西平沼橋の交差点近くから、すっかり変わった平沼の町並みを撮りました。どこまでもマンションの町です。左手の坂道は、JR線の踏切を廃止し、立体交差にした結果です。この町で郵便配達をするのは、なかなか大変そうです。
平沼の町を京浜急行の高架線路が横切っています。現在、古い高架の補修が進行中ですが、かってここには平沼駅がありました。横浜駅に近すぎるということで、昭和18年に営業を止め、昭和20年の横浜大空襲では駅がすっかり焼け落ちました。横浜市長から保存要請があり、空襲の惨禍を後世に伝えるため遺構が残されたと聞きましたが、これからの高架補修後の姿がどうなるかは知りません。
平沼1丁目の交差点の傍で、昔と変わらず頑張っている店がありました。蕎麦屋の「角平」です。郵便配達の時、店先に使った後の削り節が干してあるのをよく見かけました。当時から有名な店でしたが、アルバイトの身分では敷居が高く、眺めるだけでした。
横浜駅東口から約10分、郵便局の傍を通って、南西に進み、万里橋を渡り、JR根岸線の高架をくぐり、浅山橋を渡ると平沼の町です。新横浜通りを横切ると、平沼商店街通りです。商店街のゲートはありますが、すっかりビル街に変わり、昔日の面影はありません。私が郵便を配達した頃の町には、3階以上の建物は数えるほどしかありませんでした。
明治18年生まれの祖父が18歳の時に作ったガラス壜の中の工作です。祖父が妹の結婚を記念して作ったようです。毛糸を巻いた糸車と、造花が組み合わされています。長野の南佐久に育った祖父は、生来器用で、手作りの家具が今でも母の部屋で使われています。
注)この壜も古いものですから、値打ちがありそうです。
注)この壜も古いものですから、値打ちがありそうです。
今年はクロガネモチの実が沢山つきました。夏の暑さの中で、元気良く枝葉を伸ばしたので、庭の外にはみ出しています。剪定が必要ですが、これだけ実がついていると、手が出せません。実が赤くなり、小鳥たちが食べつくした後に、剪定を計画しています。福岡市に6年ほど暮らしましたが、クロガネモチは「市の木」でした。
9月の真昼、みなとみらい地区のビル群を眺めて歩きました。開発が大分進んで、ビルの数も増えました。やがて、みなとみらいの未来を考えることになるのでしょう。
西側の高架線のガード越しに眺めた、ランドマーク・タワーとその周辺のビルです。ランドマーク・タワーは日本一の高さ296m(70F)を誇るビルです。横浜のあちらこちらを歩いていると、「あっ、ここからも見える!」という感じで、確かにランドマークになります。
ランドマーク・タワーの北東に続く、クインズスクエア横浜の3連ビルです。その先はインターコンチネンタルホテルです。開発が早かったので、人の動きも活発な地区です。
ランドマーク・タワーの北西に広がる、ビジネス地区はようやく開発が進み、未来都市らしい景観になってきました。メディアタワー、ビジネススクエアなど、「さて、これらのビルの中には何があるのだろうか?」という感じです。
真昼の暑さに閉口して、地下鉄みなとみらい線のみなとみらい駅に退避しました。
この時利用した出入り口のまわりは、まだ未開発の空き地が広がっていました。
西側の高架線のガード越しに眺めた、ランドマーク・タワーとその周辺のビルです。ランドマーク・タワーは日本一の高さ296m(70F)を誇るビルです。横浜のあちらこちらを歩いていると、「あっ、ここからも見える!」という感じで、確かにランドマークになります。
ランドマーク・タワーの北東に続く、クインズスクエア横浜の3連ビルです。その先はインターコンチネンタルホテルです。開発が早かったので、人の動きも活発な地区です。
ランドマーク・タワーの北西に広がる、ビジネス地区はようやく開発が進み、未来都市らしい景観になってきました。メディアタワー、ビジネススクエアなど、「さて、これらのビルの中には何があるのだろうか?」という感じです。
真昼の暑さに閉口して、地下鉄みなとみらい線のみなとみらい駅に退避しました。
この時利用した出入り口のまわりは、まだ未開発の空き地が広がっていました。
鵠沼駅に入ってきた藤沢行きの4両編成の江ノ電です。100年以上の歴史を持つ江ノ電は単線運転で、最初は1両編成でした。利用者が増えると、1両編成を続けて2台同じ方向に運行したようです。現在も単線ですが、混雑状況に合わせて2両編成と4両編成を組み合わせて運行しています。但し、腰越駅では、駅が短いので、4両のうち1両は扉が開きません。