鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

賀来神社祭礼②

2010-08-31 | 藤沢

今日も猛暑日ですが日曜日、賀来神社の神輿が町内を巡回する日です。


そろそろ神輿が廻ってくる頃だと待っていましたが、元気なお囃子が聞こえません。
気がついたら、家の近くまで子供神輿が来ていました。
暑さのせいでしょうか、子供が少なく、父兄と一緒にが車に載せた神輿をゆっくりと押していました。


その後、大人に囲まれた神輿がやって来ました。
これも台車の上に載せられて、ゆっくり押されていました。
坂道にかかったので、押したり戻したり、意外と大変な様子でした。


家に戻ってしばらくすると、神社の方で勇ましい掛け声が聞こえるので、
カメラを抱えて神社まで行きました。
境内の前の道で、神輿が担がれていました。
重点を絞った神輿担ぎです。


手前の女性4人は、拡声器を片手に美しい掛け声で、担ぎ手を励ましていました。
小さな神社の小さな祭りの神輿です。

賀来神社祭礼①

2010-08-30 | 藤沢

我が家の氏神様、賀来神社の祭礼は毎年8月末の土日に行われます。
主役は子供達なので、夏休みの最後の楽しみになっています。
この日は宵宮でしたが、昼過ぎから境内は子供達で一杯でした。


入口の階段を登ったところから、身動きできないほどでした。


定番の「金魚すくい」も囲まれて中の様子が見えません。


町内の有志が出した売店も大盛況でした。


酒のつまみに良さそうな料理もありましたが、ここは子供の世界です。
大人はもう少し辛抱しなければなりません。


境内の奥では、少年少女がお囃子に取り組んでいました。


神殿の前には、夕刻行われる「御霊入れ」に備えて神輿が置かれていました。


肝心の社殿は静かなもので、全く混み合っていませんでした。
子供は売店にしか興味がないようです。

引地川河口のユリカモメ

2010-08-28 | 藤沢


国道134号線の鵠沼橋の中央から引地川の河口を眺めたところです。
河口の向こうに見えるのは江ノ島です。
河口手前の砂溜りにはユリカモメが沢山集まっていました。


右岸から近づき、ユリカモメの集団を撮りました。
鵠沼海岸海水浴場よりも、ユリカモメの海水浴場のほうが混み合っていました。


ゆとりの海水浴

2010-08-27 | 藤沢


相変わらずの猛暑日が続いていますが、さすがに8月も下旬になりました。
鵠沼海岸の海水浴客も少なくなり、平日はゆとりの海水浴が楽しめます。


砂遊びも水際を広々と使って、余裕があります。
波が高いので、波をじっと眺めている人もいました。


サーフィング・エリアの砂浜は特に人影が少ないので、
中央にいる2人は砂浜を独占しているように見えます。

協同組合藤沢銀座土曜会

2010-08-26 | 藤沢


藤沢駅北口階段の上で、何気なく前方を見ていて「土旺会」の看板を発見しました。
かなりしっかりしたモニュメントのような造形で、柱には「藤沢銀座」の文字もありました。


横浜銀行とさいか屋デパートの間の道の入口の左脇の標識です。
調べて分かったことは、これは「協同組合藤沢銀座土曜会」のものでした。
昭和10年代から続く藤沢市の代表的な商店街で、ホームページもある現役です。
家人の話では、毎週土曜日の大売出しにはいろいろな夜店も並んで、
子どもには楽しいイベントだったようです。

祭りの街頭宣伝車

2010-08-25 | 藤沢


江ノ電鵠沼駅西口の石畳広場で賀来神社祭礼の街頭宣伝車の準備が始まっていました。


軽トラックの上に屋台を載せ、提灯を取り付け、これから細かい道具を準備するところです。


毎年同じように準備をして、祭りが近づくと氏子の家々を回り、祭りの案内をします。


2004年の写真を探して比較してみました。
軽トラックは同じ車です。屋台も同じですが、塗装は新しくなっていました。
提灯は数年前に勝海舟の筆跡の文字に変更されたので、2004年とは大分印象が違います。
関係者のご苦労に感謝です。

鵠沼神明工業地帯⑤(株)ヤクルト本社

2010-08-24 | 藤沢


引地川を東海道線が横切る地点の北、左岸にある(株)ヤクルト本社です。
今まで私はここでヤクルト飲料が作られているとばかり思い込んでいました。
写真の左側の敷地にヤクルトの配送車輌が並んでいるので、
ここが配送拠点の1つであることは間違いないようです。


ところが、工場に近づいて中にある標識を見ると「湘南化粧品工場」とありました。
平成20年から化粧品工場に変わったようです。


工場建物の中央入口には、確かに化粧品工場らしい案内文字が見えました。


工場の南側道路沿いのバス停には、確かに「湘南化粧品工場前」とありました。


バス停脇にヤクルト飲料の自動販売機が1台だけ頑張っていました。

鵠沼神明工業地帯④アテネ(株)

2010-08-23 | 藤沢


引地川沿いで、日本電気硝子(株)の南隣にあるアテネ(株)です。
製品はメタルマスク、塗装治具とありますが、イメージが湧きません。
超精密微細電鋳加工事業という説明を読んでも、
なにやらナノの世界に近い技術分野らしいと思うだけです。


事業の性質上、建物も比較的にコンパクトですが、
藤沢市の高谷地区にも第2工場があるので、業容は拡大しているようです。

鵠沼神明工業地帯③日本電気硝子

2010-08-22 | 藤沢


日本経済の高度成長期、藤沢市も工業誘致に積極的でした。
1959(昭和34)年、引地川の左岸に日本電気硝子(株)藤沢事業部が開設しました。
医薬・理化学用ガラス、液晶ディスプレー用ガラス等の工場です。


工場の中央部には、大きな煙突が聳えています。


北側の正門前から見た工場の景色です。


この工場には、厳しい歴史があります。
開設時に粉塵等の公害の問題が発生、その後鉛公害の問題も加わりました。
隣接する万福寺の左脇道に、公害問題の発生から終息までの経緯を記した記念碑があります。


鵠沼神明工業地帯②高井精器

2010-08-21 | 藤沢


日本精工藤沢工場の右隣、湘南新道の高架を挟んだ場所にある(株)高井精器です。
1906(明治39)年、東京三田に創立した電工社が起源で、
1941(昭和16)年4月に現在地に移転しました。
当時主力製品であった日本精工向けのベアリング保持器との関係もあって、
日本精工の隣接地を選んだようです。


日本精工の関連企業として拡大を続け、5階建ての工場は、
側を通る湘南新道からも良く見えます。


社史にあった創業時の写真です。
この時点では、初代社長が発明した
「空気呼鈴」や「シグナルベル」が主力製品でした。


鵠沼神明工業地帯①日本精工

2010-08-20 | 藤沢

その昔、鵠沼は北から流れる境川と引地川に挟まれた砂丘と湿地で南は相模湾でした。
江戸時代、大山詣の帰りに江ノ島へ立ち寄る人々も主に境川左岸の道を通り、
鵠沼は川向こうに眺めるだけでした。
鵠沼は現在住宅街になっていますが、産業にはあまり縁のない地域です。
例外として、東海道線の北側、皇大神宮の周辺に主要な製造業が5社あります。
ここを鵠沼神明工業地帯と個人的に命名し、現状を撮ってみました。


日本精工(株)藤沢工場です。
1914(大正3)年の創業ですが、藤沢工場は1937(昭和12)年開場です。
のどかに桃畑が広がる農地を取得し、ベアリングの鋼球工場からスタートしました。


現在は、工場内に藤沢技術部の建物も併設され、グローバルな技術センターになっています。
左手の工場建屋の向こうに藤沢技術部のビルが見えます。


順次拡大した工場の西側の景色です。
この通りの右側に皇大神宮や烏森公園があります。


社史の中にあった、藤沢工場建設時の写真です。
1937(昭和12)年11月に敷地を取得し、翌年5月に開場式を行ったようです。

車田白旗稲荷再訪

2010-08-19 | 藤沢


県道43号線をバス停湘南高入口で南に折れると、すぐ右手に車田白旗稲荷があります。
以前訪ねた時は曇り日で印象が暗かったのですが、
この日は快晴で境内の手入れも良く明るい雰囲気でした。


この庚申供養塔は元禄2年(1689)の銘があります。


少し傾いていますが、これは二十三夜塔です。


これは飯尾常吉翁頌徳碑(大正10年銘)です。
飯尾常吉は明治26年に車田町に住み、町内のために力を尽した人で、
この稲荷の敷地も飯尾翁が寄付したようです。


肝心の稲荷の社殿はかなり傷んでいますが、それなりに片付いていました。
参拝に訪れ、境内の手入れをする人がいるようです。

風早山真源寺

2010-08-18 | 藤沢


小田急線藤沢本町駅近く、県道藤沢・厚木線沿いに風早山真源寺があります。
いつも横目で見て通り過ぎていましたが、初めて参拝しました。
創建は安永元年(1772)と元禄10年(1697)の2説あるようです。
小高い丘の上にあるため風当たりが強いので、風早山と命名されたようです。
お盆の中日だったので、境内はきれいに手が入っていました。