プーチン大統領が西の国境を接するウクライナへの侵攻を開始してから24日で、1年となります。
7日は、プーチン大統領がウクライナ侵略開始後初の「北方領土の日」を迎えることになります。
ロシアは、ウクライナを支援する日本への敵視を鮮明にし、平和条約締結交渉停滞の責任も日本にあるとの一方的な態度をとり、ウクライナはロシアに領土の一部を占領される自国の現状を北方領土問題と重ね、日本に連携強化を呼びかけていると産経。
ラブロフ露外相は 1月18日、防衛費増額を決めた日本が「再び軍国化の道を歩んでいる」と主張。平和条約交渉の破綻も、北方四島返還に固執する日本の責任だと言っているのだそうですね。
日露戦争の結果、明治38年(1905年)8月10日からアメリカのポーツマスで講和会議が開かれ、9月5日、「日露講和条約(ポーツマス条約)」が調印され樺太の南半分と千島列島は日本領となりました。
1941年 4月には、領土保全と不侵略を相互に約束した「日ソ中立条約」が締結されましたが、
太平洋戦争終了時の、1945年 8月にソ連は破棄し、「ヤルタ密約」にもとづいて満州に侵攻、8月28日には、択捉島留別村に上陸以来、北方四島の島々はすべてソ連軍によって占領されてしまいました。
日ソ中立条約
北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)|外務省
1951年 9月のサンフランシスコ平和条約で、日本は、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。
北方四島の返還交渉の経緯は以下。
------------------------------------------------------------
■日ソ共同宣言
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
■日ソ共同声明(1991年)
1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認された。
日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。
■東京宣言(1993年)
1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。
■クラスノヤルスク合意(1997年)
1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。
■川奈合意(1998年)
1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。
■イルクーツク声明(2001年)
2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。
■日露行動計画(2003年)
2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
▽プーチン来日 過去を否定 (2005年11月)
「 プーチン来日で惨敗の日本外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
▽山口での首脳会談(2016年12月15日)
北方4島で「特別な制度」の下での共同経済活動実現へ協議。
▽ロシア極東ウラジオストクでの東方経済フォーラム (2018年9月)
檀上で、プーチン大統領が突如平和条約交渉先行を呼びかけ。
▽シンガポールでの首脳会談(2018年11月14日)
1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速。
▽ドイツ・ミュンヘンでの日露外相会談 (2019年2月17日未明)
ラブロフ外相は、第2次世界大戦の正当な結果として北方領土がロシア領になったと認めるよう改めて強調。「日本が、4島を含む全てのクリル諸島(千島列島)の主権をロシアが有することなど、第2次世界大戦の結果を認めることが不可欠だ」と述べ、ゼロ島を主張。
------------------------------------------------------------
平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという「日ソ共同宣言」の国際約束後も、2島返還ではなく、4島返還に向け交渉が重ねられましたが、現状は、返還ゼロ島に後退しいることは、諸兄がご承知の通りです。
プーチン露大統領はウクライナ侵略前から、日本を米国の「属国」とみなし、北方四島を引き渡せば、米軍が軍事基地を置く可能性があると主張。平和条約交渉にも消極姿勢を示してきた。そして、2020年の憲法改正で、領土割譲も原則禁じたのでした。
日本がウクライナ侵略を巡り対露制裁網に参画すると、日本を「非友好国」に指定。
にもかかわらず、サハリン1, 2の天然ガス開発では、英・シェル、米・エクソンモービルが撤退する中、日本商工会議所会頭や、経団連会長は撤退拒否。岸田氏も了承、世界の制裁網に反する行動で、シェルやエクソンモービルの主力メジャー撤退によって、移行せざるを得なくなった新会社にしがみつく岸田政権。
自らも返り血をあびても制裁を続ける他国からは、日本はどのように評価されているか!
それでも、G7の議長国面して歴訪した岸田氏。欧州に行ったのに、ウクライナは無視。G7での重要議題となるのにをや!外交音痴丸出し。
ゼレンスキー大統領は、10月には「北方領土を含む日本の主権を支持する」とした大統領令に署名。
サハリンで、制裁網破りをしている岸田政権とは、真逆の鼓舞をして、励ましていただいてますが。。
# 冒頭の画像は、ゼレンスキー大統領
この花の名前は、原種クリスマスローズ
2月 7日は、北方領土の日
政府広報(北方領土問題) - YouTube
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遊爺さんの写真素材 - PIXTA
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7日は、プーチン大統領がウクライナ侵略開始後初の「北方領土の日」を迎えることになります。
ロシアは、ウクライナを支援する日本への敵視を鮮明にし、平和条約締結交渉停滞の責任も日本にあるとの一方的な態度をとり、ウクライナはロシアに領土の一部を占領される自国の現状を北方領土問題と重ね、日本に連携強化を呼びかけていると産経。
あす「北方領土の日」 露、日本敵視を鮮明 ウクライナは自国と重ねる - 産経ニュース 2023/2/6
ウクライナ侵略後初の「北方領土の日」を7日に迎える中、ロシアはウクライナを支援する日本への敵視を鮮明にし、平和条約締結交渉停滞の責任も日本にあるとの一方的な態度をとる。これに対し、ウクライナはロシアに領土の一部を占領される自国の現状を北方領土問題と重ね、日本に連携強化を呼びかけている。
ペスコフ露大統領報道官は1月27日、日本が追加対露制裁を同日発表したことを受け「既に悲観的な両国関係のさらなる悪化は不可避だ」と強調。ロシアによるウクライナ侵略の開始当初から、日本が「反露国家グループ」の一角を占めてきたと批判した。
ラブロフ露外相は1月18日、防衛費増額を決めた日本が「再び軍国化の道を歩んでいる」と主張。平和条約交渉の破綻も、北方四島返還に固執する日本の責任だとした。
プーチン露大統領はウクライナ侵略前から、日本を米国の「属国」とみなし、北方四島を引き渡せば、米軍が軍事基地を置く可能性があると主張。平和条約交渉にも消極姿勢を示してきた。2020年の憲法改正で領土割譲も原則禁じた。
日本がウクライナ侵略を巡り対露制裁を発動すると、日本を「非友好国」に指定するなど、対日姿勢を一段と硬化させた。ある露専門家は「日本がウクライナ支援を見直して、対露関係の改善に動く可能性はゼロ」と指摘。プーチン体制が終焉(しゅうえん)するなど露国内や世界情勢の一大転換が起きない限り、日露間の対立は続くとの見方を示す。
一方、ウクライナにとって、民主主義の価値観を共有し、同国を支援する日本は「パートナー国」(ゼレンスキー大統領)だ。ロシアに不法占拠されている点でウクライナ南部クリミア半島と北方領土は同じだとし、奪還に向けた連帯を日本に呼び掛けている。
ゼレンスキー氏は昨年3月、日本の国会でオンライン演説し、支援に謝意を表明。10月には「北方領土を含む日本の主権を支持する」とした大統領令に署名した。その上で、ロシアを敗北に追い込むことが両国の領土奪還につながるとし、日本に対露圧力の強化と支援の継続を求めた。
ウクライナ侵略後初の「北方領土の日」を7日に迎える中、ロシアはウクライナを支援する日本への敵視を鮮明にし、平和条約締結交渉停滞の責任も日本にあるとの一方的な態度をとる。これに対し、ウクライナはロシアに領土の一部を占領される自国の現状を北方領土問題と重ね、日本に連携強化を呼びかけている。
ペスコフ露大統領報道官は1月27日、日本が追加対露制裁を同日発表したことを受け「既に悲観的な両国関係のさらなる悪化は不可避だ」と強調。ロシアによるウクライナ侵略の開始当初から、日本が「反露国家グループ」の一角を占めてきたと批判した。
ラブロフ露外相は1月18日、防衛費増額を決めた日本が「再び軍国化の道を歩んでいる」と主張。平和条約交渉の破綻も、北方四島返還に固執する日本の責任だとした。
プーチン露大統領はウクライナ侵略前から、日本を米国の「属国」とみなし、北方四島を引き渡せば、米軍が軍事基地を置く可能性があると主張。平和条約交渉にも消極姿勢を示してきた。2020年の憲法改正で領土割譲も原則禁じた。
日本がウクライナ侵略を巡り対露制裁を発動すると、日本を「非友好国」に指定するなど、対日姿勢を一段と硬化させた。ある露専門家は「日本がウクライナ支援を見直して、対露関係の改善に動く可能性はゼロ」と指摘。プーチン体制が終焉(しゅうえん)するなど露国内や世界情勢の一大転換が起きない限り、日露間の対立は続くとの見方を示す。
一方、ウクライナにとって、民主主義の価値観を共有し、同国を支援する日本は「パートナー国」(ゼレンスキー大統領)だ。ロシアに不法占拠されている点でウクライナ南部クリミア半島と北方領土は同じだとし、奪還に向けた連帯を日本に呼び掛けている。
ゼレンスキー氏は昨年3月、日本の国会でオンライン演説し、支援に謝意を表明。10月には「北方領土を含む日本の主権を支持する」とした大統領令に署名した。その上で、ロシアを敗北に追い込むことが両国の領土奪還につながるとし、日本に対露圧力の強化と支援の継続を求めた。
ラブロフ露外相は 1月18日、防衛費増額を決めた日本が「再び軍国化の道を歩んでいる」と主張。平和条約交渉の破綻も、北方四島返還に固執する日本の責任だと言っているのだそうですね。
日露戦争の結果、明治38年(1905年)8月10日からアメリカのポーツマスで講和会議が開かれ、9月5日、「日露講和条約(ポーツマス条約)」が調印され樺太の南半分と千島列島は日本領となりました。
1941年 4月には、領土保全と不侵略を相互に約束した「日ソ中立条約」が締結されましたが、
太平洋戦争終了時の、1945年 8月にソ連は破棄し、「ヤルタ密約」にもとづいて満州に侵攻、8月28日には、択捉島留別村に上陸以来、北方四島の島々はすべてソ連軍によって占領されてしまいました。
日ソ中立条約
北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)|外務省
1951年 9月のサンフランシスコ平和条約で、日本は、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。
北方四島の返還交渉の経緯は以下。
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■日ソ共同宣言
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
■日ソ共同声明(1991年)
1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認された。
日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。
■東京宣言(1993年)
1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。
■クラスノヤルスク合意(1997年)
1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。
■川奈合意(1998年)
1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。
■イルクーツク声明(2001年)
2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。
■日露行動計画(2003年)
2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
▽プーチン来日 過去を否定 (2005年11月)
「 プーチン来日で惨敗の日本外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
▽山口での首脳会談(2016年12月15日)
北方4島で「特別な制度」の下での共同経済活動実現へ協議。
▽ロシア極東ウラジオストクでの東方経済フォーラム (2018年9月)
檀上で、プーチン大統領が突如平和条約交渉先行を呼びかけ。
▽シンガポールでの首脳会談(2018年11月14日)
1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速。
▽ドイツ・ミュンヘンでの日露外相会談 (2019年2月17日未明)
ラブロフ外相は、第2次世界大戦の正当な結果として北方領土がロシア領になったと認めるよう改めて強調。「日本が、4島を含む全てのクリル諸島(千島列島)の主権をロシアが有することなど、第2次世界大戦の結果を認めることが不可欠だ」と述べ、ゼロ島を主張。
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平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという「日ソ共同宣言」の国際約束後も、2島返還ではなく、4島返還に向け交渉が重ねられましたが、現状は、返還ゼロ島に後退しいることは、諸兄がご承知の通りです。
プーチン露大統領はウクライナ侵略前から、日本を米国の「属国」とみなし、北方四島を引き渡せば、米軍が軍事基地を置く可能性があると主張。平和条約交渉にも消極姿勢を示してきた。そして、2020年の憲法改正で、領土割譲も原則禁じたのでした。
日本がウクライナ侵略を巡り対露制裁網に参画すると、日本を「非友好国」に指定。
にもかかわらず、サハリン1, 2の天然ガス開発では、英・シェル、米・エクソンモービルが撤退する中、日本商工会議所会頭や、経団連会長は撤退拒否。岸田氏も了承、世界の制裁網に反する行動で、シェルやエクソンモービルの主力メジャー撤退によって、移行せざるを得なくなった新会社にしがみつく岸田政権。
自らも返り血をあびても制裁を続ける他国からは、日本はどのように評価されているか!
それでも、G7の議長国面して歴訪した岸田氏。欧州に行ったのに、ウクライナは無視。G7での重要議題となるのにをや!外交音痴丸出し。
ゼレンスキー大統領は、10月には「北方領土を含む日本の主権を支持する」とした大統領令に署名。
サハリンで、制裁網破りをしている岸田政権とは、真逆の鼓舞をして、励ましていただいてますが。。
# 冒頭の画像は、ゼレンスキー大統領
この花の名前は、原種クリスマスローズ
2月 7日は、北方領土の日
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