって、その外国の圧力によってようやく医療衛生が制度化されるという、皮肉な話です。
<後略>
------------------------------------------------
※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2020年1月22日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。
------------------------------------------------
明の滅亡については、政治腐敗と、それに蜂起した農民反乱軍によって滅亡したと語られていますが、実は、それだけが要因ではありませんと、黄文雄氏。
明末の万暦、崇禎年間(1573~1644年)に、華北地方で主にペストや天然痘による猛威で、1,000万人の死者が発生。明王朝は、実はこの大疫によって倒れたのであり、清に滅ぼされたわけではないのだと。
隋の煬帝末期の610年から唐初の648年の約40年間には、7回も疫病が大流行。隋も瘟疫で倒れていた。
中華帝国の人口は、1200年には1億3,000万人いたとも推定されていますが、元末の至正年間(1344~62年)の間には、ペストの大流行によって、1331年の時点で3分の2が死んだのだそうです。
インフルエンザ系の疫病はSARSに限らず、その発源地はほとんどが中国。「スペイン風邪」も中国が発生源。
今回の新型コロナウイルスは、感染して発症しなかったり、潜伏期間中の人から人への感染が確認されており、ウイルス保有者の発見・隔離が困難で、感染拡大は、過去の感染症より大きいと。
SARSの時の隠蔽による拡散に反省して、公開と初動を速めたという今回の中国。その評価は分かれていますが、ウイルス保有者の発見・隔離が困難なのも事実。
ソ連という国家と共産党体制が崩壊したのは、チェルノブイリ原発事故から5年後の1991年だったと指摘しておられるのは、長谷川氏。
【ニュースの核心】新型肺炎が招く中国“共産党体制”の崩壊… 情報隠蔽、官僚的対応に募る「不信感」 - zakzak:夕刊フジ公式サイト 長谷川幸洋「ニュースの核心」 2020.2.1
中国で発生した新型肺炎が猛威を奮っている。これは中国と世界の経済を揺るがすだけでなく、中国の政治指導部に大打撃になるだろう。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故が旧ソ連崩壊の引き金を引いたように、私は、新型肺炎の流行が中国共産党体制崩壊の導火線になる可能性がある、とみる。
共産党ならではの情報隠蔽と官僚的対応こそが、感染の蔓延(まんえん)を招いてしまった。命の危機に直面した中国の人々が今後、共産党に怒りを募らせるのは避けられない。
それどころか、この機に乗じて、反政府勢力による病原菌の意図的なバラマキ、すなわち「バイオテロ」が起きる可能性すらあるのではないか。治安当局がそれを心配していないとしたら、よほどの間抜けだ。政治指導部が、北京を含めて「長距離の移動禁止」という非常手段に出た理由の1つは、それだろう。
発生源になった武漢市が当初、情報を隠蔽したのは確実である。異例にも、中国のメディアが「医師たちに箝口(かんこう)令を敷いていた」と報じた。25日付の読売新聞によれば、病院は「許可を得ずに、公共の場で感染状況を語ったり、メディアの取材を受けてはならない」と医師たちに指示していた、という。
だが、新型肺炎の噂はSNSなどを通じて広まっていった。当局はその後、感染者や死者数の公表を始めたが「実際は少なくとも10倍」(米紙)とみられている。病院に収容しきれず、追い返された患者が続出しているのだから、当局の話を信じる中国人は1人もいないだろう。
旅行禁止や移動制限で流行を押さえ込める見通しもない。武漢市の市長は都市の閉鎖に踏み切る前に「500万人の市民が街を離れた」と言っていた。実に、市の人口の半分近い人数である。
そうだとすれば、これから「第2、第3の武漢」が現れるのは時間の問題だ。上海のような大都会でも、死者が出ている。潜伏期間の長さや無症状の感染者がいることも考えれば、制圧が極めて困難なのは明白だ。
感染の拡大はまず、中国経済を直撃する。こんな騒ぎの最中にショッピングに出掛ける消費者や、設備投資を考える経営者はいない。内需が落ち込むのは確実だ。となると、米国と合意したばかりの「2年間で2000億ドル(約22兆円)」という輸入拡大の約束は、もはや風前のともしびだ。
より重大なのは、政治的打撃である。
チェルノブイリ原発事故は原発自体のお粗末さに加えて、情報隠蔽と事故対応のひどさがソ連の人々に「共産党に対する不信感」を植え付けてしまった。
中国各地に広がった新型肺炎の病原菌は、チェルノブイリの放射能よりも拡散の規模が大きく、はるかに危険で厄介だ。中国の人々が当時のソ連以上に怒ったとしても、まったく不思議ではない。
ソ連という国家と共産党体制が崩壊したのは、チェルノブイリ原発事故から5年後の1991年だった。今回の中国は、はたしてどこまで持ちこたえられるのか。
中国で発生した新型肺炎が猛威を奮っている。これは中国と世界の経済を揺るがすだけでなく、中国の政治指導部に大打撃になるだろう。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故が旧ソ連崩壊の引き金を引いたように、私は、新型肺炎の流行が中国共産党体制崩壊の導火線になる可能性がある、とみる。
共産党ならではの情報隠蔽と官僚的対応こそが、感染の蔓延(まんえん)を招いてしまった。命の危機に直面した中国の人々が今後、共産党に怒りを募らせるのは避けられない。
それどころか、この機に乗じて、反政府勢力による病原菌の意図的なバラマキ、すなわち「バイオテロ」が起きる可能性すらあるのではないか。治安当局がそれを心配していないとしたら、よほどの間抜けだ。政治指導部が、北京を含めて「長距離の移動禁止」という非常手段に出た理由の1つは、それだろう。
発生源になった武漢市が当初、情報を隠蔽したのは確実である。異例にも、中国のメディアが「医師たちに箝口(かんこう)令を敷いていた」と報じた。25日付の読売新聞によれば、病院は「許可を得ずに、公共の場で感染状況を語ったり、メディアの取材を受けてはならない」と医師たちに指示していた、という。
だが、新型肺炎の噂はSNSなどを通じて広まっていった。当局はその後、感染者や死者数の公表を始めたが「実際は少なくとも10倍」(米紙)とみられている。病院に収容しきれず、追い返された患者が続出しているのだから、当局の話を信じる中国人は1人もいないだろう。
旅行禁止や移動制限で流行を押さえ込める見通しもない。武漢市の市長は都市の閉鎖に踏み切る前に「500万人の市民が街を離れた」と言っていた。実に、市の人口の半分近い人数である。
そうだとすれば、これから「第2、第3の武漢」が現れるのは時間の問題だ。上海のような大都会でも、死者が出ている。潜伏期間の長さや無症状の感染者がいることも考えれば、制圧が極めて困難なのは明白だ。
感染の拡大はまず、中国経済を直撃する。こんな騒ぎの最中にショッピングに出掛ける消費者や、設備投資を考える経営者はいない。内需が落ち込むのは確実だ。となると、米国と合意したばかりの「2年間で2000億ドル(約22兆円)」という輸入拡大の約束は、もはや風前のともしびだ。
より重大なのは、政治的打撃である。
チェルノブイリ原発事故は原発自体のお粗末さに加えて、情報隠蔽と事故対応のひどさがソ連の人々に「共産党に対する不信感」を植え付けてしまった。
中国各地に広がった新型肺炎の病原菌は、チェルノブイリの放射能よりも拡散の規模が大きく、はるかに危険で厄介だ。中国の人々が当時のソ連以上に怒ったとしても、まったく不思議ではない。
ソ連という国家と共産党体制が崩壊したのは、チェルノブイリ原発事故から5年後の1991年だった。今回の中国は、はたしてどこまで持ちこたえられるのか。
中国で発生した新型肺炎の猛威は、中国と世界の経済を揺るがすだけでなく、中国の政治指導部に大打撃になるだろう。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故が旧ソ連崩壊の引き金を引いたように、新型肺炎の流行が中国共産党体制崩壊の導火線になる可能性があると長谷川氏。
武漢市が当初、情報を隠蔽したのは確実と長谷川氏。
市長は謝罪会見していましたね。政府の責任逃れのための尻尾切りともいわれていますね。
新型肺炎 北京で男性死亡 武漢市長“公開遅れ”認める
感染の拡大はまず、中国経済を直撃する。内需が落ち込むのは確実だ。となると、米国と合意したばかりの「2年間で2000億ドル(約22兆円)」という輸入拡大の約束は、もはや風前のともしび。
より重大なのは、政治的打撃だと長谷川氏。
チェルノブイリ原発事故は、ソ連の人々に「共産党に対する不信感」を植え付けてしまった。
中国各地に広がった新型肺炎の病原菌は、チェルノブイリの放射能よりも拡散の規模が大きく、はるかに危険で厄介だ。中国の人々が当時のソ連以上に怒ったとしても、まったく不思議ではない。
今回の中国は、はたしてどこまで持ちこたえられるのかと。
政府の対応に批判的な情報を発信する人の家に、警察が体温を測らせろと訪問するとか、方や、街頭インタビューでは、政府を信じていると答えるシーンを流すとか、広い中国の情報統制は、何処まで可能なのか。
反習近平の、江沢民の上海閥や、鄧小平の流れを継ぐ胡錦涛の共青団派の攻勢は何処まで可能なのか。
対米の「新冷戦時代」の対応とともに、習近平の一大ピンチであることは確かですね。
訪日は、習近平の方から延期または中止を言ってくれるといいですが。。
# 冒頭の画像は、患者が殺到する武漢の病院
この花の名前は、バイカオウレン
2月 7日は、北方領土の日
政府広報(北方領土問題) - YouTube
↓よろしかったら、お願いします。