サクラの季節も終わり、新緑の輝く季節になりました。
川名の大清水谷戸に入り、のんびりと新緑の中に身を置きました。
その昔、藤沢駅から南へ伸びる橘通りの一隅に住んでいました。
半世紀が過ぎ、橘通りは大きく変化し、商店街も無くなり、今ではマンションに囲まれた通りなっています。
橘通りの名残りを求めて、南から北に向かって通りを歩いてみました。
流石に郵便局は 以前と変わらぬ姿で頑張っていました。
少し南に進むと、藤沢駅北口から鵠沼海岸の高根まで往復する小型バスの停車場があり、
そこには橘通りとしっかり表示してありました。
商店街の辺りを進むと、すっかり景色が変わっていて、手掛かりが何も残っていませんでした。
薬局のガラス戸にたちばな通り商店会のビラが貼ってあったのでほっとしました。
その先には何も名残りは見つかりませんでしたが、飲食店の看板の隣に、小さな案内を発見しました。
たちばな通り名残りの散歩です。
東証の年明けの株価は一時700円超安、ニューヨークの株価も660ドル下落のようです。
庶民の高齢者には縁のない話ですが、庭の「万両」が少し心配です。
急に赤い実の数が減り、淋しそうです。「万両」の危機です。
皇居乾通り一般公開中ということで、東京駅を起点に散歩に出掛けました。
坂下門から乾通りに入り、蓮池濠に沿ってゆっくりと皇居の中を散歩しました。
乾門の手前で東御苑へ進む道があったので、東御苑まで足を延ばしました。
久し振りに遊行寺山門(黒門)をくぐり、すぐ左手にある板割の浅太郎の墓を参詣しました。
以前は読みにくい案内板がありましたが、横長の立派な案内板に変わり、由来がよく分かりました。
国定忠治に忠誠を尽くし、自分の叔父親子を殺したが、逃げ延び、後に遊行寺の堂守になり、改心、精進の結果住職にまでなったようです。