労働会館解体中 2017-04-30 | 藤沢 解体中の労働会館の様子を見に行きました。 中心の建物はすでに姿を消し、周辺の整備中でした。 右手の道沿いに現場を迂回する道が出来ていました。 この道を進むと、今までの労働会館の裏手に抜けられます。 労働会館の跡地には、藤沢公民館や労働会館等の複合施設になるようです。 最上階にレストランが出来るという情報もありました。
白フジの咲く三藤稲荷大明神 2017-04-29 | 藤沢 白フジが咲く三藤稲荷大明神です。 すぐ右隣には三富士見町会館があり、前にはふじ公園があります。 公園を眺めながら考えました。 「白フジ」、「三藤」、「三富士町」、「ふじ公園」の関係はどうなっているのだろう? 情報が少ないので、推測も出来ません。
ぶらり平塚・平塚宿跡地 2017-04-28 | あちらこちら 平塚宿は慶長6年(1601)に成立しました。 京方見附跡から江戸方見附までの平塚宿跡地を辿りました。 平塚宿京方見附跡。 西組問屋場跡。 平塚宿本陣旧蹟碑。 平塚宿本陣跡。 平塚宿高札場跡。 平塚熟脇本陣跡。 平塚宿江戸見附跡。 平塚宿江戸見附の案内板。 平塚宿跡地は建物等は殆ど残っていないので、文字通り跡地だけです。 残念なので、平塚宿(旧東海道)史跡絵地図を収録しました。
ぶらり平塚・平塚の碑の周辺 2017-04-27 | あちらこちら 国道1号線を西に20分程進み、平塚の塚緑地公園に着きました。 由来によると、桓武天皇につながる高見王の娘が旅の途中で亡くなり、この地に埋葬され、 その時に築かれた墓の上部が平らになったので、「ひらつか」が地名になったようです。 公園の奥にある平塚の碑です。 平塚の塚緑地公園の右隣にある要法寺です。 弘安5年(1282)9月、鎌倉幕府3代執権北条泰時の次男泰知の屋敷に日蓮聖人が一泊したようです。 その場所に建立されらのが要法寺です。 平塚の塚緑地公園の西側には春日神社があります。 源頼朝が建久2年(1191)相模川橋供養の祈願所にし、翌年には妻北条政子の安産祈願に神馬を奉納したようです。
ぶらり平塚・平塚八幡宮 2017-04-26 | あちらこちら 平塚駅北口から駅前通りを進み、「宮ノ前}交差点の歩道橋から見たヤエザクラです。 満開のヤエザクラに接近しました。 平塚八幡宮の入口には鯉のぼりが飾られ、相模国府祭の掲示が出ていました。 平塚八幡宮は、仁徳天皇68年(380)に大地震があり、国土安寧を祈り、応神天皇を祭神として創建されたと伝わっています。 拝殿右側に3つの境内外社(諏訪社、若宮社、神明社)があります。 西の池のシダレザクラです。 西の池には、湘南ひらつか七福神の1つである平塚弁財天が祀ってあります。 八幡宮から国道沿いに西へ向かいました。 道沿いの藤沢市立崇善小学校の緑の土塀に圧倒されました。
俣野別邸庭園 2017-04-23 | 横浜 新しい本邸を見学した後、庭園をひと回りしました。 何度か訪ねていますが、4月の俣野庭園です。 ハナミズキがようやく白くなるところでした。 八重ヤマブキのようです。 八重ザクラです。 庭園中央の芝生広場から見上げた新緑の木立です。 白い雲、青い空、新緑の木立です。 本邸近くのヒマラヤスギです。 見上げた空の賑やかな新緑です。 帰りはモミジ坂をゆっくり登って戻りました。
俣野別邸(本邸)見学 2017-04-22 | 横浜 バス停鉄砲宿から俣野別邸(本邸)に向かいました。 途中の道端で草花が賑やかに迎えてくれました。 旧住友家が1939(昭和14年)に建設した俣野別邸は国の重要文化財に指定されていましたが、2009年に全焼しました。 復元工事が完了し、4月1日から公開が始まりました。 本邸正面の車寄せです。 本邸2階から見渡した内苑です。 本邸1階から見た内苑です。 内苑からみた本邸の姿です。 1階中央の食堂ではお茶が楽しめます。
小糸川のシダレザクラ 2017-04-21 | 藤沢 遠藤地区を流れる小糸川は大部分が暗渠の中を流れていますが、滝ノ沢地区で住宅の下から顔を出します。 この流れに沿って咲くシダレザクラの並木を観に行きました。 少し盛りを過ぎていましたが。まだまだ十分に花を楽しむことが出来ました。 川の中を花びらが流れ、中央をカモがゆっくりと下っていました。 小糸川はこの先で遠藤公園の下を潜って大庭地区を目指して流れて行きます。
滝の沢不動明王 2017-04-20 | 藤沢 久し振りに遠藤の滝の沢不動明王に参詣しました。 ライフタウン造成以前のこの辺りは昼なお暗い森林地帯で、矢向台地から一筋の滝が流れていたようです。 現在はライフタウンの住宅街の一角で、氏子18軒に守られています。
遊行寺のサクラ 2017-04-19 | 藤沢 快晴の遊行寺のサクラ見物です。 もう遅いかと思いましたが、予想以上に美しいサクラに出会いました。 新緑の木立の中から見上げたサクラです。 本堂右手のイヌネコの集団墓地にもサクラが満開でした。 静かな境内でのんびりとサクラを楽しみました。
裁判所のサクラ 2017-04-18 | 藤沢 藤沢駅北口近くの郵便局前交差点です。 裁判所のサクラがまだ満開でした。 入学、卒業といったイベントのある学校のサクラと違い、裁判所のサクラはどんな記憶に繋がるのだろうと思いました。
ぶらり深沢⑥梶原御霊神社 2017-04-17 | 鎌倉 深沢小学校の校庭沿いの満開の桜並木です。 深沢小学校の敷地内に、源頼朝に仕えた武将梶原景時一族とその先祖の墓があります。 境内の狛犬のスタイルがなかなかユニークでした。 神殿までの石段の傾斜が急で、桜を愛でる余裕がありませんでした。
ぶらり深沢④休場山等覚寺 2017-04-16 | 鎌倉 鎌倉武将梶原景時が休んだ場所と伝わり、山号が「休場山」となっている等覚寺です。 洲崎古戦場跡から多くの北条軍戦死者が出土したので、境内に供養塔があります。 明治時代には深沢小学校の前身「訓蒙学舎」が創設された場所のようです。
ぶらり深沢③大慶寺 2017-04-15 | 鎌倉 「寺分」という地名の起源、大慶寺に着きました。 山門の茅葺き屋根が歴史を感じさせていました。 室町時代、鎌倉五山に次ぐ関東十刹として制定された寺で、現存するのは瑞泉寺、明月院とここ大慶寺だけのようです。 大慶寺の創建は弘安年間(1278-1287)ですが、度重なる戦乱で江戸後期には廃絶したと推測されています。 昭和19年(1943)に塔頭の「方外庵」を改称して現在の大慶寺となったようです。 本堂には木造釈迦如来坐像が祀ってあります。
ぶらり深沢②洲崎古戦場碑 2017-04-14 | 鎌倉 湘南モノレールの下の道を町屋方面に進むと、左手に「洲崎古戦場碑」がありました。 元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めで敗れた北条軍がこの地に布陣して応戦したが、多数の戦死者を出し敗れたと伝わっています。 深沢ぶらりと言うことで寺分1丁目に向かうと、なつかしい街並みに出会いました。 「畳屋」と「萬屋」があったので嬉しくなりました。 町中には、時の流れを感じさせる点景がありました。